桜色の物語


彼と初めて出会ったのは5年前。桜に彩られた学園の教室。
そこでの彼は、明らかに異質だった。


狐の面。
髷の結われた髪は黒。
白い肌が面の隙間から見え隠れしている。
三郎は教室の机の前に正座で座り、授業が始まるのを待っていた。
そして周囲の子供たち、もちろん僕を含めて、彼に対する好奇心でいっぱいだった。ちらりちらりと横目見ながら、始めて出会ったもの同士で囁き合う。そのどれもが彼に関すること。十にもなればある程度の世間の常識というものが見えてくる。それに当てはまるまでもなく、どこからどう見ても、彼は自分たちの常識とは違っていた。
誰もが遠目で見つめるなか、一人の少年が三郎に近づいていった。
人が近付くのが分かったのだろう、狐の面が、少年の方を向く。
少年はそれをじっと見つめて、
「なあ。なんでそんなの付けてんの?」
と、誰もが聞きたくても聞けなかったことをあっさりと聞いてしまった。
クラス全員の意識がそちらへ向く。
それを知っているのか、三郎はこてんと首を傾げ、
「見られたくないから。」
と言ったのだった。
「なんで?」
「言わなければいけないか?」
「んにゃ。言いたくなけりゃ別にいいけど。」
「じゃあ言わない。」
その言葉に少年はふーんとその隣へと座った。それに合わせて狐の面も見上げる形から目の前を見るものへと下がっていく。
面に覆われた顔は、どのような表情かまったくわからなかったが、彼が緊張しているのはこちらにも伝わってきた。
隣に座った少年はというと、それを感じている様子もなく、好奇心旺盛にじっとその面を見つめ続けている。
見つめ続け、やがて満足したのかニッと笑った。
「なあ。名前は?」
「…鉢屋三郎。」
「そっか!俺は竹谷八左ヱ門だ!!これからよろしくな!!」
この時僕は、面を付けた変わり者より、八左ヱ門がすごい奴だと心より感嘆したのだ。


学園長から鉢屋の素顔については詮索無用と触れがあったのだろう。意外にも先生から鉢屋の面についてはノータッチだった。
しかし中には先生がその面を奪い取ることを期待した奴もいたらしく、何事もなく進められることに不満な顔をした者が何人もいた。
しかし三郎はどこ吹く風で先生の説明を聞いているし、竹谷もやはり好奇心いっぱいにそれを聞いていた。
そのことに、僕はなんだか安心して、これからの生活への期待に胸を高鳴らせたのだった。


説明が終わったあと、僕らは1年の長屋へと案内された。
学園側になんの考えがあったのか、僕は鉢屋三郎と同室となっていた。
自己紹介は先ほど教室で一人一人行っていたけれど、僕らは向かいあって再び自己紹介する。
「僕は不破雷蔵。これから6年間、よろしく。」
「私は鉢屋三郎。こちらこそ、よろしくな不破。」
やはり面は被ったままだったけれど、彼が笑ったのが気配で分かる。僕はそれが嬉しくて、つられて笑顔になった。これから6年間、同じ部屋で過ごすのだから、仲良くしたい、いや仲良くしていこうと思った。
初めて食べた食堂のおばちゃんのご飯は家で食べるものよりよっぽどおいしくて、お腹いっぱいに食べてしまった。それから部屋に戻って、僕は家からの旅路の疲れもあってすぐに眠ってしまったのだった。
そんな学園初日が明けた次の日の朝。
起床の鐘に目を覚ますと、隣はすでにもぬけの殻。
首を傾げているとすっかり身支度を整えた三郎が部屋に戻ってきた。
「おはよう。不破。」
狐の面をぼんやりと見上げ、僕は寝ぼけた頭で「おはよう…」と返した。
もぞもぞと起き上がり、僕も身支度を始める。今日からは授業が始まると聞いていたから、急がなければいけない。
着替えながら振り向くと、三郎は昨日持ち込んだ荷物をすっかり片付けていた。…いったいいつ片づけたというのだろう。
「鉢屋は起きるのが早いね。片づけもしっかり終わっているし。僕とは大違いだ。」
沈黙のまま着替えるのも何か気まずくて、僕はそんな当たり障りのない話をはじめた。
「家では用事をするのにいつも早く起きていたから。今日はやることが無くて困ったよ。片付けは昨日の内にすませてしまったしね。不破を起こしてしまうようだったら止めようと思ったのだけれど、良く寝ていたね。」
その言葉に少し照れくさくなって、顔をもとに戻す。
「こんなに遠くに来るのは初めてで…。疲れてしまったんだ。でも今日はもう元気だよ。」
「そうか。授業、楽しみだな。」
「うん。…お待たせ。朝ごはん食べに行こう。」
最初は、お互いに手探りの状態だった。
僕は彼の姿が目に見えるたび、どこか構えていたし。彼は、緊張しながら僕に接していた。
でも、お互いに悪感情を持つことはなく、僕たちは少しずつ、打ち解けていった。
三郎はとても言葉巧みで、忍術も僕らより一足も二足も先を行っていて、でも話していると、どこか世間知らずなところがあって。そうすると少し照れくさそうにそっぽを向くのがとても、近く感じた。
僕は、そんな彼が好ましかった。


しかしある日。
「おい。化け狐がいるぞ。」
「お。どれどれ。へえあれがそうか。」
三郎の異形が、他の学年へと漏れないはずがなく。群青色の制服をまとった上級生三人が三郎を取り囲んだ。
たった一学年の差なのに、その体は三郎の姿を隠してしまう。話声だけが聞こえて、僕はよそから伺い見ることしか出来なかった。
「なんでお前狐の面なんかつけてんだよ。」
「顔を見られたくないからですよ。」
囲まれているはずの三郎はとても落ち着いた声で、上級生たちを見上げている。
「なんでだよ。よっぽど不細工なのか?」
「はっははは。なるほど。それでその面を付けているのか?」
「いいえ。この顔は人には見せられませんから。決して見せるなと、言い含められていますゆえに。」
「へえ。ますます気になるな。その面の下はよほど恐ろしいものと見える。」
「あるいは、そうかもしれません。」
「どれ、」
その手が面に伸びるのに、三郎は一歩足を引いたが上級生の手はそれを追って伸びる。そして、その面に手をかけ――。
面を、取った。
「………っ!!」
僕は驚き目を見開く。その上級生の手に握られた面は頭上高く持ち上げられ、もう三郎の手には届かない。
体の隙間から一瞬見えた三郎は両手で顔を覆って俯いていた。
「やめてください先輩。」
「それ、その手も邪魔だ。」
「後悔しますよ。」
他の二人の上級生が三郎の腕をつかみ顔から手を剥いだ。
「…………?…………!!!!!」
「ほら、世にも恐ろしい姿でしょう…?」
「う、うわあああああ!」
「ば、化け物!!」
上級生の手から面が落ちる。顔を真っ青にした三人が逃げ去っていった後には、面を外した三郎だけが残った。
「鉢屋…?」
ゆっくりと三郎が振り返る。
その顔は…先ほどの上級生の顔。
僕はぽかんと口を開けてその顔を穴が開くほどに見つめた。
そんな僕を見て、上級生の顔をした三郎が苦笑する。
「…気味悪いか?」
そう言って俯いた三郎は、足元に転がっている面を取り上げ再び顔に付ける。
ハッと我に返って、僕は思い切り首を横に振った。
「ち、違うよ!驚いただけ!」
「そう?」
狐の面を付けことりと首を傾げる姿はいつもの彼の姿で、僕は心のどこかで安心する。
「…本で読んだことがあるよ。それ、変装の術だね。どこで習ったの?」
「親父に。不破は勉強熱心だな。さっきのやつらも、ちゃんと勉強してたらあんなに驚くこともなかったのに。」
「でもすごいよ!大人でも難しいって言われてる術なのに、あんなにすぐに出来るなんて!!」
「…そうなのか?」
「そうだよ!!」
「ふぅん…。そうか…。でも、まだまだだ。どうせなら一瞬で変われるくらいじゃなきゃ。それに、あんな顔だけ変えるのは変装とは言わないだろう?」
「そうかなぁ?」
「うん。だから、私はもっと完璧に変装出来るようになりたい。顔も、仕草も全てが本人と区別がつかなくなるほどに、完璧なものを。」
「できるよ。きっと鉢屋なら。好きなものこそ上手なれっていうだろう?」
僕は真剣に、そう思ったのに。僕の言葉に、三郎は急に黙り込んでしまった。
「鉢屋?どうしたの?」
面の下の表情は読めない。しかし、怒っていたり、泣いていたりしているわけではないようだ。
驚いて、いるのだろうか。
「鉢屋?」
「…あ。うん。ごめん。」
「いいけど。どうかした?僕、なにか変なこと言った?」
「いや…、私は、この技を、好きだと思ったこと無かったから。…言われて驚いた。」
「そうなの?でも、僕は鉢屋があんなに熱心にやりたいことを言うなんて初めてだったから。きっと好きなんだと思ったんだけど。違うの?」
「…違わない。うん。今不破に言われて気づいた。私、この変装の術、好きだ。」
「そっか!!じゃあ頑張らないとね!」
そう笑って、背を向けると、突然ぎゅっと手を取られた。
なんだろうと思って振り向くと、また僕は驚いた。
「どう、かな?」
僕の顔が、照れくさそうに微笑んでいた。
でも、僕の顔が目の前にあるのは『久しぶり』だ。
「び、っくりした。風音がなんでいるのかと思った。」
「かざね?」
「僕の双子の姉さん。今は実家にいるけど。」
「そうなんだ…。じゃなくて、不破は、この顔、嫌か?」
「嫌って?」
「私、この顔、借りてもいいか?」
「それ、僕の顔を使って練習したいってこと?」
「そう、かな。」
「別にいいよ。同じ顔があるのは慣れてるし。」
「ほんとか!!」
「うん。」
迷うことなく僕は頷いた。


そのまま食堂に行ったとたん、ものすごいどよめきが走った。
いままで僕一人しかいなかった顔がもう一つあればそれは驚くだろう。
三郎がいまだに頭に付けたままの狐面が誰かを示しているから、改めて自己紹介をする必要はなさそうだ。
「不破。あっちが空いてる。」
「うんそうだね。早く頼まなきゃ。」
「迷わずに決められるか?」
「…がんばる。」
そっか。と笑う三郎は、僕の顔だけど僕の表情(かお)ではなかった。
ようやく見ることができた三郎の顔に、なんだかほわほわした気持ちになる。
「不破?」
「え?なに?」
「嬉しそうだな。」
「そう?だって鉢屋がようやく顔を見せてくれたから。」
その言葉に、お盆を受け取った三郎がきょとんとした。意味がわからないと首を傾げる姿は、面を付けているときから癖になっているのだろう。また、三郎の表情を見つけてますます胸があったかくなるのを感じた。
「だって鉢屋。お面じゃ顔はわからないじゃないか。」
「うん?」
「僕の顔でも、鉢屋が笑っているのを見るのは嬉しいよ。」
「…嬉しい?」
「うん。」
「……そっか。そうなんだ。」
「うん。そうだよ。」
ふふふ、と笑って、僕もおばちゃんに夕食をお願いした。
三郎はその間もじっと僕を見つめたまま待っていてくれていたから、ご飯が出てくるまでの時間がとても長く感じてしまう。
「お待たせ。ご飯食べよう。」
「……………。」
「鉢屋?」
「なぁ不破。」
「なに?」
「私、君に変装できて、とても嬉しいかもしれない。」
「…『かもしれない』?」
「うん。『かもしれない』。『嬉しい』って、よくわからないから。『かもしれない』。」
「こう…胸がぽかぽかする感じだろ?」
「うん。なんかほかほかする。それで、少し、ぎゅってなる。」
「そっか。それは嬉しいの『かもしれない』ね。」
小さな子みたいに説明する三郎がなんだか可愛くて、僕はまたふふふと笑ってしまった。
それを見た三郎も、僕そっくりの顔で嬉しそうに笑った。
周囲は不思議そうな顔で見ているけれど、僕らは気にせず「いただきます。」と同時に手を合わせたのだった。



忍たまTOP