桜色の物語2
それからの僕らは、なにをするにもいつも一緒だった。
三郎はずっと僕の隣で僕の所作を真似しては笑って、僕は彼と話す度その観察眼と摸倣の完成度に驚いた。
しかししだいに、僕も疑問を持ち始めた。
なぜ、彼は頑なに素顔を現すことを拒むのだろう。
もう彼はろ組で人気者であるし、それほど嫌われるような要素が彼にあるとは思えない。
聞いてみたいと思った。しかし、その度に入学式のときの会話を思い出す。
『話したくない。だから言わない。』
きっぱりと、彼は竹谷に言っていた。今でもそうなのだろうか。
仲良くなった今なら、話してくれるのだろうか。
聞いたら、僕は彼に嫌われてしまうのだろうか。
ああ、また思考がぐるぐるする。答えが見つからない。
うーん。と唸って頭を抱える僕に、当の三郎が気が付いて苦笑した。
「雷蔵。今度は何を悩んでいるんだ?」
「三郎…。」
本人に聞いてもいいのだろうか。そしてまた僕の思考をかき混ぜる材料が増えてしまった。
目尻も垂れ下がってそうとう情けない顔をしている自分の顔を自覚する。三郎は苦笑いしながら僕の正面に座った。
「ほら。言ってみなよ。」
「うーん…。でも…。」
「いいから。」
そう微笑まれてしまえば、僕は彼に従うしかない。僕はすっかり彼の笑顔に弱くなっていた。
「…なぜ君が顔を隠すのか、聞いてもいいのかなって迷っていたんだ。」
言ってしまった。恐る恐る三郎の顔を見ると、彼は驚いた顔もせず穏やかに微笑んだままだ。
「…三郎?」
「…うん。君にはいつか聞かれると思っていたよ。気にならないはずがないものね。でもね雷蔵。」
「うん。」
「ごめん。話すことはできないんだ。理由も。素顔も。私は君の顔を借りているのに、本当に悪いと思っている。ごめん。」
頭を下げる三郎を、僕はぽかんと見つめて、それから慌てて肩を掴んで顔を上げさせた。
「い、いいんだよ!三郎が話したくないならそれでいいんだ!!ただ、僕は聞いてもいいのか分からなかっただけなんだから!君の答えが駄目だというならそれでいいんだよ。」
「…雷蔵。」
なぜだろう。僕が聞いたときは変わらなかった表情が、今はまた驚きに満ちている。
「三郎?」
「大好き。」
「なっ、えっ、えぇ!?」
思わずといった風な言葉に僕の顔が真っ赤になる。
それを見た三郎がふわりと笑った。それから勢いよく僕へ飛び込んでくるものだから、僕は後ろに倒れてしまった。
「さ、三郎!?なに!?」
「雷蔵雷蔵雷蔵!!大好きだ!!」
「ええ!?なに!?なんなの!?」
「教えない!!でも大好き!ありがとう!!」
ごろごろと猫がすりつくように懐く三郎の頭を思わず撫でながら、僕は混乱する頭で考えた。
(欲しい答えは貰ったし。三郎は喜んでるから。まぁいいか。)
それから数ヶ月後、何故彼がこんなに喜んだのかを、僕は知ることとなる。
今日は野営の授業を行う日だった。木々の間に天幕を張り、休むという授業。
僕はもちろん三郎と組んで、二人で良い場所を探していた。
「以外と丁度いい木の間を探すのって大変なんだね。」
「雷蔵。この場合は縄の長さに丁度いい場所を探すんじゃなくて、場所に合わせて縄の長さを変えればいいんだよ。」
そう言うと、彼は僕がもってきた縄より長いものを用意していて、あっという間に天幕を張ってしまった。
「そっか。すごいなぁ三郎は。」
「へへ。」
僕と同じ顔で得意げに笑う三郎を、心から感心して見つめる。
今日は明るい満月の夜だ。灯りが無くても互いの顔を見るのに苦労は無い。
無事天幕を張り終えた僕たちはごろりと横になって空を見上げた。
「今日が良い天気で良かったな。雨だったらまた苦労するところだった。」
「この学校、雨天中止ってことが基本的に無いもんねぇ…。」
ざわざわざわざわ、と木々のざわめく音がする。
思ったより大きいその音に僕が肩を震わせると、隣でそれに気が付いた三郎がふと僕の方へ顔を向けた。
「…怖い?」
「こ、わくない。でも、森ってこんなにいろんな音がするんだね。」
僕の言葉に三郎は微笑んで、再び天空を見上げた。
「そうだな。私には、慣れた感覚だけど。雷蔵は、農民の子だっけ?」
「うん。普段、森には入らないし。こんな森の中で寝るのは初めて。」
「そっか。私は森育ちだからな。」
「そうなの?」
僕はごろりと肘をついて起き上がり、三郎を見下ろす。三郎が自分のことを話すのは初めてだ。
「うん。実家は山奥にあって、そこで親父と二人で暮らしてた。」
「お父さんは…忍なんだよね。」
「とっくに引退したけどな。」
「そうなんだ…。」
僕はそれ以上聞くことをためらった。
まだ、彼が聞かれたくないことがあるかもしれない。知らずにそれを問うてしまっては、彼が困るかもしれない。
どうしよう。
また迷って固まる僕を、三郎は見上げてカラカラ笑う。
「雷蔵。今度は何を迷ってるか知らないけど。」
「三郎…。」
「私は、聞かれたことに答えられなければ答えない。でも、話せることならちゃんと話すから。だから、まずは話してみてくれないか?」
笑いながらもまっすぐに僕を見つめる目は真剣だ。僕はそれから目を逸らすことが出来ない。
その、赤い目から。
「―――――っ!!」
その時、声を上げなかった自分を一生褒めてやりたい。
ドクリ、と心臓が脈打つ。
瞬きをして、もう一度見ても、彼の目は赤く。月の光と浴びて恐ろしい程美しく輝いていた。
「雷蔵?」
黙ってしまった僕を疑問に思ってか、三郎が常の仕草で首を傾げた。
それを見た僕ははっとして、慌てて元の通りに寝転んだ。
「も、もう寝よう。あした、も、早いし。」
「?うん。そうだな。おやすみ。雷蔵。」
「お、おやすみ……。」
声も、仕草も、僕の名を呼ぶ調子も、全ては出会ったころから変わっていない。人で無いものが取り変わったわけではない。
でも、あの目は…。
赤く光る目。
それは、人に無いものではないのだろうか?
でも。
僕は隣の三郎をそっと盗み見る。
まだ意識はあるのだろう。僕は三郎が眠っているところを見たことがないから、今はただ目を閉じているだけだと知っている。
そして思い出す。
数ヶ月前、僕は三郎から顔を隠す理由を聞かないと言った日。三郎が心から喜んでいたことを。
そうだ。彼は、真実の姿を見られることを何より恐れていた。
それはどうしてだろう。なぜ彼は、そこまでしてこの学園に居たいのだろう。
彼は優秀で、言葉巧みで、組の人気者で、この間学級委員長にも指名された。きっとどこででもやっていけるだろうに。忍の術も、彼は父親から学ぶことが出来る。
なぜ、彼はここにいるのだろう?
疑問は頭から離れないまま、結局僕は初めて一睡もすることなく夜を明かした。
朝日が昇り集合の笛が鳴る。僕は腫れぼったい眼を擦りながら後片付けをして集合場所に向かう。
三郎は僕の顔を見て少し笑い、そして「雷蔵も、慣れればこういうところで眠れるようになるよ。」と慰めるように肩を叩いた。
どうやら、初めての野宿で寝られなかったのだと思ったらしい。
自分で言うのもどうかと思うが、元来細かいことを気にしない性格である僕はどこででも眠れる自身はある。
今日、寝られなかったのは明らかに夕べ見たもののせいだ。
しかしそれを口にすることなく僕は「そうだといいなぁ」と答えていた。
なぜだか、昨日見たことを三郎に言う気にはなれなかった。
集合場所では僕と同じように目を腫れさせたクラスメイトが何人もいた。みんなお互いの顔を見て笑っていたから、僕の様子に誰も疑問を持つはずも無い。
その日は授業は午前だけで終わり、いつもならば遊ぶ僕らも次々に部屋で布団を敷いて休む準備をしていた。
僕も本当はそうしたいところではあったけれど、そうはせず廊下で足を進めていた。
「雷蔵は寝ないのか?」
「うん…図書の当番なんだ。三郎は休むんだろう?」
僕が寝ていないのだから、三郎だって眠っていないはずだ。そう確信を持って聞き返せば三郎は「うーん。」と少し考えた後、
「そうだな。私は部屋に居ることにするよ。」
と頷いた。僕はそれに頷き返して背を向け、図書室へと向かう。
…本当は当番なんて嘘だ。
今は、ただ考えたかった。それにはあの場所が一番いい。
僕はもう見慣れてしまった図書室の戸を開け、薄暗い中へ入る。
適当な本棚の前に立ち、本を選ぶように見上げた。目は、どこも見ていないけれど。
(昨日見たのは――、うん。夢じゃない。)
(ちゃんと覚えてる。風の音。草の匂い。三郎の、体温。そして)
(あの、赤い目。)
(三郎は、人でないのかな…?)
(ちがう!そんなことは問題じゃない。あれは三郎だ。三郎なんだから、そんなことは関係ない。)
(三郎は、だから面を被っていたのかな?)
(隠したかったのは、顔じゃない?)
(いや。顔も。か。)
(目の色を、変えることは出来ないから。)
(三郎は、…知ってるか。自分のことだもんね。だから、いままで同室の僕も知らなかったんだ。)
(どうして、僕は知ってしまったんだろう…?)
(どうして、僕はこんなに考えているんだろう?)
(僕は、何を考えればいいんだろう?)
(三郎。)
(三郎。)
(僕は、三郎の何を知っていた?)
(彼は、優しい。いつもふざけているけど、結構真面目な処があって。だから、みんなの推薦で級長になった。)
(ろ組とは思えないほどに優秀で。僕は彼に勝てた試しが無い。)
(悪戯が成功すると、とても楽しそうに笑うんだ。)
(やりすぎると、僕が叱って。)
(それにも、三郎は。)
(ああ、そうだ。)
(三郎は、楽しいんだ。)
(嬉しいんだ。)
(だから、彼は此処にいるんだ。)
(僕が、知ってさえしまわなければ…。)
(まだ、間に合う。)
(彼は、きっと僕が彼の真実を垣間見たことを知れば、この学園を去ってしまう。)
(何も言わず。)
(何も残さず。)
(きっと哀しい顔をして。)
(駄目だ!)
(駄目だ駄目だ駄目だ!!)
(三郎がこの学園を去ることなんてあってはいけない。)
(三郎の哀しい顔は見たくない。)
(笑っていてほしいんだ。)
(あの、僕とは違う笑顔で。笑っていてほしい。)
(まだ、間に合う。)
(僕が、何も言わなければいい。)
(……………いや。違う。それじゃ駄目だ。)
(僕が、三郎を守る。)
(三郎が笑っていられるようにすればいい。)
(それが、僕のするべきことだ。)
「決まったか?」
「!!三郎!?」
心の中で決意を固めると同時、すぐ横で聞きなれた声がした。慌ててそちらを向くと、あくびをしながら僕の顔をした三郎が本棚に寄りかかっていた。
「今度はなにを迷ってたのか知らないけど、もう夕食の時間だぞ。」
さすがの三郎も僕の心の中を覗くことはできない。まさかずっとお前のことを考えていたとも言えず、僕はおおいに慌てた。
「よ、呼びに来てくれたの?気配消して近づくことないのに。」
「いや。なんかすっごい真剣な顔してるから、邪魔しちゃ悪いと思って。で、今度はなにに迷っていたんだ?」
にかりと笑う三郎はいつも通りだ。僕も、いつものように微笑んで見せる。
これから、ずっと三郎に嘘を吐き続けるのは辛い、と思う。
でも、君の傍に居たいから。
だから、僕はいつも通りの顔をして嘘を吐く。
「…うん。今日の夕飯。何にしようかなぁって。」
「またか。雷蔵も飽きないなぁ。」
ぷっと吹き出す三郎の顔を僕はたまらない気持ちで見つめた。
三郎。
ねぇ三郎。
三郎が真実の姿を見られたくないならそれでいい。
三郎がこの学園に居たいのならそれでいい。
僕の隣に居てくれるのであれば、それでいい。
僕は、三郎の望む通りに。
ただ君が心から笑って過ごせるように。
僕が、君を守るから。
「じゃあ二人で半分こしよう。」
「そうだね。ありがとう。三郎。」
僕が、君を守るから。
あとがき
思いを伝えて守ろうとした小平太と
思いを伝えずに守ろうとした雷蔵の違い。
忍たまTOP