駆ける物語


いままで、この目を、この髪を、この姿を。嘆いたことはない。
この姿ごと愛してくれる人がいたし、隠すことに抵抗もない。
でも
あの人にだけは
あの人に忌み嫌われることだけは
耐えられないかもしれない。



「はぁ?」
夕餉を食べ終わった後の食堂で、三郎は素っ頓狂な声をあげた。
その声に、目の前で茶を飲む滝夜叉丸が眉をひそめ、「ですから」と続ける。
「七松先輩が変なんです。」
「いやだから。変ってどんな風に?」
三郎は首をかしげて、変な小平太を想像する。
「……いっつも変じゃね?」
「…いやまぁたしかに6年生の方々は私たちには考えも及ばないことをしょっちゅうするものですがそれが6年生の常識であって私たちには図り知れないものがきっと、」
「いやない。ないから。あの人たちは心底最上級学年生活を楽しんでるだけだから。」
パタパタと右手を顔の前で左右に振る。
滝夜叉丸はそれに眼尻を下げてなんとも情けない顔で溜息を吐いた。普段の濃いキャラクターはなりをひそめているらしく、三郎は珍しい後輩の様子をじっと見つめてニヤニヤ笑っている。
その笑みに気がついて、コホンと一つ咳をすると、滝夜叉丸は話を戻した。
「たしかに七松先輩は……多少、変わった方ですけど…。そうでなく、あのいけドンで体力馬鹿で脳みそ筋肉でできてて子供のまま性格が変わらないようなあの人が」
「お前、今暴言を3つぐらい吐いてたぞ。」
「…大人しいんです。」
三郎の茶々を無視して、滝夜叉丸は怪談のオチを話すような青ざめた表情でつぶやいた。
「いえ、大人しいだけじゃないんです。金吾を抱えながらため息を吐いたり、バレーボールの最中だって全然動かないし、今日なんてマラソンを5往復しかしなかったんですよ!!」
ひぃぃぃと体を震わせる滝夜叉丸を見ながら三郎はその姿を想像する
「………キモいな。」
「でしょう!?」
じつに失礼な二人組であるが、それを咎めるような者は今食堂にいない。どこか青ざめた顔を突き合わせ、二人は声を落とした。
「なんだってそんなことになってるんだ?」
「しばらくは、金吾のことで落ち込んでいるのかと思ったのですが…。金吾も無事だったし、あの時は元気だったのに…。」
金吾が山で遭難しかけたのはもう5日も前のことだ。あの嫌なことは寝て忘れる主義の小平太が5日もそんな状態だとは。
「天変地異の前触れだっ!」
「うわ!」
「潮江先輩。いきなり出てこないでください。」
「つまらんな鉢屋。おまえも驚かんか。」
突然現れた潮江が呆れた顔で三郎を見下ろすが、三郎はどこ吹く風で茶を啜っている。
「鉢屋にそんなこと言っても無駄だぞ文次郎。」
「あ、立花先輩。」
「どーも。立花先輩。」
「やあ滝夜叉丸。鉢屋。」
「無駄とはなんだ仙蔵。」
「私の気配もわかるやつだぞ。どんなに気配を消そうが驚いたことがない。お前じゃ無理に決まってる。」
「…本当か?鉢屋。」
「はあ、まあ…。」
「むむむ…。」
腕を組んで唸る潮江を放置して、仙蔵はにこやかに三郎の隣へ腰を下ろした。
「あの阿呆は放っておくとして。小平太の話をしていたのか?」
「はい。」
「立花先輩は何かご存知で?」
「いや。残念だが知らん。が…」
「が?」
「あいつが珍しく誰にも相談してこない。絶対何か隠している。」
そう断言する仙蔵は実に楽しげだ。それを見た滝夜叉丸と三郎は、自分の顔がひきつるのを感じた。
(この人もなぁ…優秀な人なんだが。)
(6年生はやはり6年生か…)
「滝夜叉丸。鉢屋。」目配せをする二人の心を読んだかのように、仙蔵の美しい顔がヒヤリと冷える笑顔を向ける。
「…覚えておくよ。」
「「すみません!!」」
「おら仙蔵。後輩脅してるなよ。」
いつの間にか我に帰っていた潮江が、ドカリと滝夜叉丸の隣へ腰を下ろした。
「人聞きの悪いことを言うな。いまのどこが脅しだと?」
「お前は面が凶悪なんだよ。」
「その科白。そのままお前に返すぞ文次郎。」
「へっ。言ってろ。おい鉢屋。」
「はい?」
「今度手合わせな。」
「うっ…。」
確実に今の貸し分だろう。タイミングを計っていたに違いない。
(これだから6年はっ)
「ん?何か言ったか?」
「いいえ!」
「潮江先輩。立花先輩。それで七松先輩のことは…?」
「ああそうだった。あの馬鹿。馬鹿のくせに一人で悩んでいるんだ。お前たち、いまから5日前のことを何か知らないか?」
その言葉に鉢屋と滝夜叉丸がまた目配せをし、滝夜叉丸がその質問に答えた。
「それが…実は5日前、うちの委員会の1年生の金吾が山で遭難しかけてまして…。七松先輩と先生がたと私で捜索していたのです。」
「ああ、そう言えば夜いなかったな。てっきり鍛錬にでも出たのかと思ったのだが、1年を捜索してたのか。」
「はい。幸い、鉢屋先輩が見つけてくださったので、大事には至らなかったのですが。」
「ん?なんでそこで鉢屋が出てくる?お前体育委員じゃねぇだろ。」
「1年生から聞きだしたんですよ。廊下で団子になって顔突き合わせてたら、何かあったと思うでしょう普通。」
「ああなるほど。は組か。」
「でまあ、事情聞いたら結構せっぱつまってたようなんで私もあとから捜索隊に参加したんです。」
「金吾を探している間も先輩は元気がなかったのですが、見つかったときはいつも通りでした。それなのに、次の日からずっと大人しくて…。」
「「気味が悪い。」」
「…はい。」
声を合わせる6年二人に、滝夜叉丸は目線をそらしながら頷いた。小平太には申し訳ないが、あの姿を見ているとどうも心配より気味悪さが先立ってしまう。
「裏裏山で何かあったのか?」
「さあ…。ひとりひとり別れて捜索していましたし、集合時間まで顔を合わせることもなかったので。」
「私も、最初は七松先輩の所に向かいました。たしかにその時は落ち込んでるようでしたけど、やっぱりすぐ元気になってましたよ。」
「ふぅむ。」
「では、捜索のときはなにもなかったんだな?」
「はい。」
「そうか…。ありがとう二人とも。私はもう少し調査を続ける。なにか思いだしたら連絡をくれ。」
やはり調べなければ気が済まないらしい。仙蔵はいつになく真剣な表情で思案しながら出て行ってしまった。それを潮江が追って、食堂は再び二人きりになる。
「…私らも帰るか。あとは立花先輩がなんとかしてくれそうだし。」
「そうですね…。」


一方。食堂で4年と5年と6年が顔を突き合わせていたころ。
小平太は長屋の自分の部屋でぼんやりと空を見つめていた。
同室の長次といえば、いつものようにマイペースに小さな明かりで読書をしている。いつもと違う小平太の様子にはもちろん気がついていたが、食事も睡眠もとっているようだし放っておいても大丈夫だと判断した。
仙蔵と潮江はなにやら思うところがあるようでなにか動き回っているようだが、これも放っておく。あれらも状況判断はできるのだし、自分たちが手を出すべきでないときはすぐに手を引くだろう。
そう考え、長次は極めていつも通りに過ごしていた。
そしてふさぎこんだ様子が始まって5日後、ようやく小平太が声を掛けてきた。
「なあ、長次。」
「…………なんだ。」
相変わらず視線を下ろしたままの小平太が、ためらうように少しずつ、口を開く。
「赤い目の鬼って、知ってるか?」
「………聞いたことがある。」
「これは、みんなには秘密にしてくれよ?」
「………わかった。」
「私、その鬼に会ってしまったよ。」
「………………。」
長次は思わず振り返る。小平太は先ほどと変わらない姿勢でぽつり、ぽつりと話し続けた。
「裏裏山で。金吾を見つけた帰り道だった。月が明るくて、その目もきらきらしていた。恐ろしくはなかった。美しかったよ。でも…」
「……………?」
「………鬼は、さびしがりなんだそうだ。会ったら『また遊ぼう』と言わなければならないらしい。…なあ長次。」
「…………なんだ。」
「赤目の鬼は、この学園にいるよ。」
「…………。」
その言葉に、長次は目を見開いて絶句した。思わず体が強張るのがわかった。その様子がわかるだろうに、小平太はただ淡々と話し続ける。
「誰かは言わない。あいつは誰かに危害を加える気はまったくないようだから。…鬼は、さびしがりだそうだから。できればこのまま放っておいてやりたいんだ。でも…」
言葉を切り、小平太が顔を上げた。その表情は、まるで叱られるのを怖がっている子供のようだ。
「でも長次。あいつは多分、私が気が付いたことに気付いていないんだ。どうすればいい?長次。私はあいつに話すべきなんだろうか?…でも、でも長次。あいつが誰にも話さずにいるのに、私にばれたと知ったらあいつ……だれにも何も言わずに、消えてしまうんじゃないだろうか………。それは嫌だ。でも、このまま黙っていることも、私には出来そうにない。あいつをずっとだまし続ける自信など無いよ。…長次。…私は、どうするべきなんだろう…。」
「ずっと、それを考えていたのか?」
「うん…。」
またうつむいてしまった小平太に、長次はゆっくりと思案してから呟く。
「……おまえは、どうしたい?」
「へ?」
「お前がそこまで他人のことを考えるのは珍しいが、いつものやり方を忘れてる。いつだってお前は自分の好きにやってきたはずだ。…お前は、どうしたいんだ。小平太。」
「長次…。」
小平太がポカンとした顔で長次を見上げる。目から鱗が落ちたように目を見開いている。やがて、その表情が明るくなってくるのを見て、長次は自分が火種をつけてしまったかと小さく眉をひそめた。
「そうか…!そうだよな!私らしくなかった!ありがとう長次!!行ってくる!」
「どこへ…?」
「鬼を捕まえに!」
先ほどまでのしおらしい様子はどこへいったのやら、小平太は「いけいけドンドーン!!」といつも通りに障子をぶち破っていってしまった。
その様子を目で追って、長次はその鬼へ静かに手を合わせた。これで、その鬼の平安は無くなったも同然だろう。


―5年長屋―
「鉢屋!!鉢屋知らないか!?」
「え?え?七松先輩?」
「お前雷蔵か!相方はどうした!」
「三郎なら、食堂で後輩と話していたようですが…。」
「食堂だな!ありがとう!」
「ちょ、七松先輩!?」

―食堂―
「鉢屋!」
「七松先輩!?」
「なんだ滝か。鉢屋はどこ行った?」
「あれ?さあ?先ほどまでいらしたのですが…。あの、七松先輩?」
「ん?」
「もう、よろしいので?」
「うん?何がだ?」
「いえ、このところ塞ぎこんでおられたようなので。」
「ああ!もう大丈夫だ!」
「そうですか。それはよかったです。」
「うん。じゃあ私は鉢屋を探さなきゃならないから!また委員会でな!」
「はい。ご武勇を祈ります。」
「ありがとう!!」


―渡り廊下―
「お、小平太。」
「もんじ。仙ちゃん。」
「なんだ。もう戻ったのか?こりゃ仙蔵の推理は外れたか。」
「推理?ってそんなことより二人とも!鉢屋見なかった!?」
「食堂にいなかったか?」
「いなかった!」
「では見ていないな。」
「そっか!ありがと!」
「おおっとちょっと待て小平太!」
「なに?私急いでるんだけど!」
「なにすぐ済む。小平太…いまお前が抱えている悩み…それは恋だな?」
「鯉?」
「待て小平太。お前今ぜってぇ違う漢字出しただろう?しんべえかお前は」
「うるさいぞ文次郎。お前は黙ってろ。」
「仙ちゃん見当違いだよ。俺は…。」
「本当にそうか?よく考えてみるんだな。呼びとめて悪かった。急いでいるんだろう?さっさと行け。」
「え?あ、うん。じゃあまたな!」
「ああ。」
「がんばれよー。」



三郎は一人、屋根の上で月見をしていた。
周囲に人気はない。静かな夜にしみじみと感じ入っていると、どこか遠くでドカドカと派手な足音が聞こえる。それはだんだん近くなり、止んだと思えば足元から小平太がひょいと顔を出した。
「いた!鉢屋!!」
「七松先輩?いったい…」
「ちょっと来い!!」
「は!?あ、ちょっとぉぉぉぉ!?」
小平太は三郎の体を一瞬で抱え上げると、高さのある屋根から一足で飛び降りた。それに竦む二人ではないが、突然の小平太の様子に三郎は混乱していた。
落下の衝撃を完全に殺しそのまま弾けるように駆けだした小平太はまっすぐ学園の外へと飛び出す。
「ちょっと!七松先輩!?いきなりなんですか!?」
「いいから!」
「何がいいんですか!?下ろしてください!!」
「下ろしたら鉢屋逃げるだろう!」
「逃げません!」
「嘘だ!!」
「チッ」
なにを言っても無駄だと悟った三郎は腕からの脱出を試みるも、がっちりと胴体に回された腕は噂に違わず馬鹿力でほどけそうに無い。足は自由なのでこれが敵であれば容赦なく攻撃を仕掛けるのだが、小平太相手にそれはできない。それに、いままで塞ぎこんでいた様子だったのがこうもいきなり復活した理由がわかるかも知れないと思うと、このままついていってもいいかと思った。


「…よし。ここまでくれば誰もいないな。鉢屋。周囲に誰かの気配はあるか?」
「…いえ。私たちの他は誰もいません。」
小平太がようやく三郎を下ろしたところは、裏裏山のとある草地だった。周囲は森に覆われ、空から見ればそこだけ皿のように窪んで見えるような場所だ。そこの中心まで行けば、たとえ木の陰に隠れているやつがいても声は聞こえまい。
青々とした草は月光に照らされ時々輝くように揺れている。満月ではないが月は明るく、互いの顔を見るのに苦労はなかった。
小平太の様子をのぞき見れば、三郎を抱えてここまで来たのにもかかわらず彼は息を乱してもいない。それが少し悔しくて睨みつける三郎を小平太はじっと見つめる。
「…やっぱり。」
「は?」
月を背後に背負い、小平太は堅い声で呟いた。その逆光で暗く見える顔はどこか緊張をはらんでいる。
「鉢屋…。お前…、お前が、『赤い目の鬼』なんだな…。」
「!!」
そこまで言われ三郎はようやく理解した。小平太がなぜわざわざ月を背後に立っているのか。なぜ小平太がこんなところまで三郎を運んできたのか。なぜここ最近落ち込んでいたのか。


月の光を吸い上げ、三郎の瞳が赤く輝く。


あの日と同じように―――



  
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