駆ける物語  



三郎の顔から血の気が無くなる。体が小さく震える。
自分の絶対の秘密がばれた。化け物と呼ばれ、鬼子と忌み嫌われ続けた過去が脳裏に甦る。
また、人から離れなければならないのか。
一人でいるのには慣れていたはずなのに。なぜこんなにも、離れることが恐ろしい。
(ああ、私はこの学園に執着している。)
今まで出会った誰より、強く心優しい相棒。三郎を三郎と見てくれる友人たち。懐いてくれる後輩たちに、自分を恐れない人たち。ようやく出会えたと思った。やっと自分も人と混じりながら過ごせるのだと喜んだ。
でも、それは幻。
柔和な雷蔵の顔を借りてできたまやかしの人間関係。その証拠に―、


(この男はここへ私を連れてきたのだ。人知れず、始末するために。)


化け物は、人間にはなれないのだ。と分からせるために。
三郎は俯き、深く息を吸う。悲しみに浸る暇はない。せめてこの男が来たのは、苦しまず死ねるようにと学園側の慈悲なのか。
体の震えが止まり、三郎はその赤い瞳で微笑む。
その顔は、見ているものの心を締め付けるような、悲しい笑みだ。こんな悲しい笑みは見たことがない、と小平太は驚愕した。
「私、あなたのこと結構好きだったんですけど…。」
「え?」
「でも、しょうがないですよね。私のような化け物が、学園にいては他の生徒に差し障る。」
「ばけもの…?」
「しかし、私もただではやられませんよ。」
「待て鉢屋。何か誤解…」
小平太が何かを言いきる前に三郎は一気に肉迫してくる。本能で体を傾ければ、その横を掌底が襲う。
その伸びた腕を掴もうとするが、その手は反対側から側頭部を狙う足を防ぐのに使われた。
ぐんと思いきり体重を乗せられたそれをいなすと三郎もその方向に体を流す。その際に固く握られた拳が眼前に迫るが、それも首をのけぞらすことで回避。
ざ、と一度距離を取る。
頑丈な肉体のおかげで三郎の攻撃を防ぐのに苦労はないが、小平太は困っていた。
(どうしよう…。ぜったい誤解してる…。)
「なあ鉢屋。おまえ誤解してるだろう。いいから私の話を聞いてくれ。」
「……………。」
しかし、今の三郎の目は完全に敵を見る目だ。冷え切った赤い眼差しが、小平太に棘のように刺さる。
それがまるで警戒心丸出しの猫のようで、小平太は思わずため息を吐いた。
(これは力ずくで捕まえて説得するしかなさそうだ。)
「しょうがない。付き合うよ、鉢屋。」
「私だって、やりたくありません。でも、」
でも、と言葉が続かず三郎は口を閉じる。その代り、目に力を入れ、意志を見せつける。

こうするしかないのだと。

先に攻撃を仕掛けてきたのは小平太だ。早く片を付けようという作戦らしい。
それを迎え撃つ三郎は緩やかに構える。武器は持ってきていない。そんな暇なく連れ出されてしまった。しかしおそらく小平太何かしらの暗器を持っている可能性がある。ならば、動きを予測し、かわしつつ肉弾戦に持ち込むしかない。そして隙を見て逃げよう。森に逃げ込めば、勝機はある。
しかし目の前を疾走していた小平太が、いきなり視界から消える。三郎は横に跳び、警戒した。飛び上がり背後に回ろうとした小平太は着地と同時に再び三郎に迫る。瞬き一つの間に眼前まで移動し、鳩尾を狙って拳が振るわれる。慌てて急所から体をずらし腹筋に力を入れて防御する。
ドスッと鈍い音がし、三郎は痛みに顔を歪めたが意識までは飛ばさずにすんだ。おそらく手加減された一撃、骨も折れなかった。小平太に本気で殴られたら腹に穴が開いている。
しかし回避しても油断は許されない。痛みに止まった足が払われる。両手で体を支えれば体はガラ空きになってしまう。三郎は体を丸めるように倒れ、そのまま小平太とは反対側へ転がる。すばやく起き上がれば三郎が倒れたあとに小平太が拳を繰り出していた。低い位置にある首に腕を回す。俯く小平太の表情は、三郎の側からは見えない。
にやりと笑った口元も。
小平太は首に回された腕をその大きな手で掴むと、思いきり引き剥がす。学園に轟くその怪力には三郎も抗うことは叶わず、右腕は完全に小平太の手によって動かなくなってしまった。
小平太は掴んだ腕を思いきり引いた。
抵抗することも出来ず、そのまま三郎の体は小平太の体へ収まる。
「捕まえた。」
その声に三郎は顔を上げる。目の前には、5日ぶりの楽しそうな笑顔があった。
「七松先輩?」
「ん?怪我はないよな?俺頑張ったんだけど、手加減できてた?」
「…いいんですか?」
「なにが?」
「私を、始末するように言われてきたのでしょう?」
「あー。やっぱり誤解してる。」
「誤解?」
「私は鉢屋を殺す気はないよ。武器も持ってない。」
「…では、なぜ私をこんなところに?」
「だって、誰にも知られたくないんだろ?」
「……………………。」
ちがったか?と首をかしげる小平太を、三郎は赤い目でじっと見つめた。
「その割には、気絶させようという意志が見受けられたのですが。」
「だって鉢屋なんか誤解してるからさー。とりあえず気絶させて動けないようにしておけば話聞くかと思って。」
「…私の、この目が、恐ろしくはないのですか?」
少し、三郎の目が揺れる。答えを求めながら、三郎は怯えていた。
この月夜でも太陽のように暖かく笑う人に、忌避されることを恐れていた。
しかし。
「目?ああ!綺麗だな!!というか今更だろう?恐ろしかったら追いかけたりなんかしないさ。」
三郎の目が驚きに見開かれる。そんなことを言うのは養父以外に初めてだ。
そして気づく。自分がまだすべてを見せてはいないことに。
相変わらず小平太は笑顔のままだ。いつの間にか呆けたままの三郎を抱きしめるように腕を回し、その無邪気な黒い瞳が、三郎の赤い瞳をじっと見つめている。
期待してしまう。この男はひょっとししたら自分の姿を受け入れてくれるかもしれないと。
しかし同時に三郎は心で否定する。
そんなことがあるはずはない。
いままで何人もの人が自分を化け物と呼んだ。何人も何人も。数えきれないほど。
自分を人として見てくれるのは、父だけだ。そのはず、なのに…。
「やっぱり鉢屋は綺麗だなー。」
「!!なんですって?」
「うん。鉢屋は綺麗だ。私は、鉢屋のそばにいるのが好きだ。この5日間、ずっと鉢屋のこと考えてた。どうしたら、鉢屋は私のそばにいてくれるかって、ずっと考えてた。いや、そばにいるだけじゃなくて、そばで、笑ってくれるかって。ずっと考えてた。ずーっと考えて、でも方法なんかわかんなかった。だから、直接お願いしにきたんだ。」
「おねがい…?」
「そう。鉢屋、私のそばにいてくれないか?傍にいて、笑っていてくれないか?鉢屋の大切なものは守るよ。鉢屋の想いも。なにより、鉢屋自身を。鉢屋を侮辱してるわけじゃない。鉢屋は強いのはわかってる。でも、鉢屋が傷つくのを見たくない。身体も、心も守りたいんだ。誰でもない。私の手で。鉢屋の傍でだ。私は、それをお前に伝えたかった。そして聞きたい。お前は、私の傍にいてくれるか?」
小平太の言葉が紡がれるたび、三郎は顔が熱くなるのを感じていた。
それは、まぎれもない愛の告白だと、この人は気づいているのだろうか…。
小平太は誠心誠意を込めて「お願い」をしている。きっと無自覚に違いない。
三郎は赤い顔を俯かせ視線を彷徨わせてから、口を開いた。
「条件が…あります。もし、それを叶えることができたら、「お願い」を聞きます。でも…」
三郎はゆっくり顔を上げる。精一杯表情を変えずに小平太を見上げる。
「もし、それが呑めなかったときは、私は貴方の前に二度と現れません。」
「わかった。」
即答に、三郎は目を細めた。
「…では、場所を変えます。付いてきてください。」
「うん。」



そして森を疾走し、辿り着いたのは見逃してしまいそうなほど小さな泉。生い茂った木々から漏れる光にきらきら反射している。
「ここか?」
「はい。」
答えながら三郎は髪、正しくは鬘に手を掛ける。激しい動きでも外れないよう頑丈に留められたそれを慎重に外すと、中には黒々とした髪がまとめられていた。それも紐を外し、ばさりと下ろすと、ゆっくり髪を泉へ浸す。
暗い森の中では、三郎の動きしか分からない。小平太は黙ってその様子を見つめていた。
しばらく待つと、三郎がザバッと音をさせて顔を上げる。
小平太は、5日ぶりに驚愕に目を見開いた。
三郎の髪は、雪のように白く染まっていた。いや、染まったわけではない。戻したのだと、今までの行動で分かった。
「あなたは、これを見ても、私を人と呼びますか?」
ポタリ、ポタリ、と雫が三郎の足元にこぼれる。
三郎の姿はちょうど光の当たるところにあり、光を吸った赤い瞳と、月光に輝く白い髪、そしていつの間に変えたのか、おそらく三郎本人の素顔であろう美しい顔が小平太に向いている。
小平太の頭の中は、真っ白になっていた。


美しすぎて。


さっきから行動を共にしていなければ、確かにこれは鬼か神か天女かと間違えるかも知れない。
瞬き一つせず目を見開いたまま三郎を見つめるその姿に、三郎の顔が俯く。
悲しげなその顔に我に帰って、小平太はあわてて瞬きをした。
「三郎、なんだよな。」
「はい。」
「…なんだ。そっか。そうだよな!!さっきからずっと一緒にいたもんな!!あんまり綺麗だから、天女が三郎と入れ替わったかと思った!!」
「……………はい?」
「なあ、触ってもいいか?」
「え?あ、はい。」
小平太はまるで臆病な動物に触れるような仕草で、ゆっくりと三郎へ手を伸ばす。
無骨な手に似合わず優しい手付きでそっと白い髪を一房手に取った。するりと指を撫でるそれはまるで絹糸のよう。その手で今度は三郎の顔へ手を滑らせる。滑らかな頬は、確かに生身のそれだ。
「……綺麗だ。すごく、綺麗だ…。」
どこかうっとりとした声で小平太が呟くのに、三郎は皮肉気に口を歪ませた。
「化け物のように、ですか?」
「ん?なんでだ?」
「でなければ、人外のように、とでも言ったほうが聞こえはいいですか?」
「三郎、さっきから何を言っている?三郎は三郎だろう?天女でも鬼でも化け物でもない。三郎という、いきものじゃないのか?」
「…………。」
心底不思議そうに首を傾げるこの男を、三郎は見つめたまま動けずにいた。
そんなこと言われるとは思わなかったから。
愛しそうに髪を撫でるその手も、うっとりと細められた目も、静かな微笑みを浮かべる顔も、すべてが向けられたことのないものだから。
養父の子供にするような乱暴な手つきではなく、まるで、恋人、にするような。
「あなたは…」
顔を真っ赤にした三郎はそこで言い淀む。
言葉にできない思いが体中を駆け巡る。
「なあ鉢屋。私のそばにいてくれるだろう?わたしは…そう多分、お前のことが好きなんだ。
言いながら、小平太は先ほど仙蔵に言われた言葉を思いだしていた。
ずっと三郎のことばかり考えていた。
綺麗な動きが好き。透きとおったような空気を纏う姿も。仏頂面も、すねた顔も、今目の前にあるような真赤な顔も好き。
「でも、やっぱり笑った顔が一番すきだなぁ。」
「七松、せんぱい…。」
もうだめだ。と三郎は思った。
嬉しい。嬉しい。とその言葉だけが頭を支配している。何も考えられないほど、三郎は喜びに満ちていた。高ぶった感情のままに、赤い目から涙が零れ落ちる。
「え!?は、鉢屋!?私何かまずいこと言ったか!?やっぱり私の言葉じゃだめか!?」
おたおたと慌てる小平太はやはりいつも通りの姿で、なんの飾り気もないその姿に笑いがこぼれる。先ほどの痛いほどの切なげな笑みではなく、心からの喜びの笑み。
いままで見たことのない鉢屋のその笑みに、小平太は思わず見惚れてしまった。
動きの止まった小平太に、今度は三郎から抱きついた。
初めて腕を回すその体は大きくて力強い。三郎は安心したように息を吐いて頭を擦り付けた。
その三郎の仕草に、小平太はどうしようもなく胸が高鳴る。自身の体にすっぽりと収まる体は細く、抱きしめれば折れてしまいそうに感じた。
「七松先輩。」
「お、おう!?」
「あなたは、私のそばに…いてくれますか?」
「違うぞ鉢屋!」
「え?」
即答での否定に、三郎の顔が翳る。その顔を見下ろして、小平太は満面の笑みで訂正した。
「わたしが!そばにいたいんだ!!」
「先輩…。」
「鉢屋。私のそばに、いてくれるか?」
その言葉の、三郎も心から笑みを浮かべる。
「わたしも、あなたのそばにいたい。」



月明かりの下。
悲しい顔の寂しがり屋の鬼は、ずっと一緒にいてくれる人を見つけた。
ずっと、ずっと。ともに生きて行ける人を見つけて、鬼は、人になった。



あとがき
第一部完結です。
三郎の生い立ちについては、番外編でご覧ください。


  
忍たまTOP