天然
学園内でまったく静かな場所というのは実は少ない。
その数少ない内の一つである木陰が、今の私のお気に入りだ。
最初は本を読むつもりだったが、あまりにも良い天気だったのでそのまま空を見上げていると、すぐそばで慣れた気配がした。
(ハチ!?)
密かに思いを寄せている同級生が近くにいる。それだけで動揺してしまう自分が情けない。
ガサガサと音をさせながら近づいてくるその気配に私は慌てて傍らの本を手に取った。
それと同時、ひょっこりと茂みの中から竹谷の顔が現れた。
「…三郎?」
「なんだ。」
ぺらり、と読んでもいないのにページを進める。顔が赤くなっていないか心配だ。ああなぜ私はこいつの前でこんな格好付けたがるんだ!決まってる!こいつが好きだからだ!
しかし、次の言葉に思わず本を落とさなかった自分を最大限に褒めたい。
「…なんでお前、上下逆にして読んでるんだ?読みづらくないかそれ?」
(しまった!!馬鹿か私は!?)
「…忍者はどんな状態でも即座に字が読めるようにしなけりゃならんだろう。」
さすがに苦しい言い訳かと思ったが、竹谷は微妙な顔をしながら
「…そうか。そんなことまで考えながら本を読むとはさすがだな。」
と納得した。…こいつが阿呆でよかった。
先ほどから波打つ心中を懸命に抑えつけているというのに、竹谷は私の真横に来て、なぜかじっと私を見つめてきた。
居心地が悪いにもほどがある!
「…虫を探してるんじゃないのか。」
ぺらり、とまた読んでもいない本のページを進める。竹谷に見られている頬がチクチクする。落ち着かない。
それなのに、竹谷はなんでもないように私を見つめながら「まぁな。」と苦笑した。
「今回逃げたやつは対して害があるわけじゃあないが、早く捕まえてやらならいと。」
「なら。」
その言葉に身体が勝手に反応した。パタリと本を閉じてしまう。…どうせ読んでいないのだからしおりなどどうでもいい。
「私も手伝ってやろう。」
「ホントか!?」
とたんに、私の大好きな笑顔になった。それがなんだか眩しくて照れくさい。
「もうすぐ夕餉の時刻だ。お前はともかく、下級生たちが夕食を食べられなくなるのは可哀想だからな。」
「ありがとな!!」
「礼は虫を見つけてからだ。」
恥ずかしいときにそっけなく心にもないことを言うのは私の悪い癖だと、先日雷蔵にもたしなめられたというのに。まだ治りそうにもない。
内心で自分への呆れと、これから竹谷と居られるという喜びで複雑な気分になりながら起ちあがり、汚れを払った。
雷蔵から借りた本は大切に懐に仕舞い、にやけそうになる顔を竹谷から隠すように背を向けた。
しかし
「三郎。」
真剣な声と共に腕を掴まれ引き寄せられる。
「なん…っ。」
「動くな。」
めったに聞かない真剣な、いつもより低い声。気が付けば私の身体は互いが触れ合うほどに近づいていた。
すぐ目の前に、竹谷の肩あって。
太陽と、土の匂いがして。
思わず息を飲んだ。
そのまままったく動けず固まっていると、「ん。とれた。」といつも通りの軽い口調で竹谷が離れた。
「………は?」
思わず呆けた声が出てしまった私にかまわず、竹谷は手の中のモノを私に見せる。
「一匹目。さすが三郎だな!もう捕まえてた。」
(……………虫。)
何度か瞬きをして確認して、思考がようやく落ち着いたころ。自分がひどく期待していたことに気が付いて、妙に腹が立った。
「まだ見つける奴がいるんだったらさっさと行くぞ!!」
言い捨てるように再び背を向けさっさと歩きだしても、竹谷は分かっているのかいないのか
「おー。ちょっと待てって。今合図出すから。」
と呑気な声で笛を吹いていた。
結局、全ての虫を回収すのに随分時間がかかってしまった。
探している間、真剣な顔をしていた竹谷に何度か見とれていたのは秘密だ。
もちろん、私も竹谷が虫たちを自分の子供のように可愛がっているの知っていたため、同じように真剣に探していたが。
…竹谷が大切にしているものは、私だって大切にしてやりたいんだ。
最後の虫を虫籠に入れると、竹谷はとても晴れやかな笑顔で私を振り返った。
「これで全部だ!ありがとう三郎!」
「いや…私は、別に……い、一年生たちがかわいそうだったから!」
私の悪癖はやはりこの数時間で直すことは無理なようだ。
しかし、竹谷は気にした様子もなくただ笑って言葉を続けた。
「うん。三郎が手伝ってくれたおかげであいつらも早く帰してやることができた。三郎のおかげだよ。」
その、最後の言葉に、なんだか胸が苦しくなる。
私は、ただ竹谷の傍にいたかっただけなのだから。
赤くなった顔を見られたくなくてそっぽを向いてしまう。だというのに、竹谷はそんな私の態度を不快に思うことなく「そうだ。」と言った。
「礼をしなきゃな。何がいい?」
「え?」
「あ。宿題代わりにやるとかそういう無理なことは言うなよ。お前の方が成績いいんだから。そうだな…、今度はお前の仕事を俺が手伝うとか…なんなら今度街に饅頭でも食いにいくか?奢るからさ。」
礼。
礼など、されるようなことはしていない。とまず思った。私は私がしたかったことをしただけだから。
でも。
でも、もし叶えてもらえるなら。
「……おまえのところに居たい…。」
「ん?なんだ?」
俯いた私の小さな声は竹谷に届かず、問い返される。今の言葉をもう一度言うためにもう一度勇気を振り絞る。
「…きょう、お前の部屋に、と、泊りに行ってもいいか?」
今度はきちんと聞こえたようで、きょとんとする竹谷に少し不安になった。
ああ。変な奴だと思われただろうか?
「俺の部屋?いいけど。散らかってるぜ?」
しかしあっさりと許可が出て、私は勢い込んで頷いた。
「いい!大丈夫だから。」
「そうか?ああ今雷蔵いないんだったか。お前、寂しがりだもんな。」
ポンポンと優しく頭が撫でられる。
この手も、私は大好きで。
嬉しさと恥ずかしさで顔が熱い。おそらく変装ではごまかせないほど顔が赤くなっているはずだ。竹谷の視線を感じる。ああ、なんて言い訳しよう。
「お前、随分顔が赤いな。あ!風邪ひいたか!?」
慌てた様子で竹谷が私の額に手を当てる。
思ってもみない解釈に驚いたが、竹谷が互いの額を合わせたのにさらに驚いた。
竹谷の吐息が触れる。額に熱が集まっているのが分かる。少しでも動いた触れてしまいそう。動けない。
「少し熱っぽいな…。三郎?」
「あ…う…お、お前…。」
「?なんだよ。」
再び固まってしまった私をよそに、竹谷はあっさりと離れてしまった。
お前絶対わざとだろう!私の気持ちを知っていてわざとやっているだろう!!とよほど叫んでしまいたかったが、竹谷は首を捻っていて、本気で分かっていないのだとそのまま脱力した。
(…天然て恐ろしい。)
心中での呟きを落とす。ため息を吐く私に竹谷が近付いているのも知らず。
「三郎。行くぞ。」
「は?うわあ!!」
突然身体が浮き上がる。身体の下に力強い腕を感じて、私を抱きあげている竹谷を見つめた。
「お前やっぱり風邪ひいてるだろ。抱えて行ってやるから大人しくしてろよ。」
「い、いらない!!自分で歩く!!」
冗談じゃない!!こんなの私の心臓が持たない!!
しかし竹谷は残酷に私を暴れる抱え直す。
「なに遠慮してんだ。下手に風邪こじらせてあとで雷蔵に叱られてもしらねぇぞ。」
「いいから!!大丈夫だから!!」
「大丈夫じゃないやつほどそういうことを言うんだ。良いから大人しく運ばれてろよ。」
な。と笑う竹谷に何も言えなくなる。
本当は同じ年の男を姫抱っこするなんて何考えてんだとか。女扱いするなとか。私はそんな弱くないとか。お前が好きだから顔が赤いだけだとか。
本当は色々言いたかったけど。よく考えたらとてもこれは幸福な状態だと思いなおして大人しく竹谷の身体にもたれてしまった。
その力強い身体にさらに顔が赤くなるのを自覚しながら。
学園に戻ってまっすぐ医務室に向かおうとするのを必死で止めて(だって私には原因が分かってる)、「寝てれば治るから!」と頼みこんでようやく長屋に向かった。
それで、そのまま私たちの部屋に帰るものだと思ったのに。
「それで、なんで、お前の部屋なんだよ…。」
部屋についてからずっと疑問に思っていたことをようやく口にすると、竹谷はきょとんとして
「だって俺の部屋泊るんだろ?」
とのたまった。そういえばそうだった。姫抱っこで頭の中から吹き飛んでいたが。
「そう、だけど…。なんでもう布団まで…。」
「だってお前熱あるんだからもう休んだほうがいいだろ。ほら、もう横になってろ。飯は今持って来てやるから。食べられるよな?」
私を布団まで運び、甲斐甲斐しく世話を焼く竹谷に内心ときめきながらふと思いだす。
「ああ…。だけどお前はどこで寝るんだ?」
「あ。あ〜〜。」
困ったような顔。忘れてたなこいつ。
それなら私が部屋に帰ると提案しようとしたところ、それより一瞬早く笑顔になる。
「あ。三郎の貸して。」
「はぁ!?」
「いいじゃん。お前そっちで寝ろよ。俺は三郎の借りるから。」
「なんでだよ!!どうせ私の布団を持ってくるなら私が自分ので寝るよ!」
「まぁたまにはいいじゃん?ほら。今持ってくるからお前は寝てろ。」
「ハチっ…わぷっ」
そんな軽い言葉ですまされてたまるかと反論する前に上掛け布団が私に覆いかぶさってくる。
「ほれ。ちゃんと布団に入ってるんだぞ。これ以上熱上げたら本気で雷蔵の雷が落ちるからな。」
「ハ、」
ハチと呼びとめる前にパタリと戸が閉められてしまった。
私は頭に被さった布団を剥いで、周りを見渡す。
散らかっていると竹谷は言っていたが、高学年にもなればそうひどい有様にもならない。せいぜい机の上に筆が転がっていたり、床に何冊か本が重ねられているくらいだ。
それすらも無い私たちの部屋のほうが、おかしいのだろう。
ぽすりと布団に埋まると、ふわりと自分とは違う匂いがした。
その正体を知って、一人再び顔が赤くなる。
「乙女か私は…。」
一人呟きながら、心が躍るのを止めることはできない。
少し散らかった部屋。
彼の匂いのする布団。
彼の気配のする部屋。
全てが竹谷に包まれているようで、安心する。
いつの間にか、三郎はゆっくりと眠りに落ちていた。
しかし、その眠りは浅かったのか戸の開く気配に意識が浮上する。
「さぶろー。めしと布団持ってきた…。」
(ハチ…。)
目は閉じたまま、意識だけがぼんやりと浮かんでいる。寝たふりをしているわけではないのだが、この空間が気持ちよくて、そのまま再び眠ってしまいたかった。しかし
「かわいいなぁ、まったく…。」
ととても優しい声音で聞こえた声に、一気に覚醒した。
不自然にならないように布団で赤い顔を隠す。
そして「おやすみ」ととても穏やかな声がして、明かりが消えた。
もちろん、その夜はもう眠れなかった。
あとがき
三郎視点でした。三郎いっぱいいっぱい(笑)
このままだとくっつく予感がしないなこの二人…。
竹谷の方で雷蔵が怒ってたのは三郎が寝不足の理由を勘繰ったからです(笑)
竹谷視点→「ツンデレ」
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