双つの物語 2
午後の実技は武器使用可個人戦の勝ちあがり戦だった。三郎は審判。最後の優勝者は彼と戦うらしい。三郎のハンデ付きで。彼はそれだけの実力の持ち主だから、誰も文句など出なかった。
試合が行われている間は他の者は見学に回る。
一組目が試合を開始したと同時に、聞き逃してしまいそうなほどごく小さな矢羽音が耳に入った。
『雷蔵。もう大丈夫か?』
ハチだ。僕ら四人は自分たちで特殊な矢羽音を作り出していた。これがわかる残りの三郎は(多分)真剣に試合の審判を行っている。こんなに小さな音はさすがの彼も拾えないはずだ。
僕らは何食わぬ顔で隣同士座りながら会話する。
『うん。ごめんね。心配かけてしまった?』
『っていうか驚いた。お前があんな怒るなんて、久しぶりだからな。』
『ああ…そうかもね。』
『…三郎。七松先輩と何があったんだろうな?』
『わからない…。昨日、七松先輩に誘拐されてたけど…。』
『ちょっと待て。思いっきり何かあるじゃないか。何だ誘拐って。』
『突然七松先輩が「鉢屋はどこだ!」ってやってきて。僕のところにはいなかったからそのまま出て行ってしまったんだけど。
三郎が帰ってきたとき、…泣いた、跡があった。』
『え?三郎が?』
『うん。三郎は、「なんでもない。」って言っていたし、なによりとても幸せそうな顔をしていたから。放っておいたんだけど。…やはり聞くべきだったかな。』
「勝者赤!第一試合終了!次の組は前に出ろ!」
第一試合が終わったらしい。僕らは一度会話を中断する。再び試合が始まってから再開した。
『聞いても話すとは思えないがな。』
『そうだね。でも…何があったんだろう。』
『…三郎の、素顔がばれた、とか?』
束の間、沈黙が僕らの間で揺れる。目の前では同じろ組の二人が真剣に戦っていた。肉弾戦の鈍い音が中庭に響く。試合は長引きそうだ。
『…まさか。このところ三郎だって気をつけている。僕らの出番だって無かったじゃないか。』
『相手は6年だ。可能性は無くもない。七松先輩の行動が素早すぎて、俺らが追いつけなかったのかもしれない。』
『それは…。』
あり得ない。とよほど言えればよかった。しかしそれ以外に三郎があんな表情をすることがあるだろうか?あんな、幸せそうな、
嬉しそうな、信頼しきった顔を。
七松先輩は三郎の素顔を見た上で、それを受け入れ、三郎に告げたというのか?
僕が、成し得なかったことを、あの人はしたのだろうか?
再び胸がざわつく。ならば、先ほどの笑みはやはり嘲笑の笑みか。
臆病者と。笑ったのか。あの男は。
「むかつく。」
声に出して言うと、ハチを含めた周囲の人間がぎょっとした顔で雷蔵を見た。
いままで、彼を、三郎を守ってきたのは僕らだ。
僕が始めに、彼の秘密に気づいた。彼が決して素顔を明かさない訳も。次にハチ。そして兵助。僕らは、彼を守ると誓った。決して彼にばれないように。彼を傷つけないように。
もし僕らが気がついたことを三郎が知ったら、彼はきっと僕らから距離をとる。それが僕らの共通の予想だった。だから、僕らは口を閉ざした。
「鳶に油揚げだ…。腹の立つ…。」
「あの…雷蔵さん?また顔が怖くなっていますよ…?」
ハチの顔が引きつっているのがわかる。自分でもどす黒い気配が体を取り巻いているのがわかる。
「勝者赤!第二試合終了!次の組は前へ!」
丁度よく、僕の番が来た。立ち上がり、試合の場となる環の中心へ進む。前の試合者から白い布を受け取り腕へ巻いた。
「礼!」
「……………………。」
ただならぬ僕の気配を感じたのだろう。対戦者の顔が引きつっている。それでも、僕は容赦をするつもりはない。せいぜい八つ当たりさせてもらおう。
緩やかな構えをとる。武器は必要ない。素手で十分だ。
「始め!!」
先に僕が相手に飛びかかる。そんなに長引かせるつもりはない。
まっすぐ向かう僕に向かって驚いた顔しながら彼は苦無を構える。その刃が届くぎりぎりのところで僕は足に力を込めて跳び上がった。
相手からは突然姿が消えたように見えただろう。薙ぐように振るった苦無が空を切る。僕はそれに掠ることなく背後に着地。足をふりあげ苦無を跳ね飛ばす。
慌てて振り向きつつ僕から距離を取ろうとするが、もちろんそんなことは許さない。僕は拳で彼の効き腕である方の右肩を強打する。
「ぐぅっ。」
折れこそしないものの、僕の一撃は腕がしびれるだろう。これで腕はしばらく使えない。動きが止まったところで今度は左足の脛を蹴り上げる。こちらも手加減したので折れることはないが、急所の一つ。冷や汗が出るほど痛いだろう。試合が始まってまだ少ししかたっていないのに、彼の息はすでに上がっている。
「しょうがない。もう終わりにしてあげるよ。」
さすがに八つ当たりはもう十分だ。頭がすっきりしたとたん同級生が哀れになってきた。それをしたのは自分だというのに身勝手だ。自分で自分に苦笑する。
僕の言葉に目を開いて防御しようとするが、その前に僕の拳が彼の鳩尾をえぐった。
「かはっ。」
空気を絞りだすような声を出して、彼は気を失う。
「勝者白!第三試合終了!雷蔵やりすぎ。ハチ!こいつ医務室連れてってやって!」
「ええ!?なんで俺よ?雷蔵がやったんだから雷蔵が連れていくべきだろ?」
「雷蔵にそんな重労働させられるか!!今試合やったばっかなんだぞ!」
「さ、三郎。僕がちゃんと連れていくから。別に疲れてないし。」
「いーや!ハチにやらせる!」
「鉢屋!!いいからさっさと試合を進めんか!不破!お前がそいつを医務室に連れて行ってやれ!」
「はい!」
「えええええええ!!」
「だよなー。先生分かってるぅ。」
「ハチ!」
「鉢屋!さっさとせんか!」
「はぁぁい。雷蔵。一人で大丈夫か?ほんとにハチ連れてってもいいんだぞ?」
「大丈夫だよ三郎。僕が悪いんだし。あ、これ次の白布と赤ね。」
「あ。悪い。ありがとな。じゃあ気をつけて行ってこいよ!」
「医務室に行くだけだって…。」
「鉢屋ァァァァ!」
「はーい!!」
「じゃあね三郎。審判頑張ってね。」
「うん!!」
笑顔で頷く三郎はやっぱり可愛い。
僕は心が癒されていくのを感じながら、殴り倒してしまった同級生を背負う。
落ち着いて考えると、やっぱり申し訳ない気がしてくる。今度まんじゅうでもおごらせてもらおう。
中庭から医務室はさほど離れていない。僕は疲れることなく医務室に辿りつき、障子をあけた。
「おや。今日は不破かい?」
「善法寺先輩。新野先生はお休みですか?」
「うん。4年の実習について行かれたよ。あの学年の実習は絶対けが人が出るからねぇ。今度は田村か平か、それとも巻き添えのだれかか…。」
「はは…。なるほど。」
「その背負っている彼がけが人かい?」
「はい。思いっきり鳩尾を殴って気絶させてしまいました。あと、右肩と左足に打撲があります。」
「おや。不破がやったの?珍しいね。」
「ちょっと…イライラすることがあって…八つ当たりしてしまいました。本当はもっと上手く出来たはずなのですが、必要以上の怪我をさせてしまった。」
「うん。反省してるなら、きっと許してくれると思うよ。さて。じゃあ治療をしよう。手伝ってくれるかい?」
「はい。」
保健委員の人たちは、みんなどこか心をほっとさせる。口がゆるんでしまわないようにするのが大変だ。決して必要以上に首を突っ込んでは来ないが、この穏やかな空気の下、何もかも吐露したくなってしまう。
彼も、僕のように心の中が波立つ時があるのだろうか?
1年生たちは、僕が怒ったところが想像できないという。いつも穏やかな優しい人だと慕ってくれる。それでも、こうして心がざわめくのは僕がまだ未熟だということなんだろうか?
この人はどうなんだろう。
人命を第一に考え、敵味方区別なく治療し、僕と同じように優しい、いい人だと慕われているこの先輩は。
やはり、僕にはこの人が我を無くすことなど想像できないのだけれど。
「不破。薬を付けるから体を起してやってもらえるかい?」
「あっはい。」
ぼんやりと考えていたところを、善法寺先輩の声で我に返った。言われた通りに同級生の上半身を起こし、着物をくつろがせる。
「うん。ありがとう。ちょっとそのまま支えててくれ。」
「はい。」
目の前で塗られる薬は薬草の青臭い匂いと何か不思議な香りが混ざっていて、どんな種類の調合なのか僕には検討もつかない。
じっとその様子を見ていると先輩は安心させるように微笑んで僕に言った。
「大丈夫だよ。この薬はよく効くんだ。」
「はあ。」
「まったく文次郎や留なんかは僕が薬を出すたびに警戒してくるんだから。そんなに実験扱いされるのが嫌なら怪我を減らせばいいのに。」
「実験扱いしてたんですか…。」
「あいつらに普通の薬を使うなんてもったいなくてね。それなら医療の発展に身をもって貢献すべきじゃないかい?」
「いやぁ…。ははは。」
微笑む先輩の目は笑っていない。そして僕は笑うしかできない。
なんとなく、さっきの疑問が晴れた気がする…。
…怪我を増やさないように気をつけよう。
その時、ドスドスと乱暴な足音が聞こえてきた。
近づいてくるその音に振り返ると、スラリと戸を開いたその先に、今一番見たくない顔があった。
「小平太。どうしたの?」
薬を手に善法寺先輩が目を丸くしている。それもそのはずで、怪我ひとつ無くこの男が来るのが珍しいのだろう。
七松先輩はいつものように笑いながら背後を指さす。
「課題から帰ってきたやつらが怪我と疲労でここまで来れそうにないんだ。いさっくん。来てくれないか?」
「君が連れてくればよかったのに。」
「人数が多すぎるんだよ。あれならいさっくんを呼んだ方が早い。」
「そんなに!?わかった。すぐ行くよ。あ、不破。」
「っはい。」
急に名前を呼ばれて振り返る。
「彼の治療はもう終わってるから。このままここで寝かせてあげて。君も授業に戻るといい。」
「あ…わかりました。ありがとうございました。善法寺先輩。」
「かまわないよ。それが仕事だからね。でも怪我はあんまりしないように。さて、小平太。また怪我した馬鹿どもはどこだって?」
「…正門の前。いさっくん。先に行っててよ。私もすぐ行くから。」
そして七松先輩はちらりと私を見た。
善法寺先輩はその意味を汲み取って、首を傾げつつも頷いた。
静かな足音が聞こえなくなるのを待って、僕は口を開いた。
「…………僕に何か御用ですか?七松先輩。」
いつもの顔などかなぐり捨てて無愛想な声で七松先輩を見上げる。いまや完全に、この男のことが気に食わなくなっていた。
目が合うと、七松先輩も真剣な顔で僕を見降ろし、それから正面へ胡坐をかいた。
「…三郎のことだ。」
ぴくりと肩が動く。そんな親しげに三郎の名を呼ぶことにも、これからする話の予感にも。
そんな僕の動揺など見透かしているように目を眇めて、七松先輩は言葉を続ける。
「不破は、三郎のことを知ってるな?」
「……………………。」
疑問でも、質問でもなく。断定。
僕はただ先輩を睨みつけていた。
彼が三郎になにかするつもりなら、今、たとえ返り討ちになろうと構わない。口を塞がなければ。
そんな僕の覚悟を知ってか知らずか、警戒心に満ちた僕を見た七松先輩はため息をついた。
「…やっぱり、知ってるんだな。」
「…………………。」
僕も、先輩と同じ言葉を胸中で呟いていた。やはり、この男は気が付いたのだ。三郎の秘密に。
「いつ、気が付きました?」
「ん?」
「三郎のことを。いつ、気が付いたのですか?」
「ああ。六日前だ。」
それを聞いて僕もまた、目を眇めた。
やはり、早い。少なくともいままでの奴らのようにはあまり悩まなかったらしい。
「不破は、いつ知ったんだ。」
「五年前。」
今度の疑問には即答する。七松先輩の目が驚きに見開かれた。
「いままでずっと同室だったんです。気が付くに決まってるでしょう?」
「いままで、ずっと黙ってたのか…?五年間も?」
「ええ。五年間ずっと。これからも黙っているつもりです。」
「……………。」
今度は七松先輩が口を閉ざしてしまった。目は驚きに見開かれたままだから、言葉が出ないのかも知れない。
今度はこちらから問いかける。
「先輩は、どうして三郎に告げたのですか?」
「…どうしてわかった?三郎が言ったのか?」
「まさか。言うわけないでしょう。顔を見ればわかります。」
あんなに嬉しそうな顔。そうでなければ説明が付かない。
吐き捨てるように言葉を紡ぐ私に七松先輩が情けなく目尻を下げた。
「…なあ。なんで私は不破に殺気を出されなければならないんだ?」
「……それは失礼。」
あからさまだった敵意を奥底へしまい、僕はいつもの笑みを無理やり浮かべた。
「七松先輩。なぜ三郎に告げたのですか?彼が逃げるとは考えなかったのですか?」
「……逃げる前に捕まえたからな。逃がさないさ。」
先ほどよりも顔を青ざめさせた七松先輩が目をそらしてぼそぼそと呟く。
「それよりも、なぜ不破は言わなかったんだ?…五年間も」
「三郎が望まないから。」
僕は七松先輩を見据え、迷うことなく断言する。
「三郎は僕らに秘密がばれることを心から恐れているから。そんなことになったら彼が迷わず去ってしまうことが、僕らにはわかっていた。だから、言わなかった。」
「…僕ら?」
はたと、七松先輩はまた僕の顔に目線を戻す。
「まさか、この五年間に三郎の秘密を知っているのが自分だけだとでも思ったんですか?僕らは皆、三郎に黙っていることを誓った。彼の意に沿わぬことが起こらないよう今まで彼を守ってきた。それなのに…っ。」
先ほどの怒りが甦る。彼の安心しきった笑顔。その笑顔を手に入れるために、どれだけの時間を費やしたか。彼の心を平安に保つために、僕らがどれだけ苦心したか。
「あなたはっ…。僕らが成し得なかったことをいとも簡単にやってしまった!僕たちが五年間封じ続けてきた秘密をあっさりと破って!!」
ギリリと拳に力が入る。必死に飛びかかりたい衝動を抑え、目の前の男を睨みつける。
「あなたは、三郎の何なのですか?」
目で射殺さんばかりの殺気を含んだ視線を、彼は正面から見据える。
「私は――、」
「あれ?鉢屋先輩。こんなところでなにしてらっしゃるんですか?」
「あ!乱太郎!!しーっ!!」
突然聞こえた声に重苦しい空気が一気に霧散する。そして僕は続けて聞こえた声に顔から血の気が引くのがわかった。
首から下が死んでしまったかのように動かない。しかし、冷や汗はとめどなく流れていた。
七松先輩はそんな僕にかまうことなく立ち上がり、戸を開けた。
そこにいたのは、気まずそうな顔した三郎と、よくわかっていないという顔をした乱太郎くんがいる。
三郎は僕と眼が合うと、戸惑いに揺れた瞳で見返した。
あの、赤い瞳で。
「不破。質問に答えよう。」
僕らの視線の間に、七松先輩が割り込んでくる。その顔はいつものように不敵に笑い、手には三郎の腕が引き寄せられていた。
「せ、せんぱい?」
戸惑う三郎を抱きしめ、彼はその額に口づける。
「!!!!」
咄嗟にその手を切り裂いてやろうと一瞬で苦無を取り出し間合いを詰める。
しかし、この男は僕の大切なものを抱きしめて離さない。
「わたしは、三郎と生涯を共にする誓いをしたよ。」
頭の中が真っ赤になるのが分かった。
苦無をその体に突きだそうとしたその瞬間。愛しい声が聞こえた。
「雷蔵!」
ぴたりと体が止まる。顔を上げると、僕と同じ、でも愛しい彼の顔が泣きそうに歪んでいる。
「雷蔵。お願いだ。」
「…三郎。」
「この人を、傷つけないでくれ。…お願いだから。」
その言葉に、すぅと頭の熱が下がる。
苦無をしまい、彼らの正面に立つ。
憎い男は真剣な顔で僕の大切なものを抱きしめ、僕の、一番大切な彼は、涙をその目のふちにためて僕を見つめていた。
「らい、ぞ」「三郎。」
言いかけた彼の言葉を鋭く遮る。
視線に毒が籠もってこの男を殺せればいいのに。そう願いながら睨みつける。
「僕は、認めない。」
ひくりと三郎の肩が揺れる。
そんな愛しい彼に、僕の願いが届けばいいのに。
「僕は、認めない。」
そして、僕は負け犬のようにその場を去った。
あとがき
あああああああ。
怒れる雷蔵様は最強です。でもジョーカーは三郎。
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