君の傍に居るために  前編


「三郎!!」
そう名前を呼ばれる度、何度涙が零れそうになっただろう?
「雷蔵。」
そう名前を呼ぶ度、何度君から目を逸らそうとしただろう。
それでも君から目を離すことなど出来なくて。私はただ眩しい笑顔に目を細めた。
「どうした?」
「捜したよ。なんだってこんなところで寝転がってるんだお前は。」
呆れたようにため息を吐く雷蔵に体を起こす。同じ高さになった視線に微笑めば、また違う種類のため息を吐かれた。
「…君の後輩が探していたよ。」
「庄左ヱ門と彦四朗?」
「そう。その二人。」
雷蔵が頷いて、ふわりと柔らかい髪が揺れるのが見えた。私は考える振りをしながら目線を逸らすが、突然体が何かに引かれてそちらに目を移してしまう。
雷蔵の手が、私の手を取っていた。
目の前で揺れる髪を見ながら、私はただ「雷蔵?」と上ずった声で名前を呼ぶことしか出来ない。
私の驚いた声が面白かったのか、雷蔵はくすくす笑い、歩きながら振り返った。
「考えるより前に、行動した方が早いだろう?」
「…なるほど。」
どうやら庄左ヱ門たちのところへ連れて行ってくれるつもりらしい。
私はじっと繋がれた手を見つめながら俯き歩く。
だって。前を歩く雷蔵は見れないし。
繋がれた部分を見ていたいし。
赤くなった顔を隠していたい。
だって、私は雷蔵が好きだから。


いつから雷蔵のことを好きだったのかなんて覚えていない。
ただ、この気持ちが好きということなんだと気がついたのは、最近のことだった。
自覚したとたん、それまで普通に触ったり話したりしていたことが出来なくなってしまって。
ただ雷蔵に嫌われないように、この気持ちがばれないようにするだけ。
だから雷蔵。気付かないで。
私のこの気持ちに整理がつくまで、決して私を見ないで。
ちゃんと片付けるから。この気持ちも、私自身も、いつか。君に嫌な思いはさせないから。
だから私を見ないで。


はぁ、とまたため息。
「十回。」
「んあ?」
「また雷蔵か?」
さっきのは私のため息の数か。
兵助は真面目な顔で私を見ていた。先ほどまで宿題に集中していたはずなのに。
「とっくに終わったよ。それより、まだ伝えないつもりなのか。」
「まだ、じゃないよ。ずっとだ。」
「そんな辛そうな顔をしておいて?」
兵助は私の雷蔵への気持ちを知っている。始めに知られたとき、私は情けなくも咄嗟に「雷蔵には言わないでくれ。」と頼んでいた。
兵助はそれに目を瞠り、それから頷いてくれた。
それ以来、兵助はよくこうして私の気持ちを聞いてくれるのだった。
しかし、今はそれさえも辛い。
「…辛そうな顔してるか?」
「してる。死にそうだ。」
「………それは当然かもな。」
私はこの気持を殺そうとしているのだから。中々手ごわくて、無理かも知れないけれどせめて後少しの間、追い払っていたい。
でも、それも私の思いであるのだから、傷つけられれば辛い。
「…そんなに自分を追い込むなよ。」
「…優しいな兵助。私はそんなお前が好きだよ。」
「誤魔化すな。三郎、そうやって追いこんで、お前はそれにけりをつけられるのか?」
「出来る出来ないじゃない。するんだ。しなければいけないんだ。」
「それで、お前が死ぬんじゃ駄目なんだぞ。」
その言葉に、ようやく兵助の懸念を知った。
「兵助。それは無理だ。」
「さ…、」
「私のこの思いは大きすぎて、私の中を埋め過ぎていて、同化しすぎていて。体に埋まった弾丸と同じ。無傷で取り出すことは出来ないんだよ。」
その覚悟は私はとうにしていたのだが。
兵助は初めて聞いた私の覚悟に唇を戦慄かせていた。その大きな眼に水は張るのを見た時には罪悪感も少し感じたけれど、事実の前には仕方がない。
「ねぇ兵助。お前は私が私で無くなっても友でいてくれるかい?」
抱きしめてきた腕が、その答えのようだった。


そんな覚悟をしていても、彼を前にするとどうしても頭の中が騒ぐ。
「三郎。今度の休みはどうするんだい?」
私の隣で雷蔵が笑う。眩しくて思わず目を細めるが、雷蔵は気付いているのだろうか。
「さあ、決めていないな。雷蔵は?」
「僕もまだ予定はないんだよね…。ああそうだ。今町で面白い芸人が来ているらしいよ。行ってみないかい?」
なんでも軽業師を超えるような動きで色々芸をするんだって!と雷蔵は興味深々のようだ。
私は、もちろん行きたい。
でもそれは今雷蔵が語る芸を見たいのではなくて。
雷蔵と二人で歩きたい。
楽しいねって笑って。
一緒に帰って、竹谷たちに今日はこんなに楽しかったよって。
雷蔵と一緒に居たい。
「ごめん。雷蔵。一緒には行けないよ。」
「え?なにか用事でもあった?」
「………うん。」
嘘つき。
さっきは何もないって言ったくせに。
「学園長先生に言われてお使いに行かなければいけないんだった。」
「え!そんなの忘れちゃだめじゃないか!」
「だって面倒なんだもの。」
「こら!」
軽く私を小突いて雷蔵がまた笑う。
「じゃあ、町にはまた今度行こう。」
「いいや。駄目だよ。」
「三郎?」
私は弱い。
雷蔵から離れるならば、雷蔵の顔を止めて、「雷蔵なんか嫌い」って嘘を言えばそれで済むのに。
「しばらく私も忙しくなるから、町に行くのは他の人と行って?」
もっともらしい嘘で雷蔵を離そうとしている。
ごめん雷蔵。
私は君に、嘘ばかり吐くよ。
許してくれとは言わないけれど。でも。
「そうか…しょうがないね。」
君の笑顔に疼く胸を、必ず私は殺すから。
だから、それまで私の嘘には気付かないで。


雷蔵は結局他の奴と町に出かけていった。相手がどんな奴かは知らないし、興味もない。
「しけた面してんなぁ。」
「うっさい馬鹿ハチ。」
木陰で寝転がる私の顔を見て、竹谷が開口一番にそう言った。
また虫でも捜しているのだろう。こんな学園の端にいるのに見つかるとは、それ以外に考えられない。
予想は当たっていたらしく、ガサガサと周囲を漁っていたあと、「じゃあな。」とすぐに去って行く。
それにため息をひとつ吐いて、私は目を閉じた。
そうして時間が過ぎて行き、周囲が暗くなったころに私は部屋へと戻った。
すでに雷蔵も帰ってきていたらしく、部屋には灯りがともされている。
その部屋の前に立つと同時に戸が開く。
「あ!三郎おかえり。」
「雷蔵もお帰り。」
「今からご飯行くんだ。お前も行くだろ?」
それに頷いて並んで食堂に行くと、すでにい組と竹谷が食堂で席を取っていた。
「ごめんね遅れて。」
「気にすんな。飯食おうぜ。」
食事は和やかなものだった。
竹谷が虫の逃げた時に一年生たちが見つけるようになってきて成長しただとか、勘右衛門が先生に見つかって手伝わされた内容が大変だったとか。そんないつも通りの会話だった。
「僕はね、町で新しく芸人が来ているから見に行っていて、」
「ああ。それで三郎が不貞寝してたのか。」
竹谷がそんなことを言うまでは。
ピシリ、と空気が凍ったのを全員が感じていた。
「え?」
「馬鹿ハチ…。」
「なに兵助!?」
「…………あの、雷蔵。」
「お使いは、無くなったの?そしたら言ってくれればよかったのに。」
雷蔵が、少し寂しそうに微笑んだ。
その瞬間、空気が少し柔らかくなる。雷蔵は、私が遠慮をしたと思っているのだろう。
そうだね。って言えばそれで話が終わる。
きっと「水臭いなぁ三郎は。」って言って笑って終わる。
兵助が、目の前で心配そうな顔で見ているのが分かった。
ああごめん。
お前には心配かけっぱなしだよな。私の思いに気付いたばっかりに。
ズキズキと今まで傷つけてきた胸の内が痛む。
それは私の中の大部分を覆っていて。
…私は、それを押し隠して雷蔵へ顔を向けた。
「違うよ。雷蔵。」
「三郎?」
「私は、君と出かけたくなかったんだ。」
言葉にすれば、なんてあっさりと終わるのだろう。


「私はもう、君の傍にいられないから。」


能面のような私の顔が雷蔵の瞳に映っている。
竹谷が何か叫んでいた。でもなぜか聞こえない。
勘右衛門が何か雷蔵に言っているようだ。しかし、雷蔵も何も答えない。
その顔を見ながら、私は自分の中の大きな部分が壊れていくのを感じていた。
ああ。こんな風に雷蔵に知られるはずじゃなかったのに。
私が、思いを隠し通して居れば、もっと完璧に、出来ていれば。
こんな風に雷蔵を傷つけるはずもなかったのに。
大切な大切な君を、欠片だって傷つけたくはなかったのに。
世界に色が無くなっていく。自分が座っているのか、倒れているのかさえ、分からない。
駄目なんだ。私じゃ。
こんな私がいくら隣に居たって、雷蔵を幸せになんてできるはずもなかった。
それがたとえどんな形でさえ、きっと。


その時、
「僕は、」
無音の世界の中で、雷蔵の声だけが私の耳に響いた。
「僕は、お前が笑っていてくれれば、それだけでいいんだ。」
無色の世界で、雷蔵の榛色の眼差しだけが、色を持った。
「お前が僕から離れたとしても、それで、三郎は笑って、幸せでいてくれるの?」
雷蔵の触れた手が、私の体がそこに在ることを教えてくれた。
「三郎、自分を、殺さないで。」
「!!」
「もっと欲張っていいんだ。君の望みが、…僕から離れることなら僕も努力はしよう。でもね。三郎。」
ふわり、と雷蔵が微笑む。私の大好きな、優しい笑顔で。
「これは、僕の我がままだけれど。僕は、君が幸せになるのを見ていたい。僕の傍で、笑っている顔を見ていたい。」
「…ぃぞ。」
「ん?」
「知って…?」
「ううん。三郎が言うまで、知らなかった。」
あっさりと雷蔵が首を横に振る。
「僕が知っているのは、三郎が優しいこと。…これは、僕の驕りかもしれないけれど、誰かを傷つけるために三郎がそんなことを言うはずが無いもの。だから。今、三郎はもっと傷ついているんだろう?」
そっと、雷蔵の手が三郎の胸の上に置かれる。まるで、その傷を確かめるように。
「僕より、よっぽど君の方が傷ついている。嘘を吐かないで。…それは、僕が離れれば治るのかい?」
私は首を振った。
横に思いきり振った拍子に涙が零れたけれど、温かい指がそれを拭ってくれる。
「もう一度言うよ。僕は、君に笑っていて欲しい。鉢屋三郎に、笑って、幸せになって欲しい。…出来れば僕の傍で。僕は、それが一番嬉しい。」
「らいぞっ、私はっ。私は…、君の傍にいていいの?」
「隣に居てほしいよ。僕は、君が好きなんだから。」
その言葉に、私は切り捨てたはずの思いがどうしようも無く膨らむのを感じた。
それに押し上げられるように、ボロボロと涙が溢れ出る。
「っぃく、え…っく、」
「ああほら泣かないで。」
雷蔵が苦笑して私を抱きしめてくれるが、涙は止まる様子が見えない。
今まで、雷蔵と離れることしか考えていなかった。
雷蔵に、この気持を知られる前にこの気持を消さなければいけないと思っていた。
今は、雷蔵が私を抱きしめてくれている。
安心して、嬉しくて、今までの私が悲しくて、涙が止まらない。
ふわり、と体が持ち上がった。
雷蔵の腕は私の尻の下と背中に回され支えてくれている。
「先に部屋に戻るね。」
友人たちは頷いたのだろう。今は雷蔵の肩に顔を埋めていてわからないが、後で謝罪と礼を言わなければならない。
兵助にも。


しばらくして部屋に着くと、雷蔵は私の体を抱えたまま床に腰を下ろした。
「ほら。いつまで泣いてるの?」
「ふぇ…。」
「よしよし。辛かったね。」
雷蔵の手が私の頭を撫でる。
安心するその手に、私はようやく涙を止めた。
「らいぞう…。」
「うん?」
「私は、雷蔵が好きだ。」
「うん。」
「雷蔵を、好きでいてもいいか?」
「もちろん。言ったでしょ?僕も三郎が好きだよ。」
「らい…ん。」
「…僕の隣で、幸せになってね。」
触れた唇と、雷蔵のその言葉と笑顔に。
私は頷きながら、とても久しぶりに本心から微笑むことができた。

あとがき
一万打フリリク前半「健気三郎と鈍感雷蔵」でした。
とりのはね 様、遅くなりもうしわけありません!!!!
でも大変楽しくノリノリで三郎をいじめていましたっ!すまん三郎^p^
前半後半ともにとりのはね様のみのお持ち帰りとなります。


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