触れ合う温度 



「なぁ。なぜ、私を抱かない?」
「ん?」
ぽつり、と紡がれた言葉に振り返れば、寝転んで本を読んでいたはずの三郎は起き上がり、胡坐をかいて兵助を睨みつけていた。
「どうした三郎。」
「どうしたもこうしたもない。」
胡坐をかくのをやめ、四つん這いで兵助の傍ににじり寄る。兵助は動かないままそれをじっと待ち、体が触れてしまいそうなほど近づいてようやく、兵助が動いた。
しかしそれは近づく三郎を押しとどめるもので。
三郎は思い切り顔を顰める。
「…どういうつもりだ?」
「それはこっちの科白だ。三郎。何のつもりだ?」
「…兵助。お前、私のこと、本当に好きなのか?」
「好きだ。お前が好きだと何年も伝え続けた。俺にはお前しかいらないと、伝えてきたつもりだぞ。お前が、俺の唯一だとも。」
兵助はまっすぐな三郎の目に、やはりまっすぐな目を向けてはっきりと答えた。
その視線を受けた三郎が、眉根を寄せる。
「…なら、何故…………。」
「三郎?」
「……何故、私を抱かない?私を、お前の物にするつもりは無いのか?」
「…お前が、唯一だと言っただろう。」
兵助の顔が困ったように笑う。その表情が、なんだか妙に三郎の胸を苛立たせた。
聞き分けのない子供に言い聞かせるようなそんな雰囲気。
こうなれば何としてでも降参させて見せる!と内心で決意し、三郎はさらに兵助にすり寄った。
「好きだ。兵助。」
「っ三郎…。」
「お前は、私のこと、好きだろう?」
そっと上目づかいに見上げた顔は、やはり困った顔のまま。しかし三郎は諦めずに言葉を紡ぐ。
「好きだよ。何度も言っただろ?」
「…足りない。」
「え?」
「言われるだけじゃ、足りない。全然足りない。お前の全てで、私を好きだと伝えて見せろ。じゃないと、お前の言葉なんて信じない。」
ここまで言えばどんな阿呆だって分かるはずだ。
三郎はいやに挑戦的な目で兵助を睨みつけた。褥事を誘っているというのにその目はまるで戦いを挑んでいるようだ。
兵助はまっすぐに向けられた言葉と視線を真正面から受け、唖然とした顔で三郎を見つめている。
ショックを受けているように固まっている体に、どさくさにそっと三郎が手を伸ばした。
その指先が兵助の体に触れた途端、固まっていた体がビクリと震える。
ニヤリと笑んでそのまま掌を体に滑らせようとしたとき。冷たい手が三郎の手を取って握りしめた。
三郎の目が驚きと痛みに歪む。
「…………っそうかよ。」
その手は、それ以上触れられるのを拒むように握ったまま下ろされてしまった。
痛みは、胸の痛み。
兵助は俯いて三郎の顔を見ようとしない。
痛みはそのまま怒りに変わり、三郎の胸の内を暴れまわる。
泣きたいのか怒りたいのか分からない。ぐちゃぐちゃした感情が頭を支配する。

(むかつく。哀しい。苦しい。腹が立つ。イライラする。悲しい。辛い。痛い。)

そんな全ての感情を伴って、三郎は握られたままの手を思い切り振り払った。
ハ、と一つ荒い息を吐く。高ぶった感情が、途端に静寂に変わる。
「……わかった。」
「さぶろ、」
「わかったから。…悪かったな。もう言わない。困らせて、悪かった。…もう、しないから。」
感情が凪いだ途端に、胸がずきずき痛む。痛みと共に、目の裏が熱く脈打つ。
しかしそれは見せまいと三郎は兵助に背を向けた。
「…じゃあ、な。」
もう。来ない。
最後の言葉は口にせず、三郎は戸に手をかけた。
涙はまだ流すな。悟らせるな。
悲しい、なんて。
兵助に悟らせちゃいけない。これ以上困らせたくない。
崩れ落ちそうな自尊心を必死にかき集めて壁を作る。いつもしてきただろう。
(お前に、作ることになるとは思わなかったけど。)
戸を開けると外は明るい日差しに包まれていた。
三郎は振り返らずその中に出る。
パタン、と戸を閉めた途端、もう涙を止めることは出来なった。
パタッポタリと小さな音をさせて床に落ちる雫を三郎はぼんやりと見つめる。
(…どうしよう。)
好きだ、と言った兵助の言葉を疑う訳ではない。真面目な彼のこと、あんな偽りの言葉を言うとは思えない。
ただ、三郎が勘違いしていたのだ。
「好き」の意味を、三郎が良いように解釈していただけなのだ。
だから、兵助があんな困った顔をしていたのだろう。「唯一の『親友』」を求めていた彼にしてみれば、確かに三郎の行動は困らせるものにしかならない。
(…どうしよう。)
こんなに人を好きになったのは初めてなのに。雷蔵にだって、こんなに狂う程の感情を持ったことは無い。
それなのに、それを拒絶されてしまった。
涙に続いて嗚咽が漏れそうになる。それを唇をぐっと噛み締めることで堪え、三郎は足早にその場を去った。
誰にも見つからないように大急ぎで帰った部屋は、幸いなことに誰もいなかった。
素早く戸を閉め、三郎は薄暗い部屋に急いで布団を敷き、その中に蹲る。
「〜〜〜〜ふ、ぅぅ…っ。」
堪えていたものをようやく解放した。
涙はボロボロ流れ嗚咽は喉が痛くなるほどに溢れ出て来る。
三郎はギュウと布団を両手で握りしめ、溢れ出るそれらをただ流れるに任せた。


…どれくらいの時間が経っただろうか。
随分長い時間が経ったと思うのに、涙はまだ治まる気配を見せない。
それなのに。
「ただいま三郎。………三郎?」
雷蔵が、帰ってきてしまった。
三郎は顔を見られないようにしっかりと布団を被る。雷蔵が心配そうに傍に来るのは分かったが、今顔を出す訳にはいかない。
「三郎?どうしたの?具合が悪いの?」
首を横に振る。
「…泣いてるの?」
「……………。」
事実なので黙っていたら、上で雷蔵がはぁ、とため息を吐いた。
「…兵助?」
「…………。」
また、首を横に振る。
「…私が、勝手に泣いてるだけ。」
兵助は関係ない。そう言ったのに、雷蔵は「嘘。」とすぐに否定した。
「君が兵助の事以外でそんな風に泣くもんか。」
「……………。」
なんでわかったんだろう。
雷蔵はそっと布団越しに私の頭を、優しく、優しく撫でる。
「…ねぇ三郎。そこは寒いだろう。おいで。抱っこして上げるから。」
「………。」
優しいその言葉に、もぞり、と体を起こす。色々なものでぐちゃぐちゃになっているだろう顔を見られたくなくて俯いていると、腕を引かれて胡坐をかいた雷蔵の膝の上に乗せられた。そのまま抱きしめられて、ポンポンと背中をあやすように叩かれてしまえば、再び流れ出す涙を止めることなんて不可能だ。
雷蔵の着物を握る手が震える。溢れる涙はどんどん染みになって雷蔵の服を汚しているのに、雷蔵は気にした様子もなく三郎を優しく抱きしめた。

「それで。兵助。君はいつまでそこにいるつもり?」
泣き疲れて眠った三郎を確認して、ようやく雷蔵はさっきから戸の裏に潜んでいる気配に声をかけた。
その声は先ほど三郎にかけていたものとは正反対の冷え切った温度を纏っている。
「三郎をここまで泣かせておいて。よくやってきたものだね。」
「…泣かせる気は無かった。」
「そう。この顔を見ても言える?」

そして雷蔵はそっと三郎の顔を兵助へ向けた。
瞼は真っ赤に膨れ、頬を幾筋もの涙のあとが濡れて光っている。唇は、いまだ嗚咽を漏らすように震えていた。
兵助が痛みを堪えるように眉根をひそめるのを、雷蔵はやはり冷え切った目線で見つめる。
「何があったの?」
「…………三郎に、誘われた。」
「………まさか、拒否したの?」
頷く兵助に、雷蔵が特大のため息を吐く。
「三郎の誘いを断る君の精神力もすごいけどね。いったいどんな断り方したのさ。」
「…なんか言う前に、『わかった。』って三郎が言って出ていった。」
「………絶対分かってないよねそれ。」
「…そう思うか。」
「もし本当に誤解じゃなくて三郎を悲しませたのなら、僕はとうに君を殺しに行ってるよ。」
ヒヤリと兵助の背筋が冷える。苦無の切っ先を首筋に当てられたような殺気が、雷蔵から発せられていた。
本気だ。
「君が、本当に三郎のことを愛しているから僕は許したんだ。」
「わかってる。」
「三郎を泣かせるな。」
「…すまない。」
「謝るのは、僕にじゃないだろ。」
そっと、壊れ物を扱うように三郎を膝から下ろす。
布団に横たえた三郎の頬を愛おし気に撫でて、雷蔵は部屋を出た。
「…今日は兵助の部屋に泊めてもらうから。ちゃんと仲直りしなさい。」
「悪い。」
「…また三郎を泣かせたら、その時は容赦しないから。」
「……心得た。」
兵助が雷蔵と入れ違うように部屋に入る。
すっかり日の落ちた今の時間でも、三郎の顔は兵助の目にははっきりと写る。
「…泣かせたいわけじゃない。本当に。」
そっと涙の跡の残る頬に手を伸ばす。
その指が触れたとたん、三郎が飛び起きた。
「え!?あ、へい、すけ?」
「…………。」
雷蔵にはあんなに安心しきった様子だったのに。
手が触れた途端起きられるとは思わなかった。
雷蔵との差をまた少し思い知って、それとなく手を引いた。
しかし三郎は暗い室内と兵助を交互に見てから混乱する頭で少しずつ距離を取っていく。
「…なんで、お前、ここにいんの?あ。雷蔵は?」
「雷蔵は、さっき出てった。俺は…。」
そこで、少し躊躇う。
三郎が何を悲しんで泣いていたのか、わからない。何か誤解をしていることは確かなのだが。だから、慎重に言葉を紡ぐ。
「…三郎の様子がおかしかったから、気になって。」
「…………は。」
「三郎?」

吐息のように、三郎の口から笑いが漏れた。上げられた顔は皮肉気に歪められ、笑みをかたどっている。それなのに、目は笑っていないのだ。
思わず兵助が戸惑いの声を上げても、その顔は変わらない。
「…お前が気にすることじゃない。」
「三郎?」
「気にするなよ。もう。私のことは気にしなくていいから。戻れ。」
「何言ってんだ。気にしないはずないだろ。」
「…友達として、か。」
「は?」
「お前の友情なんて必要ない。いいから出ていけよ。」
「いやちょっと待て!お前今なんて言った!?」
「…出てけ。」
「そこじゃない!!友達!?誰と誰が!!」
「私とお前。」
「なんで!?お前が好きだと言っただろ!?」
「でもお前は私を抱かないじゃないか!!」
ぼろり、と再び三郎の目から涙が零れる。
「あ、あれだけ誘っても、お前は手を伸ばしもしないじゃないか!!私が手を伸ばしたって、…拒否したのはお前だろう!?私を求めていないのならそう言えばいい!!私のことを、好きじゃないならっそう言えばいいのに!!」
泣きながら、胸をかきむしる。しかし、その目はまっすぐに兵助を射ぬいていた。
「…ともだちの好きなんて、私はいらないんだっ。それなら、最初から私のことを好きだなんて言わなければよかったのに!!!」
「三郎…。」
「でてけ…でてけよ…。これ以上、情けないかっこ見せたくない。」
「三郎。三郎俺は…」
「出てけってば!!」
「聞けよ!!」
初めての、兵助の怒鳴り声にぴたりと三郎の涙が止まる。
驚いて目を見開く三郎を、兵助は苦虫をつぶしたような顔で見つめた。
「俺は、三郎が好きだ。友達とかじゃなく。本当に、三郎が好きなんだ。」
「っなら、なんで、」
「…怖いんだ。」
「え?」
「怖いんだよ!!抱いて、それでお前が俺から離れたらと思うと、怖くてしょうがない!!お前を失うくらいなら欲ぐらい耐えて見せる!!」
こんなに声と感情を荒げる兵助を、三郎は初めて見た。
俯きながら、顔をそむける兵助をじっと見つめる。膝の上で握られた拳は、何かを堪えるように震えていた。
「俺の欲は、お前を傷つける。抱かなければ、まだ間に合う。まだ堪えられる。だから、」
後生だから、お前を失わせないでくれ。
三郎はポカンと兵助を見つめた。
言われた言葉が衝撃的すぎて、なかなか理解が追いつかない。
(それは…つまり。)
「ばかだなぁ。お前。」
「なっ!?馬鹿とはなんだ!」
「私から誘った時点でそんなこと気にしないでいいだろうに。」
「っだから!困ったんじゃないか!」
「あはは。困ってたのは本当だったのか。」
「………お前が可愛いのがいけない。」
そっと、三郎に手を伸ばす。濡れた頬に手を伸ばしても、今度は逃げることはなかった。
どころか、そっとそれに手を重ねて、すり寄ってきた。
「三郎…。」
「好きだ。お前が好きだよ。兵助。本当に、お前になら何されてもいいって思ってる。」
そっと、三郎が体を寄せる。
しかし、今度は押しとどめる手は無かった。
伸ばされた手は止めるためではなく、その背に回される。
「三郎…。いいのか?」
「いいって言ってる。それとも、また泣かせる気か?」
「いいや。…泣かせて悪かった。」
「気にするな。それより…。」
「ああ。好きだ。三郎。もっとお前を愛したい。」
「私も。好きだ。兵助。」
目は腫れて。頬は涙の跡が残っていて。
それでも美しく微笑む三郎に、兵助はようやく想いの全てを込めて口づけを落とした。

あとがき
必要なこと以外はあんまり言わない兵助と、それに不安になる三郎が萌えます。
珍しく久々知がヘタレ。あ。珍しくないか。
下はエロのみです。


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