アフターカフェ
こちらの続きです。
カーテンから零れる朝日で目が覚める。
数度、瞬きをして上体を起こすと、すでに隣で眠っていたはずの彼はいなかった。
「……三郎は偉いなぁ。」
そう呟きながら雷蔵も身を起こし、スーツのズボンとシャツだけを着るとネクタイと上着を手に持って階下へ降りる。
馨しい香りに包まれた一階は、雷蔵の恋人である三郎の経営する喫茶店となっていた。
「三郎。おはよう。」
「あ。雷蔵おはよう。」
「今日も早いね。」
「雷蔵がお寝坊さんなんだろ。もう少し寝てても良かったのに。」
「ううん。三郎のコーヒーと朝ごはんを食べなきゃね。」
そう言って笑えば、三郎は照れたように顔を赤くして逸らしてしまう。しかし耳まで赤くした様子が可愛くてその頭を撫でてやれば、はにかむような笑顔で喜んだ。
その表情がまた可愛らしくて抱きしめたくなる衝動をぐっと堪える。今抱きしめるだけで止まれる自身がない。
いくらここから会社まで近いからって、さすがに始めてしまえば遅刻する。
…実際、何度か実行して呆れられ済みである雷蔵であった。
「今日はベーグルサンドにしてみたんだ。結構お腹膨れるから、雷蔵でも足りると思うよ。」
「うん。ありがとう。」
エプロンを付けて雷蔵の前にベーグルの乗った皿を置く三郎は、まるでお嫁さんのようだ。と、雷蔵は笑顔の裏で呟く。
もちろん真っ赤になって逃げてしまうから、三郎にはまだ伝えないが。
薄暗い店内は最近の小洒落た内装ではなく、すこし古ぼけている。
彼は祖父からこの店を受け継いだらしい。昔から美味いコーヒーを出すと周囲の会社から好評のようで、常連も多い店だ。
朝の光が窓から入って薄暗い店内を照らす。
初めて雷蔵がこの店を訪れたのも、これくらいの時間だった。
「……死ぬ。」
徹夜開けだった。商品が納期に間に合い、上司からは帰宅を許可されたのだが、ビルの並び立つビジネス街はまだ朝早いこともあって周囲には人通りはなく。眠いうえに空腹だというのに、ただの一つの店も開いていなかった。
眠気と空腹で半分意識の無いままふらふらしながら、雷蔵の鼻孔がふわりと香ばしい香りを感じ取る。
匂いを辿るように足を進めた先が、この店だった。
カラン、と気がつけば軽い音を立ててドアを開いていた。
そこで見た、彼の姿。
「すみません。まだ開店前で………。」
彼もまた、雷蔵の顔を見て驚きに目を見開く。
「…驚いた。」
呟いたのはどちらだったか。
同じ顔をした二人が向き合っていた。
だがその時ぐきゅるるる、と何とも緊張感の無い音が響く。
思わず雷蔵は自分の腹を見下ろして、彼はクスリと笑ってカウンターへ戻った。
「お好きな席にどうぞ。」
「え…あ……。」
「お腹、空いてるんでしょう?」
悪戯っぽく笑う顔は、確かに自分と違うものだ。
言われるままに雷蔵は近くのソファに腰掛ける。その目の前に、トーストとコンソメスープがすぐに置かれた。
「これ……。」
「ほんとは私の朝食だったんで質素ですけど。足りなければ何か作りましょうか?」
その言葉に雷蔵は顔を上げて断ろうと口を開くが、ふわりと脳裏に入り込んだ良い香りに「頂きます。」と次の瞬間頭を下げていた。
「どうぞ。」
くすくす笑う声に顔が熱くなるが、雷蔵は目の前の食事を一口食べた途端、そんなことは頭から吹き飛んで夢中でそれを平らげた。
ちょっと目を離した間に全て平らげた雷蔵にまた目を見開いて、彼は雷蔵の前にカップを置いた。
「カフェラッテです。さっきまでお腹空かせてたんなら牛乳入ってる方が良いでしょう?」
「す、すみません……。」
恐縮しながらそれを受け取り、湯気の立つそれに口を付ける。
優しい口当たりに、雷蔵の目が和んだ。
コーヒーを美味だと感じたのは初めてだ。
雷蔵はゆっくりとそれを味わいながら飲み干すと、ようやくじっと雷蔵を見下ろす目に気がついた。
はっとなって慌てて頭を下げる。
「す、すみません!まだお店開いてないのに、朝ごはんまで……。」
「ああ。いえそれはいいんです。…本当に、そっくりだな、と思って。」
そしてにこりと微笑む顔は、しかし雷蔵とは違う顔だ。
なんだか新鮮な気持ちで、雷蔵は改めて同じ造作の青年を見上げる。
「…僕に年の近い親戚は居ないはずですが……。」
「そうですね。私もです。…ああ。自己紹介がまだでした。私は鉢屋三郎。ここの店主です。」
「僕は不破雷蔵。この近くの会社で働いてます。」
「こんなに朝早くから出勤?」
「いえ。今日は徹夜明けで…。今から帰るところです。」
はは…と苦笑する雷蔵に三郎がふと目尻を下げた。
「…不破さんがよければ、ここで少し休まれて行きますか?」
「え!!いやさすがにそこまでは…!!」
「開店時間まであと少しありますから、その間だけでも…。随分辛そうですし…。」
確かにコーヒーを入れてもらって少しはすっきりしたとはいえ、体力と睡眠の足りない体は休息を欲している。
だが、年が近いとはいえ初対面の彼にそこまで迷惑を掛けるわけにはいかない。
しかし恐縮して首を振る雷蔵に、三郎は優しく微笑んだ。
「今何か上掛けを持ってきますから。…逃げちゃだめですよ?」
ドキン
その瞬間。
擽ったいような声音に、雷蔵の胸が強く脈打つ。
ドキン
ドキン
「な………ぁ?」
なんだ?これ?
そしてそれが紛うこと無き一目惚れだと気がついたのは、情けない事に貰った毛布にくるまり開店時間ギリギリまで睡眠を貪って家に帰った次の日のことであった。
それからこのカフェへ通うようになった雷蔵は、どんどん三郎に溺れて行く自分を自覚していった。
自分を見たときのはにかんだ笑顔や。
コーヒーを入れているときの真剣な顔。
おしゃべりしてる時の悪戯っ子のような顔。
そして、ときどきふと印象が変わるような綺麗な笑顔。
全てが雷蔵の脳裏に焼き付いて、今でも離れない。
出社前に立ち寄って、いつもあの時と同じカフェラテを貰った。
なにやら手を動かしていたことには気がついていたので好奇心から蓋を開いて、また心が温かくなった。
その時は、確か猫の絵が描かれていたのだったか。
絵は毎日変わった。
芸術のような雪の結晶や、子供の悪戯書きのような傘。ハートが散りばめられていたときは思わず噴き出して周囲に変な目で見られてしまった。
毎日の楽しみは、彼の笑顔を見ることとその絵を覗くこととなる。
だがある日、彼は妙な笑顔で僕を見送った。
首を傾げながらも雷蔵はすでに習慣となった紙コップの蓋を開ける。
『あなたが好きです。』
開けた瞬間飛び込んだ文字に、時間が止まった。
そして、次の瞬間、悪戯かと思った。
だって彼はそんなそぶりは今まで一度も見せなかったし、友人が友人にするような悪戯かと。
でも。
でももし真実だったら?
一日悩んでも答えは出ず、雷蔵はただいつも通りの顔をして店のドアを潜ることしかできない。
職業上、ポーカーフェイスは得意だ。だから三郎に向けた顔も、いつも通りに出来たと思う。
だが。
その瞬間、三郎が目を逸らした。
そのことに雷蔵は目を瞠る。
まさか。だって。そんな。
意味の無い言葉ばかりが頭の中を回る。ああ混乱しているな、と自分でも思った。
いつも通りにカップを受け取って、そして間近で見た、彼の目に、水の膜が張っていて。
彼の笑顔はいつも通りでも、目は、いつもと違う。
雷蔵はそんな彼に背を向け考える。
『あなたが好きです。』
そんな。まさか。
彼のそんな言葉が貰えるなんて!!!
喜びに舞いあがりそうになる足を堪えて雷蔵はドアに手を掛ける。
そして、三郎の涙の原因を知って、「ああ、そうだ。」と呟く。
まだ彼には伝えていなかった。
「僕も貴方が好きですよ。鉢屋さん。」
「……………。」
そして唇を奪った相手が今、雷蔵の目の前にいる。
その顔は幸せそのもので。見ている雷蔵の胸も温かくなっていくのがわかる。
じっと見つめる視線に気づいた三郎が、照れたような笑みを浮かべてこっちを向いた。
「なぁに雷蔵?」
「んーー?」
ゆるむ顔を自覚しながら、雷蔵はまた本心を口にする。
「三郎、今日もかわいいなぁって。」
「なっ!!!」
かぁぁぁと赤くなる顔は自分より大分幼い。夕べもベッドの中で散々伝えたというのに、まだこんな初々しい反応をする三郎が可愛くてしょうがないのだ。
内心でそんな言い訳をしながら、雷蔵は卒倒しそうな三郎に微笑みかける。
「ずっと、僕の傍にいてね。」
「…言われなくても。」
小さな声で、それでも肯定の言葉に舞いあがりそうだ。
抱きしめたい腕を今度は堪えることなく三郎の背に回す。耳元に、唇を寄せてそっと囁いて、理性が別れを告げる前に店の戸をまた開けた。
「いってきます!」
「………い、いってらっしゃい……………。」
懸命に返した言葉は雷蔵に伝わっているか分からない。だが三郎の脳内はそれどころではなかった。
『僕、こっちに引っ越すよ。そしたら結婚しようね、三郎。』
「ら、らいぞうのばか………。」
答えなんか知ってると言わんばかりにさっさと出て行った雷蔵が憎らしい。
しかし。
近い将来、毎日三郎のコーヒーを飲ませてもらえることは雷蔵の中でとうに確定済みである。
あとがき
一万打フリリク「カフェの雷蔵ver。か続き」でした。
甘いなしかし!!どこの新婚さんですか!!?
でも意外と双忍の新婚さん雰囲気って新鮮だ。室町だと熟年夫婦だもんなぁ。
エプロン姿でカウンター(台所)に立つ三郎なんかそりゃあデレッデレになるよ雷蔵も。
匿名の方からのリクでしたのでフリーにします!!