爪切り
「雷蔵!!」
スパァンッと派手な音を立てて三郎が戸を開いた。
それと同時に名を呼ばれ、雷蔵は嫌な予感を覚えながらもそちらに振り向く。
「…なに?三郎。どうし」
「爪を切らせてくれ。」
「………は?」
眼光鋭く、珍しく雷蔵の言葉を遮ってまで言われた言葉に目を見開く。
三郎はそんな雷蔵に構う様子も無く、足音まで荒くして部屋の道具箱を漁りだした。それを茫然と見つめていると、唐突に三郎が振り向く。
「ほら。雷蔵こっち来て。」
「え?う、うん。」
「ほらここ座って。壁に寄りかかっていていいから。」
「わかった。」
手を引かれ、言われるままに壁に背を向ける形で腰を下ろす。そのまま膝をポンポンと叩かれ、胡坐を掻くように足を広げた。
その上に、三郎が座る。
「さ、三郎?」
「手。」
「え?」
「手。出して。とりあえず右。」
「あ。はい。」
壁に背を預ける雷蔵にさらに背を預ける形で三郎は座り、言われるがままに出された雷蔵の手をそっと取る。
「……………。」
「三郎?」
三郎が奇行に走るのはいつものことだが、いつもと少し違う。なんだか、少し怒っているようだった。
訳も分からずただ三郎の名を呼ぶ雷蔵に、腕の中の彼が小さくため息を吐く。
「…本当に伸びてる。」
「…何が?」
「爪。」
「爪?」
首を傾げながら、まぁ、確かに最近切ってなかった気がする。と心中で呟いていると、再度ため息が聞こえた。
「今日は、これが原因で先輩にばれてしまった。」
「…そうなの?」
「ああ。中在家先輩に。突然手を取られて見つめられた時は何事かと思った。」
その言葉に雷蔵はムクリと起きた黒い煙を感じた。
だがそんな様子を微塵も外には現さず、「それで?」と話を促す。
「聞いたら、雷蔵は今爪が伸びてると言われるじゃないか。私は先日切ったばかりだから短いし、急に伸ばすなんて出来ようはずもない。だから」
「僕の爪を切ることにしたと。」
「そう。」
頷きながら、三郎は雷蔵の手をじっと見つめている。
雷蔵は三郎の後ろ頭を見ながら、別に自分で切ってもいいんだけど…。なんて考えていた。だがしかし、せっかく三郎が切ってくれるというのだし。と即座にその考えを捨てる。そこに一切迷いは無かった。
「雷蔵、いいか?」
三郎が恐る恐ると振り向き、雷蔵を窺う。今まで傍若無人にしていたというのに急にしおらしくなるものだ。雷蔵はそんな三郎に苦笑しながら頷いた。
「君が切ってくれるというのならね。構わないよ。」
ぱっと笑顔になった三郎は意気揚々と爪切りようの鋏を手に取った。
ほどなく、パチン、パチン、と軽い音が部屋に響く。
その作業の様子は三郎の体で見えないが、とても丁寧に扱われているのは雷蔵の手に伝わる感触から分かる。
「三郎、もっと適当でいいよ。」
「駄目だ!雷蔵の手なんだから!」
手で区別されたのがそんなに悔しかったのか。三郎は一転鬼気迫るような声音で雷蔵の主張を叩き切った。
そこまで強く言われれば、もともとこだわりの無い雷蔵に勝ち目などあるわけがない。
「そう…。ほどほどにね。」
と言うのが精いっぱいだ。
雷蔵はただ自身に似せられた三郎の髪を見つめてそれが終わるのを待った。
そして、三郎がようやく満足のいく結果を出したのは実にとっくに夜も更けた時間である。
完成にふぅ、と息を吐きようやく周囲の状況を確認した。
「…………?」
なにやら、頭に風を感じる。
「…雷蔵?」
「すー…すー…。」
どうやら、待ちくたびれて寝てしまったようだ。
三郎は申し訳ない気持ちで目尻を下げた。
しかし、ふと思いつき、ここぞとばかりに雷蔵の手を持ち上げる。まじまじと見つめた爪の形は、完璧と言ってよい程美しかった。
そのことに静かに酔いしれつつ、三郎は雷蔵の手をじっと見つめる。
指の節々が太くなっているのは、雷蔵が拳闘を得意とするためだろうか。所どころ、手の甲に見える切り傷は、きっと中在家先輩に教わっている縄標のせいだ。
手をひっくり返すと、決して柔らかくはない、所どころ肉刺のある掌が向けられる。三郎は、その掌の皺をそっと指でなぞった。
暖かい感触が指に伝わる。それがなんだか嬉しくて、三郎は笑みを零した。
雷蔵はまだ起きる様子はない。
三郎は調子に乗って、今度はもっと雷蔵の手が見えるように目の前まで持ち上げた。
その部分一つ一つをうっとりと見つめる。
指、掌、手の甲、手首や爪の先まで、何もかも愛おしい。
たまらなくなって、三郎は思わずその指の先に小さく口づけを落とした。
人さし指から順に、中指薬指小指と音も無くそっと唇でそれに触れる。
「…雷蔵。好き。」
「僕もだよ。」
「!!」
突然の背後からの声に三郎が思わず手を離す。
しかし、先ほどまで三郎の好きにさせてくれていた手はそっと三郎の顔に添えられた。
「まったく…僕の手で何するのかと思えば。………随分可愛いことを。」
「ら、ららら雷蔵、いつから!?」
「君が掌くすぐってきたころくらいかな。」
「え、え…言えよ!起きたなら!!」
「だって君ご機嫌だったからさ。可愛くて。」
「か、かわっ!?」
真っ赤になる三郎を、雷蔵が添えた手で振り向かせる。混乱しながら三郎が見つめた雷蔵の顔はもう蕩けるとかそんなことじゃ表現の仕様の無いほど締まりがない。
「…雷蔵。顔。」
「しょうがないだろ。恋人がそんな可愛い事をするんじゃ、僕だってニヤけてしまうさ。」
「開き直るな!」
「あははは。」
笑いながら落とした口づけは、照れからだろう固く口が閉ざされていたけれど。雷蔵はちらりと視界に入った自分の手を見て笑みを深めた。
(ああまたしばらくは爪など切れないね!!)
あとがき
甘っ!!爪切りの抱っこは雷蔵が抱っこするか三郎が抱っこするか迷いましたが、雷蔵に抱っこされる三郎が可愛いのでこっちで。
でも二人とも頭身変わんないから抱っこっていうより雷蔵が三郎にしがみつく形になりそうだ。それはそれでよし!←