ため息と愛情の比率

「あーあ…。まったく。」
ため息と呆れた顔は、伊作の心情を如実に表していた。
食満と文次郎が見たなら裸足で逃げだすそれに、照れたような笑顔で応える男は確かに大物ではあるのだろうが。気絶した後輩を抱え入口で立つ姿はただのガキ大将だ。
「……今度は何したの小平太?」
「マラソンとバレーだ!!」
「で?何させたの?」
「うん?私と同じことだぞ?」
「…………………わかった。こっちに来て。」
「おう!」
気絶しているのはやはり金吾だった。小平太は慣れた様子でその小さな体を布団に横たえると、その場を伊作に任せるように脇に体を避けた。
再びため息を吐きながら横の男を睨みつけ、伊作が金吾の様子を見ようと腰を下ろす。
「善法寺せんぱーい……。」
「うん?うわ!」
聴診器を手に振り返ると、そこにはまだ体育委員の面々が負傷者を抱えて立っていた。
気絶している者はいないようなので、伊作はそれぞれの症状を目で見て確認する。
「時友君は、捻挫だね。次屋君は擦り傷か。うん?滝夜叉丸くんまで怪我するなんて珍しい…。ああ少し足の筋を違えたのか。鉢屋は…あれ?鉢屋?」
「はい。」
「……君体育委員だっけ?」
普段は見ない瑠璃色の制服に伊作が目を瞬かせる。滝夜叉丸に肩を貸す三郎は、嫌そうに首を振ってそれに肩を落とした。
「……違います。そこの暴君に拉致されたんです。」
「なんだ鉢屋!?呼んだか!?」
「なんでも。」
「そうか?」
「はい。」
「そうか!!」
なんだかすっかり小平太の扱いに慣れているようだ。これが初めてではないのだろう。
伊作は同情の視線を三郎に向けるが、それはあっさり無視されてしまった。
「伊作先輩。早く金吾を見てやってください。」
「ああうん。ごめん。」
固い三郎の言葉に謝るものの、金吾の倒れた理由など分かりきっている。
「…うん。極度の疲労だね。しばらく休めば治るよ。あとは所どころ擦り傷があるから、手当しておくね。」
「お願いします。」
「うん。」
真剣な顔の三郎に笑顔で頷いてみせ、伊作は傷薬を取るために立ちあがった。
「七松先輩…。金吾は疲労だそうですよ。」
「そうだな!よかった病気じゃなくて!」
「そうですが…。七松先輩!!いけどんはもっと自重してください!!金吾は疲労で倒れた上に、滝夜叉丸に始まり後輩たちがみんな怪我してしまっているじゃないですか!!可哀想だとは思わないんですか!!」
「え?みんなの怪我って私のせいなのか!?」
「っ!!」
能天気な小平太の言葉に、三郎の顔が引きつるのが伊作の目に入る。そのさらに後ろの体育委員たちはすでに遠い目だ。伊作としては、三郎の気持ちと体育委員たちの気持ちが半々、といったところだろう。
傷薬やその他必要な道具を取り出しながら、伊作は負傷した体育委員たちを手招いた。そして金吾を布団ごとかかえ、医務室の端に寄る。
…保健委員長としての勘が、ここは危険だと言っていた。
「だってバレーしてマラソンしただけだろう?なんで怪我するんだ?」
「あんっな高速サーブと短距離並みの全力疾走じゃ怪我もします!!」
「私と鉢屋は平気じゃないか。」
「五六年の体力と下級生の体力を一緒にしないでください!!」
「なぁ鉢屋……。」
「なんですっ?」
「さっきから叫んで喉痛くならないか?」
プチッと何かが切れる音がした。確かにした。
「…確かに、そうですね。」
「だろ?」
小平太は指摘したことが肯定されて嬉しそうだ。対する三郎を見ると、俯いていて表情が分からないところがとても怖いのだが。
三郎はゆらり、と戸部教諭のように体を揺らし、ふと、姿を消した。
瞬間。
ズドンッ!と鋭い音が床の振動と共に医務室内に響く。
「危ないぞ。」
笑いを含んだ声で、小平太が踵落としを仕掛けた三郎を見下ろす。立ち位置は、先ほどと少し違う。
「…そうですね。床が割れて破片が伊作先輩に刺さったら大変だ。」
床を割る勢いだったのか。
伊作は三郎の言葉に微かに顔を青ざめさせると、ますます壁際に身を寄せた。
「どうした鉢屋?いきなり。」
「いえ…。叫ぶのに疲れたので、実力行使に出ようかと。」
「そうか!」
「はい。」
先ほどと違い、確かに三郎の声は穏やかだ。しかし。
息も乱さず息をつかせる間もなく、攻撃の手を休めない。
それをひょいひょいと軽く避けながら小平太が心底不思議そうに首を傾げる。
「なぁ鉢屋。なぜ私はさっきから攻撃されているんだ?」
「先輩も少し痛い思いをすればいいんです。後輩たちばかりではなく。」
「……なぁ、ひょっとして怒ってるのか?」
プチっと再び何かが切れる音がする。
再び、三郎の姿を見失う。思わず上を見上げるが、今度は飛び上がった訳ではないらしい。
ダンッと続いて床を蹴る音がする。
そして、結果から言うと、三郎は小平太に抱きしめられ捕まえられていた。
「あっはっはっはっ。鉢屋は元気だな!」
「くっそ〜〜〜!!!」
音も無く小平太の背後へ回った三郎がその頸椎を狙って回し蹴りを仕掛け、それを首の動きだけで避けた小平太は勢いよく三郎に接近し、次の攻撃を仕掛ける前に腕を伸ばした。三郎が慌ててそれを避けようと床を蹴り、しかしそれ以上のスピードで小平太が三郎を追い、捕まえた。
それがこの一瞬の出来事である。
今は小平太の腕の中で暴れる三郎を伊作は二度目の同情の眼差しで見つめた。
お節介と思いながらも、この部屋の誰より元気に動き回る二人に口出しする。
「小平太。鉢屋の言うとおりだよ。少しは後輩のことも気遣ってやれ。せめて倒れないくらいに。」
「なんだ?いさっくんまで。」
「大体、毎回こうしてやってくる訳じゃないんだから、お前だってセーブ出来る日もあるんだろう?なんでわざわざ無理させるんだ。」
「ああそれは。鉢屋のせいだ!」
「なっ!?人のせいにっ」
「鉢屋が居ると嬉しくてな!ついいつも以上に気合が入ってしまうんだ!」
「………………。」
「ふぅん…。」
途端、顔を真っ赤にして言葉を無くす三郎の変わりに伊作が相槌を打った。小平太は嬉しそうな顔で話を止めるつもりは無いらしい。
「毎回毎回掴まるわけじゃないからな鉢屋も!でも捕まえた時はずっと一緒に居られるんだ!嬉しいだろ?」
「そんなにかい?」
「そりゃそうだ!!鉢屋は私の好きな人だからな!!」
「せ、せんぱい!!」
「うん?なんだ?」
「そ、そんなはっきり…。」
先ほどまでの勢いはどこへやら。しどろもどろになりながら視線を泳がせる三郎に、小平太が愛おしそうに目を細める。
「なんだ。お前が私の恋人なのはみんな知ってるじゃないか。」
「伊作先輩は知りませんでした!!」
「まぁ驚かないけどね。」
なんだかアホらしくなってきた。
伊作は淡々と手を動かし、最後の一人になった滝夜叉丸の治療を終える。ちなみに他の後輩たちは治療が終わるごとに帰って行った。
滝夜叉丸も金吾を抱え、「ありがとうございました」と伊作にお辞儀して医務室を出る。
それを見送ってため息を一つ吐き、残った二人をぼんやりと見上げた。
「大体先輩は突っ走り過ぎなんです!私の都合も聞かず引っ張って行ったり!」
「だって見つけたらすぐ捕まえないと!逃げるだろうお前!」
「だって先輩がすごい勢いで走ってくるから!」
「だから鉢屋を見つけたら抑えなんか効かないって!!」
「そこは抑えてください!」
「なんでだ!?」
「だ…って、」
「お前が好きだという気持ちを抑えるつもりはないぞ!」
「………ずるいじゃないですか。」
「うん?何がだ?」
「            。」
小さな声で、三郎がなにごとか呟くが、伊作の耳には聞こえなかった。
ただ、それを聞いて満面の笑みを浮かべた小平太から大体の内容は想像できるが。
「うわぁあ!!」
「いさっくん!邪魔した!!」
腕の中の三郎を抱え直し担ぎあげ、小平太はそれはいい笑顔で伊作に暇を告げた。伊作もそれに温い笑顔を返す。
「ああうん。二度と来るな。」
「無理!じゃあまた明日!!」
来た時と同じく騒がしい足音をたてて級友が去るのを見送る。
「…ほんとに、二度と来るな。」


「な、ななまつ先輩!!」
「ん?」
「どこに行くんですか!?」
「部屋!鉢屋が可愛いからな!!ほんとはここでもいいけど…。」
「だ、駄目です!!」
「じゃあ部屋だ!そしたらもう抑えないからな!!あんな可愛い事言って、ただで済むと思うなよ!!」
そう言って見下ろす小平太の目は、明るい言葉とは反対にぎらぎらと獣の色をしていて。
三郎はそれに束の間見惚れ、そして黙って俯いた。
さっき言った言葉は嘘じゃない


『私だって、先輩が好きな気持ちが溢れそうなのに。』


恥ずかしい。本当に恥ずかしい。なんて事を言ったんだ。
でも。
三郎はしっかりと自身を捕まえる体に頭をすり寄せる。ピクリと反応する体が愛おしい。
ああ私だって、この人が好きなんだから。
だから掴まったって無茶されたって、最後には許してしまうんだ。
「しょうがない、か。」
「ん?なんか言ったか鉢屋?」
「なんでも。」
でも癪だから、しばらくは伝えてやらない!


あとがき
8836hitされた橘様のキリリク、「押せ押せないけドンの暴君に呆れつつ好きで仕方ない三郎の七鉢話」でした。
ど、どうでしょう…?伊作が出張り過ぎですか…。
橘様のみお持ち帰り自由です!もし、よろしければ…。
(びくびく)

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