その顔が
ダンッ、と強く地面を叩く音が聞こえる。
見回り兼掃除のために学園内を歩いていた三郎はその音の方向へ顔を向けた。
別段、この学園では珍しいものではない。むしろ武術を主に学ぶ学園ではありふれた音だが、その方向が硝煙庫のある方だったのが三郎の気を引いた。
つい、と足の向きを変える。
ただの気まぐれだ。別に、学園内を見回る順番に決まりはない。
それこそ散歩する猫のように、好奇心を隠す様子もなく覗きこむ。
湿気が蔵に入らないよう水も撒かれることもないそこは地面がむき出しになっており、乾いたそこからは風が吹く度砂埃が舞っていた。
その中で、再びダンッという音と共に砂が舞う。
「俺の手ばかりに集中するな。動き全てに集中しろ。」
「はい!!」
もうもうと茶色い風が吹くその中に、見知った顔を見つけて三郎の片眉が器用に上がる。
場所を考えれば驚くことではないが、珍しい。
委員長代理を頭に真面目な人物が揃う委員会が、今は俄か武道教室となっているらしかった。
見れば、砂埃の向こう側に倉庫の入り口へ腰かけた伊助とタカ丸も「久々知先輩かっこいいです!!」「ろじ君がんばってーー。」などと盛りたてている。
「もう一本お願いします!!」
「よし。」
ザッ、と強制的に伏せらされた体を起こし構える三郎次に対し、兵助は緩い体勢でそれを待ち受ける。
三郎は気配を消しにやにやとその成り行きを見つめた。
ピンと張りつめた空気に、伊助が固唾を飲む。
キリキリと引かれた弓の弦のような空気を弾くように、三郎次の体が動く。
「っせ!!!」
掛け声と共に渾身の力で振り上げた拳が緩く開かれた兵助の掌にいなされる。だが三郎次はそれに体を合わせて兵助の背後へ回ろうと体を捻る。
その勢いで回し蹴りを繰り出すが、兵助は最小限の動きでそれを捕えた。
「う、わっ!!」
「威力に自信が無いなら不安定な体勢になるな。」
片足を掴まれバランスを崩した三郎次がそのまま倒れる。
青い制服がさらに埃塗れになった。
「兵助。いつから指南稼業を始めた?」
消していた気配を再び戻すと、さすがに兵助も気が付き三郎の方へ顔を向ける。
だが驚いた様子がないのは慣れだろうか。多少の呆れた視線と共に「今さっきだ。鍵を土井先生が持ってこられるまでだな。」と答えた。
少し埃に汚れているものの、払えば落ちる程度の兵助に対しその足元で荒い息を吐く三郎次は「ありがとう………ございました…………。」と辛うじて呟いている。
それを聞きとって、兵助は三郎次の頭をポンと軽く叩いて硝煙庫へ足を向けた。
背を向けられた三郎もなんとなくその後に続く。
向かった先で伊助は尊敬の念も露わに、タカ丸は三郎次へ微笑まし気な視線を向けつつ兵助を迎えた。
「お疲れ様久々知くん。」
「久々知先輩!!お疲れ様です!!」
「ん。」
言葉少なではあるが心なしか目を優しいものに変えて兵助は伊助の頭を撫でる。
えへへ、と伊助が嬉しそうに笑うのを見て、三郎も笑う。
「土井先生がいらっしゃるまでというが、果たしていつになるかな?」
「は?それはどういう………?」
意味だと問うより早く「お前らぁぁぁぁぁ!!!!」と叫ぶ若い教師の声が聞こえた。
「…………………。」
「な?」
「は組の誰かがなにかしたかな?」
「あっちも面白そうだね〜。」
遠くを呆然と見つめる兵助の横で、騒動に慣れた伊助とタカ丸が呑気な呟きを零す。
「ま。しばらくは戻ってこないだろうな。少なくとも、日が暮れるまでは。」
三郎も他人事だとばかりににやにやと、楽しそうに呑気なことを呟く。
「…………………。」
兵助は多少考えるように間を置いたものの、やがて諦めたようにため息を吐き「解散。」と手を上げた。
伊助とタカ丸は「はーい!!」と元気よく返事をしたあとまだ地面に転がったままの三郎次を担いで騒動の方へ走って行った。
「はぁ……せっかくのいい天気だったのに。」
「ご愁傷様。」
「あいにくそんなおもしろそうな響きの慰めは何にもならん。」
「こりゃ失礼。」
ふてくされる兵助の肩に手を置き、三郎はいまだにやにやと兵助を見つめている。
「なんだ?」
「いーや?」
「ならその笑いは何だ。」
「兵助、ちゃんと先輩してんじゃん。」
三郎の顔は変わらない。にやにやと、厭らしく兵助の顔を覗きこんでいた。
「珍しくてさ。びっくりしちゃったよ私。」
「…お前ほど甘くないだけだよ。」
「まさか。私は甘やかすの下手だよ。」
庄ちゃんも彦ちゃんも、全然甘えてくれないもん。と少し拗ねた口調で言うのに、慰めるように肩に置かれた手を叩いた。
「お前はやり過ぎなんだ。あれじゃあ逆に自分たちしっかりしなければと自立を促すだけだぞ。」
「えーーー。」
「大体、それも含めた『甘やかし』だろう?」
ん?と笑む顔は三郎に突き刺すように「なら文句を言うな。」と告げていた。
三郎は少し凶暴なその笑みにヒクリと顔を引きつらせ「はーい。」と離れる。
「あーあ。せっかく兵助がカッコよかったちゅーしてやろうと思ってあんなに近づいたのに。」
「え!!?」
体を離しすぐにそんなことを呟いて背を向ければ、どこか期待の混ざった声が背後から上がる。
ちらりと三郎が背後に視線を飛ばすと、先ほどまで凛々しい顔つきで後輩を指南していた男はどこかに消えてしまったようだ。
今は、ただ期待に顔を赤くして相好をだらしなく崩したただの男がいるだけだ。
「さ、三郎?」
「しーらね。」
笑みを一つ残して三郎の姿が一瞬で消える。
兵助は突然のそれに束の間目を瞬かせるが、すぐに「三郎!!」と己もそれを追いかけた。
その二人の追いかけっこは学園中の人間が見ていたが、逃げているほうが三郎だと知って誰もいつものこと、と感心を持たずにいた。
その顔が、悪戯っぽく笑っていたので尚更のことである。
だが、逃げる方も追いかける方も、少し顔が赤いことは、ほんの一部の人間のみが知ることであった。
あとがき
かっこいい久々知先輩が書きたい!!!!と叫んで書いた一品。
かっこいい、はず。当社比。
強くて後輩の面倒よく見てでもやっぱり最後は情けない久々知先輩が大好きです。