指定席
突然のことだ。
僕にはなにがなにやら、全く分からなかった。
「三郎、待ってたよ。」
「遅かったなー。委員会お疲れさん。」
「おつかれー。」
「定食とっておいたぞ。」
口ぐちに迎える僕らに、三郎はなぜか顔をしかめてふいと顔を逸らしてしまった。
そして、そのまま食堂から姿を消して帰ってこない。
別段、いつも通りの光景だというのにどうしてか彼はとても切なそうな顔をしていて。
僕たちは顔を見合わせ、それから視線が僕へと集中する。
「後は引き受けた。」
「ありがとう。まかせた。」
力強く頷くハチに僕も頷き、五年間培った身軽さで消えたその背を追った。
背後から「お残しはゆるしまへんでぇぇぇぇぇ!!!!」「待ってくださいおばちゃんこれには深い訳が!!!」と戦う友の声がする。
その恐怖の滲んだ声に涙が浮かびそうになるが、自分のすべきことのために振り返らずただ走る。
はたして、見つけるのが困難かと思われた彼の姿はすぐに見つかった。
すっかり馴染んでしまった自分と同じ後ろ姿に、よりいっそう足を速めてその腕を掴む。
「三郎!」
そしてやはり意外にも素直に捕まったその腕に、僕のほうが驚いた。
「三郎?どうしたの?」
腕を掴んだまま三郎の正面へ回る。
そして、またもや僕は目を瞬かせてしまった。
「…久々に見たねそれ。」
「……………。」
狐の面を付けた三郎が、僕の言葉に俯く。
だが逃げようとしないその体に微笑んで、僕は静かに掴んだままの腕を引いた。
「…部屋に行く?」
こくり、と頷いた頭を撫でて、僕たちは長屋へと足を向けた。
部屋に入って明かりを灯した途端、三郎がどんっと音をさせて僕の背中へ飛びつく。
面を外したのだろうか、ぐりぐりと顔を擦り付ける感触は柔らかい。
背中に感じる温もりに自然と笑みが浮かぶ。その体を抱きしめようと「こっちへおいで。」と声をかけるが、首は横に振られてしまった。
そのままぎゅううとしがみ付かれてしまっては、そのままの体勢でいるしかない。
しがみ付かれたままの状態で腰をその場に下ろすと、三郎も一緒に付いてきた。ちらりと背後の様子を窺うと、幼子のように小さくなってただ僕に掴まっているようだ。
僕とほとんど変わらない体格だというのに、甘えたいときの変わらない仕草に笑いが零れた。
その笑い声に反応したのか、もぞりと三郎が動く気配がする。
「さーぶろ。ほらどうしたの?」
「…………………。」
どうやらまだ言う気にはならないらしい。なかなか頑固なこの子の口を無理やり開かせることは難しい。
長期戦になりそうだと、僕は腹に回された手をポンポンと子供をあやす仕草で叩いた。
「お前はときどき甘えたになるねぇ。」
「………………嫌かい?」
「まさか。嬉しいよ。」
その言葉に三郎がふるりと体を震わせたのが分かる。
僕にしがみつく力もますます強くなって、その力が愛おしい。
「らいぞう…すき。」
「僕も三郎が好き。」
怖々とした小さな声にはっきりと答える。
「本当に…?」
「ほんとに。」
「好きだよ雷蔵。」
「うん。好きだよ三郎。」
何度も、何度も、確認するように好きだという三郎に、僕も好きだと返す。
「ねぇ三郎、顔が見たいな。僕の顔でいいから。」
「………………。」
また黙ってしまった。
腕も動かなくなってしまって、ならもう少し待とうかと続けようと口を開く。
「…………わたしは、みにくい。」
「三郎?」
「きみの顔を借りているのに、私のこころが汚くて、とても、みにくい。」
だからみせたくない、という小さな声は震えていて。
振り返ろうとする僕の体をその腕がまた強く抱きしめた。
僕はあやす手も忘れて、その言葉にじっくりと思考を巡らせた。
「僕は、君が好きだよ。」
「………………。」
「鉢屋三郎が好きだよ。心や顔の一部分で好きになったんじゃない。鉢屋三郎の全てが愛おしいよ。」
「………………。」
「君は、自分で醜いと思っているこころを見せたくはないのかもしれないけど、僕は、その醜さでさえ、愛おしいと、抱きしめたいと思うよ。」
「………………。」
「ねえ三郎。君が、鉢屋三郎が好きだ。」
抱きしめさせては、くれないか?
そう告げると同時、さっきまで背中にあった頭が、僕の腹に埋まった。
相変わらず顔は上げないけど、目の前で揺れる頭は僕と同じものだ。自然と、その頭に口づける。
「三郎。大好き。」
「らいぞぉ………。」
ようやく上げられた顔は、涙やら鼻水やらでぐしょぐしょになっていていた。
あまりに情けない顔にぷっと思わず笑いが零れ、三郎は一瞬それに目を瞬かせたあと、「笑うなんて酷い!!」ときゃんきゃん吠えだした。
その様子に堪えていた笑いも堪え切れなくなってあははははっと高らかに笑う。
どうにも子供のように泣いた顔が愛おしくてしょうがなくて、その気持ちのままに目の前の華奢ともとれる体を思い切り抱きしめて、また口づけを落とす。今度は唇に。
舌を差し込むでもなく、ちゅ、と可愛らしい音をしてすぐに顔を離せば今度は真っ赤になった三郎の顔。
それがまたかわいくて、僕は蕩けそうな気持ち共に三郎をまた強く抱きしめた。
「三郎。好きだよ。」
びくっと三郎の体が腕の中で震えたのが分かったが、離してなんかやらない。まだまだ伝え足りない。
この子が不安になることなんか無いくらい。伝えなければ意味がない。
「好きだよ。愛してる。」
僕の重ねられる言葉に三郎が戸惑う気配が伝わる。さらに重ねてやろうかと耳に口を寄せようとした途端、「…ずるい。」と羞恥に掠れた声が僕の耳に届いた。
「ずるいよ…。子供の癇癪みたいな嫉妬した私が、馬鹿みたいだ…っ。」
ぎゅう、と子供のように僕の装束にしがみつく腕とその言葉の無いように僕の口に再び笑みが刻まれる。
「嫉妬してたの?誰に?」
そんな必要ないのに。と言外に含ませると三郎がまた悔しそうなうめき声を上げた。
「…さっき、食堂で。」
「うん。」
「………雷蔵の隣。ハチが座ってただろう。」
「そうだね。」
「…………雷蔵の隣は私なのに。」
言ってからまた恥ずかしくなったのか三郎の手にさらにぎゅうううと力が込められる。
そして僕はといえば、
「……雷蔵、笑いたきゃ笑えよ。」
「え?」
「体震えてるぞ。」
どうやら密着している三郎にはばれてしまったらしい。
だが、どうにかして笑いをおさめ、僕も三郎に負けじとその体を抱きしめる。
「笑わない。三郎かわいい。」
僕の隣が特等席だなんて。ほんとうに。
「大好きだよ。」
「嫉妬深いだろ。」
「いいや。僕の隣は三郎のものだもの。」
「子供みたいに癇癪起こして。」
「君が子供っぽいことなんていつものことじゃないか。」
「駄々こねて。」
「三郎のわがままくらい、叶える甲斐性は持ってる。三郎。」
「…………。」
「わがまま、言ってごらん?」
顔を上げた三郎の目に、蕩けそうに笑う僕が映る。
この腕の中の愛おしい子は、なんてかわいいのか。
胸の内にとどまらない思いが、僕の目からも漏れてやしないか。
三郎は顔を赤くして、また俯いてしまった。
でも小さく、本当に小さく、
「隣にいたい…。」
そう言うのが聞こえて、それがわがままというにはあまりにも僕を喜ばせていることに、きっと三郎は気が付いていないのだ。
「三郎、言っただろう?」
「ふえ………?」
「僕の隣は、君のものだもの。僕も君しかいらない。」
唖然と僕を見つめる三郎に、胸に湧く愛おしさのままに微笑む。
とたんに顔を真っ赤にしてしまった三郎をまた抱きしめて。
「好きだよ三郎。」
「雷蔵…好き。」
今度の口づけはどちらともなく惹かれあって。
いままで感じたどの口づけより愛おしく感じた。
あとがき
甘い幸せな雷鉢を目指しました!!
読んでくれた方が、「なんだよこいつら幸せな奴らめ一生やってろ」と笑ってくださったのなら幸いです。
携帯に負担の無いようにしたいので、殺風景な背景で申し訳ありません。