おうちにかえろう
視界に茶色の髪が垂れる。
それを面倒くさそうに耳へ梳き、また作業を続ける。
「前髪伸びたねー。」
「そうだな。」
正面に座り同じように作業しているはずの勘右衛門がその一連の流れを見て呟く。
それに適当に頷いても三郎は顔を上げない。
書類に何かを書く度に微妙に動く頭から、再び先ほどの一筋の髪がはらりと落ちてきた。
それを再びうっとおしそうにかき上げるが、勘右衛門の「切っちゃえば?」の言葉に三郎の顔が歪んだ。
「嫌だ。」
「雷蔵と同じじゃなくなるから?聞きあきたよ。」
呆れたように安い椅子の背もたれにギシリと体を預ける。
「お前仕事は。」
「もう終わったー。」
勘右衛門に渡した仕事の量はそんなに少なくないはずで、三郎は軽く驚きに目を見開いた。
それに「失礼だよ。」と目の前の顔が苦笑し、
「集中してやったからね。大人しかったでしょ俺?」
「ああ……。」
言われて時間を見てみれば、なるほど、確かに開始から結構な時間が経っていた。
だが三郎の手元には、数種類の仕事がまだ残っている。
「いつもは私の方が早く終わるのに。」
「…まぁ、そういう時もあるんじゃない?」
勘右衛門の浮かべる笑みはいつもと変わらない。
だが、ガタッと椅子を鳴らしてその席を立つのに三郎が再び驚く。
「ちょっと先帰るね。俺の仕事終わったしいいでしょ?」
「あ。ああ…。大丈夫だ。」
「ん。じゃあねー。」
「うん。また…。」
コートを羽織って笑顔で手を振る姿はいつもと変わらない。だがいつもなら。
「いつもなら、一緒に家まで帰るのに…。」
独り暮らしの勘右衛門の部屋にお邪魔して、二人とも料理が得意だから交代でご飯を作って、そして一緒に穏やかな時間を過ごすのに。
約束しているわけじゃない。ただ、自然とそういう成り行きになっていただけだ。
だから、勘右衛門が帰るのは構わない。止める権利も三郎にはない。
「別に…いいんだけど。」
一人になると寒いな、この部屋。と三郎は一人ごちた。
チッチッ、と時計の音が部屋に響く。
いつもはそれほど嫌いではないその音が今はやけに耳について、やけに苛々した。
ケアレスミスも増える。
それでも根気よく続けるが、次第に頭痛を覚え始めて体を背もたれに預けてしばし休憩することにした。
「なぁんで終わんねぇかなぁ。」
はぁ、とため息を吐いて、しばし天井を見上げる。教室の天井はべつになにか面白いものがあるわけではなかったが。その汚れを何となく見つめて三郎はぼんやりと頭を巡らせた。
寒いし。
疲れたし。
…仕事は終わらないし。
「帰っちまおうかなー…。」
明日は委員会が無いが構うものか。この部屋の鍵の管理は三郎だ。
「……そうするか。明日だ明日。」
決めてしまえばさっさと帰り仕度をすませ、三郎は戸締りをして教室を出た。
もう外は日が落ちて暗くなっている。人の居ない校舎も、こころなしか暗い。
三郎は首を竦めてその中を早歩きで歩いて行く。
だが、階段を下りる途中から、誰かが昇ってくる音が響き始めた。
この階段は三郎たち学級委員か実験室やその資料室に移動する人間しか使わないような場所で。そして後者も全てもう戸締りされている。
一体誰かと首を傾げながら、まぁこのまま降りれば分かることだとそのまま緩めることなく足を進めた。
踊り場でくるりと体を翻すと、ちょうど上がってきたらしい人物にぶつかった。
「おっと、大丈夫?」
「ああ………。」
ぶつかって倒れそうになる三郎の体をとっさに支えた腕に礼を言おうと顔を上げると、今日何度目かの驚きに目を瞬かせた。
「お前……。」
「あれぇ?帰るの?もう仕事終わったんだ。」
にこにこと、もう帰ったはずの顔が三郎を見下ろしている。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「戻ってきた。ほら、鉢屋上向いて。」
そう言われても、背の高い勘右衛門が密着と言っていいほど近づけば三郎は見上げるしかない。
問うような目に勘右衛門はにこりと微笑み、三郎の顔にかかった前髪をそっと手で避けてやる。
「はい。もういいよ。」
「?なにを…。」
言われて勘右衛門が離れたので三郎も顔を元に戻すと、視界がすっきりとしていることに気付いた。
不審に思って勘右衛門の触れたところに手をやれば、指先に冷たい感触。ヘアピンが留まっている。
「ピン?」
「前髪、邪魔だったでしょ。集中できてないみたいだったし。」
でももう仕事が終わったならそうでもなかった?と笑う勘右衛門に、目を瞬かせる。
「…これ、買いに行ってたのか?」
「うん。コンビニで売り切れててさぁ。その先のスーパーまで行っちゃったから遅くなっちゃった。夕方だからレジ混んでるし。まいったまいった。鉢屋がまだ居てよかったよ。」
照れたように笑う勘右衛門に、三郎は何も言えず俯いていた。
「はーちや?」
なにもかもわかったように笑う勘右衛門が俯く三郎の顔を覗きこもうと身をかがめる。
その顔をべしっと三郎は叩いてくるりと体を反転させた。
「は、鉢屋?どこ行くの?」
「まだ仕事終わってねぇんだよ!!」
知らず大きくなる声は単なる照れ隠しだ。
もちろんそのことも分かっている勘右衛門は叩かれた顔を擦りながらその後を付いていった。
「手伝うよ。」
「当たり前だ。三十分で終わらせるぞ。」
決して振り向かないで三郎が強気に語気を強めるのに、こっそり肩を竦める。
「後でご飯作ってね。」
返事は無いが、無言は了解と取っていいだろう。
「俺筑前煮が食べたいなぁ。」
「ちゃんと材料あるんだろうな。」
「多分。」
「…買い物して帰るか。」
早歩きをしているわけではないのに、今度はあっという間に元の教室に戻る。
外は暗いが、すぐに終わらせて帰れば夕飯には丁度いいだろう。
三郎がそっと微笑む顔を、正面に座る勘右衛門は今度こそ見逃さなかった。
あとがき
米粒ちゃんに誕生日祝いで押し付けたブツ!!!
リクエスト勘鉢だったので勘鉢で。
現パロの夫婦的な勘鉢好き!!!
米ちゃんおたおめーーーー!!!!\(^▽^)/