お使いの日
「庄。」
呼びかけられて振り返れば、そこには生物委員の竹谷先輩が立っていた。
しかし、僕は竹谷先輩をよく知らない。知らないけれどきっと本人ではない。僕をこういう風に呼ぶ上級生は一人しかいないから。
そしたら自然と答えは出る。
「鉢屋先輩。こんにちわ。」
「はいこんにちわ。相変わらず冷静だねぇ。さっき彦に会ったときはものすごくわたわたしてたぞ。」
そう笑う顔もいつもの鉢屋先輩のものだ。鉢屋先輩が本気で化けようとしない限り、見破る難易度はそう高くないはずだけれど。
それをそのまま伝えれば、「将来有望だな。いや、危険なのかな?」と楽しそうに僕の頭を撫でる。
その手は暖かくて、顔には出せないけれどとても好きだ。でもきっと先輩はそんな僕の心などお見通しだと思うけど。
「それで、なにかあったのですか?」
「ああそうだった!庄。私服に着替えておいで。町に出かけるよ。」
「町に?」
「そう。お菓子の調達。」
「…………わかりました。」
たっぷり五秒間沈黙し、ため息とともに了解の意を伝えた。
先輩はますますうれしそうに僕の頭を撫でるけど、僕は団蔵含め会計委員と他の委員会の方々に対する罪悪感でいっぱいだ
町はいつものように賑わっている。僕たちも実習で町を訪れることはよくあるけれど、先輩と一緒に遊びに来るのは初めてだ。
「彦四朗、残念でしたね。」
「まぁ仕方ないさ。学級委員長ならクラス全員参加の勉強会も参加せにゃならんだろう。」
「そうですね。こっちは遊びに行くだけですし。」
「遊びにじゃないぞ。お使いだお使い。」
「委員会のお菓子を買いに来るのがですか?」
「そう。立派なお使いだろう?」
「…。」
とてもそうは思えないが。
でも先輩はとても楽しそうに僕と手を繋いで歩く。器用に
人ごみをよけているので、僕はさっきから人と一度もぶつかっていない。
…こう見えて、本当に優秀な人なのだ。
だから、その先輩がトンッ、と人とぶつかったとき、僕は思わず先輩の顔を見上げてしまった。
「失礼。」
「いいえ。」
男性は行商人のようで、会釈してすぐに去って行く。
先輩も会釈を返し、もとの通りに歩きだした。
自然な動作だ。自然で、この町で見かけないことはないような違和感のない動きだ。
それが、よけいに違和感を覚える。
やがて着いた茶店で、僕はようやく口を開いた。
「先輩。さっきすれ違った男の人ですが、お知り合いですか?」
茶をすすりながらぽつりと呟くような声で問うと、先輩は一瞬驚いた顔をしたあと、いつもの悪戯っぽい笑顔で「違うよ。」と言った。
「しかしよく気がついたね。」
「偶然です。僕は視点が低いから、たまたま先輩の懐が目に入ったので。」
先ほど珍しくぶつかった先輩を見上げた拍子に、ちらりと白い紙が見えた。道中考えたが、このお使いの目的はお菓子ではなくこれだったのだろう。
「なるほど。まぁしかしここで話すことでもない。帰ったら教えてあげるよ。」
そう言って先輩は団子にかじりつく。
それに僕もうなずき、目の前にある報酬の団子に手を伸ばした。
しかしやはり五年生の出るお使いがこんな簡単に終わるはずがない。
「いや。本当は下級生でも出来るものだったんだがね。これは私が受けて正解だったかな…?」
「人の心を読まないでください。」
「それは失礼。」
軽口をたたき笑いながら、先輩の背中は緊張する気配も見せない。本当は、結構不味い状況ではないかと思うのだけど。
僕らの前後、二人の男が殺気をまとわせ刀を構えてる状況なんて。
「…さて。一応伺いますが、目的は?私たちはお使いのお菓子を買って帰るところなんですがね。まさかこのお菓子が目的で?」
「ふざけるな。密書を渡してもらおう。お前が持っているということは調べがついてる。」
「…調べ、ね。意外と根性がなかったな。こんな早く追っ手が来るとは。」
ばれたのが拷問の結果でしかあり得ないと断言している。
誰かにみられたとかそんなことはあり得ないとはっきりと自信をもっているのだ。
「早く渡してもらおう。その童を傷つけたくないだろう?」
童。とは僕のことだろう。
まだ十ばかりの僕など、たしかに邪魔にしかならないかもしれない。弱みとなってしまうかもしれない。
けれど。僕はちっとも怖くなかった。
「…先輩。不謹慎ですよ。」
「それは失礼。」
だって、先輩が笑っているから。
いつもの悪戯する前のようなニヤニヤ笑いで、僕の手をぎゅっと握っていてくれる。
大丈夫だ。先輩の手は温かい。
本当に、余裕のふりではなく全く緊張していないらしい。
「なぁあんたたち。私たちをどうするつもりだ?」
「……素直に密書を渡せば情けはかけてやる。」
「ふぅん。だってさ。どうする?」
「僕ですか。」
「うん。君はどうしたい?」
「…死ぬのは嫌ですね。」
「そうだね。」
「でもこの人たちの言うことを聞いてもきっと死んでしまうと思うのですが。」
「なるほど正解だ。」
「っな!?」
「じゃあどうする?」
僕らの会話に、殺気がますます膨れあがっている気がする。でも、僕はもう先輩の笑顔しかみていない。
先輩も、僕しかみていない。
男たちなんて眼中にないと、態度で示しながら、僕は少し迷う振りをして、口を開いた。
「逃げましょう。」
「よしきた。」
ふわり、と体が浮く。
この先輩も細い体に見えてなかなか力持ちだ。僕の体を片手で抱えてさっと森に入ってしまった。
「なんだと!!」
「待て!!」
「待ったないよーー!!」
「先輩!!」
「あはははは!!!」
僕を抱えながら先輩は獣のように素早く走る。
時折突出している障害物など無いかのようにひょいひょい体を動かしながら少しも速度を落とさない。
後ろの男二人も懸命に追いかけて来ているようだが、その怒鳴り声もどんどん遠くなっていく。
「鉢屋先輩の逃走術は相変わらず見事ですね。」
「…それはほめられてるんだよな庄ちゃんや。」
「もちろんです。」
「そう…。」
抱えられながら見上げた先輩の顔は少し複雑そうだ。
「…褒めてるんですよ?」
「うん…。わかってる。……楽しい気分邪魔された腹いせに後を残しながら学園戻ろうか。六年の罠の実習場所通って。」
「死人が出るからやめてください。僕らが六年になったとき発見とか嫌すぎます。」
「大丈夫だよあと五年もあるんだから。きっと途中の学年の保健委員が発見するさ。」
「…とにかくやめてください。」
「はーい。」
先輩の返事と同時、学園に到着した。
…最初から冗談なら冗談と言って欲しい。…本当に。この人の場合は特に。
「それじゃつまらないじゃないか。」
「だから人の心を読まないでください!」
「はーい。」
きゃらきゃらと笑いながら体を下ろしてもらう。すぐにお菓子を確認したが、どうやらこれも無事のようだ。
「庄左ヱ門は本当に大物だねぇ。」
「は?」
「いやこっちの話。さっさと戻ろう。」
「はい!」
小松田さんにただいまを言って入門表も書いて、先輩は学園長に報告。僕は委員会室でお菓子を仕舞って待機となった。僕はまだことの全貌が見えていないのだ。ぜひとも説明して欲しいところなので、お茶をいれながらじっと待っていた。
「やあ。お待たせ。」
「鉢屋先輩。お疲れさまです。」
「ん。お疲れさん。」
僕の正面に座る先輩にお茶とさっき買ってきたお菓子を差し出す。
それを先輩はうれしそうに目を輝かせて手に取った。
ズズ…、とお茶を一口すすってため息を吐く。
「相変わらず庄のお茶はおいしいねぇ。」
「ありがとうございます。」
「ふふ…あまりじらさずにいたほうが良さそうだ。」
…そんなにじっとみていただろうか。
「ふふふ…。まあ庄の気がついていた通り。今回のお使いの目的はあの密書だよ。もちろん内容は言えないし、依頼主も言えないけどね。ただ…まぁめんどくさいことに向こうが私を指名してきた。」
「先輩を?」
「時折あるんだがね。噂だけ聞いてまぁ使ってみたいと。お試しのようなものだ。」
「はぁ。」
「私もお菓子買いに行きたいところだったし、ついでに受けてもいいかと。そう思ってね。」
「任務がついでですか。」
「当たり前じゃないか。こんなつまらない任務。いつもならとっとと誰かに代わってもらっているよ。」
私の素顔を知ってるやつはいないしね。
そう笑う先輩の顔は晴れやかだ。本当に普段はそうしてるんだろうなこの人…。
「私の優先順位は常に私にある!」
「威張らないで下さい。」
「すまなかったね。庄。君を巻き込んでしまった。」
…本当に。この人は掴めない。
ふざけていたと思えば、こうして真摯な目を向けてくるんだから。不破先輩はこんな鉢屋先輩を完全に把握しているんだから、すごいなぁ。
そんなことをぼんやりと考えていた僕を、先輩が少し不安気に覗きこんでくる。
「…別に、気にしてませんよ。」
「庄?」
「鉢屋先輩が一緒でしたし。先輩。余裕だったじゃないですか。」
「おや。そう思うかい?」
「ええ。僕の先輩の、鉢屋三郎ともあろうお人があれほどのこと、気にすることはありません。」
「…本当に君は大物だ。」
「先輩のご指導の賜物です。」
「ふむ…なるほどね。それはしょうがないな。」
「はい。」
ズズ、と茶を飲む音が二つ、委員会室に響く。
それは嵐など知らないような穏やかさだった。
うん。今日も何事も無くいい日だ。
あとがき
庄左ヱ門をひょいって持ち上げるかっこいい鉢屋先輩が書きたかったんだ!!
持ち上げてるけど…かっこ、いい……?
すみません三郎のカッコよさの十分の一も出せていません。
学級委大好き!!