愚か者の恋模様
三郎は正直浮足立っていた。
任務は滞りなく、どころか順風満帆と言ってよい程何事もなく進んだ。
軽い仕事だ。
貿易商の皮を被った極悪人。そのドラ息子に近付いて、その次の取引を抑える。
三郎の今回の任務はその情報収集。一番の得意分野である。失敗するはずがなかった。
ニッと赤い唇が弧を描いた。
美しい娘の姿から、中身が男だとは想像出来まい。
三郎の頭には馬鹿息子から洩らされた情報がしっかりと入っている。
少し目を潤め、しんなりと凭れかかればあとは流るる水のごとくだ。ペラペラと欲しい情報をすぐ流してくれて、これほど楽な仕事はない。
時間はもう黄昏時を迎えるころだ。
(早く帰ろう…。)
帰れば仲間たちが任務帰りの三郎を温かく迎えてくれることが分かっていた。だから早く帰りたかったのに。
三郎は小さくため息を吐いた。
(二人…か。)
後を付けてくる男が二人。今三郎が美しい娘だからと言ってついてくるわけではないだろう。
ゆっくり、娘らしい足取りで町を歩きながら三郎は考えを巡らせる。
男たちは忍ではないようだ。歩き方が粗雑過ぎるし気配も隠し切れていない。あの店の用心棒か、それとも厳つい使用人か。なんにしろ本気で相手をすれば三郎の敵ではないことは確かだ。
しかし。
今この男たちを撒いたり、叩きのめすのは不味い。
三郎が敵と知られ情報を無効とされれば今日の任務が水の泡である。あの極悪人の被害に合う人を増やしてはいけない。
表情も仕草も、まだ娘のそれから崩れてはいない。
(ふむ…。)
三郎は考え、歩き、考え…、そして走った。
「あ!!」
後ろから二つの声が聞こえる。
三郎はあくまで娘の演技を続けたまま走り続けた。後ろから男たちが正直について来ているのを確認して内心でまたほくそ笑む。
(このまま走って、少ししたら止まれば釣れる。そしたら適当に相手をしてしまおう。)
あれだけ気配を洩らしたまま尾行すれば、ただの人でも気付く。しかしだからと言ってあの場で振り返ればこちらがただ者ではないことがばれる。
ならば、少し怯えて逃げる振りをすれば相手は調子づいてこの三郎の真正面に現れるだろう。
そして案の定、走り疲れたというように少し速度を落とせば、強い力で腕を引かれた。
(かかった…!)
「な、なんですか!?なぜ追いかけてくるんですか!?」
三郎は怯えた目をして男たちを見上げる。
男たちはすっかり騙されたようで、少し息を乱しながらも笑みを浮かべて三郎を見下ろしていた。
「…お嬢ちゃんこそ、なんで逃げたのかな…?なんか不味い事でもあんのかい?」
「し、知らない男の人に追いかけられたら逃げるのが当たり前です!」
「そりゃそうか。」
声を上げて笑う男に、三郎はだんだん訝し気な顔になっていく。
(なんだ…?私が何か重要な事柄を知ったから消すために追って来たんじゃないのか?)
顔には出さず戸惑う三郎の腕を、男がグイと引いた。
それに合わせてよろけてから「なにをするんです!?」と男を睨む。
「若さまがどうしてもお前を諦められないそうだ。だから来い。」
「なっ!?」
ニヤニヤ笑う男の言葉に、三郎は素で驚いてしまった。
(馬鹿息子だとは思っていたが、まさかここまで…!)
「ほら来な。」
男の手が再び強く三郎の体を引く。
(仕方ない…隙を見て逃げ出すか……。)
軽く抵抗しながら身を捩る。男は痛いほどに三郎の腕を掴んで引き摺って行こうと腕を引いた。
思ったより加減無く強いその力に三郎がよろけると、力強い腕がそれを支える。
しかし、それは武骨なそれではなく。
「なんだぁ?てめぇ…。」
「みつ。こんなところに居たのか。捜したぞ。」
にこりと微笑む、整った顔立ちと黒い瞳。三郎は見覚えのありすぎるその顔に目を見開きその名を叫ぼうとして今自分が女装していることに気がついた。
「へ…ぃきちさん。」
「なんだ?嬢ちゃんの知り合いか?」
「許嫁だよ。わかったらその腕をさっさと放してくれないか。」
三郎をやさしく抱きとめながら、兵助は二人の男をねめつける。
いまだ三郎の腕を掴んでいた男は、しかしそれでも放そうとはしない。逆に、一見優男に見える兵助を嘲笑してさらに引っ張ろうとしていた。
「悪いが兄ちゃん、この子はもうお手付きだぜ。諦めて余所をあたりな。」
「それは困る。俺はこの子しか目に入らないんだ。」
あくまで引く気配のない兵助に男が目を吊り上げたが三郎は今はじっとしているしかない。
だが、不意に動いた兵助の気配に三郎は制止しようと慌てて振り向く。
「まっ…」
「ぎぃあ!!」
「ほら。これで腕が一本落ちた。」
静かなその声の内容に血相を変えた三郎が再び狼藉者を振り向くが、そこに腕が落ちているわけではなく、ただ腕から血を流す男が怯えた目でそこにいた。
「なんならもう一本切ってやろうか?……それとも本当に腕を無くすか?」
剥き身の刀を下げた兵助は、片腕に三郎を抱えて静かに宣告する。
その音に本気を感じ取って、男たちは流れる血をもう片方の腕で止めながらほうほうの体で逃げだした。
大人しく逃げたことに嘆息して、三郎は呆れた目で刀を拭う男を睨む。
「…刀まで抜く奴があるか。」
「汚い手で三郎を掴むからつい。かっとなって。」
嘘くさい言い訳もあったものだ。
「あれくらい、私一人だって逃げられた。」
「知ってる。でも俺が嫌だった。」
「わがまま。」
「うん。ごめん。」
眉を下げて謝る兵助は、しかし絶対反省はしていない。
三郎はまたため息を吐き、背を向ける。
「三郎。」
「帰るぞ。」
短く告げて、三郎は再び娘らしい足取りで帰路を辿る。兵助もそれに歩調を合わせながら、静かにそれについて行った。
しかしそれから、三郎の機嫌が悪い。
「心当たりは?兵助?」
「…無くも無い。」
教室で肩を並べる勘右衛門がからかうような笑みを浮かべている。ため息を吐く兵助に心底楽しいと言うように「じゃぁ謝れば?」と軽く言った。
「そしたら多分もっと機嫌が悪くなるぞ……。」
「何したのさ。確かこの間の護衛の任務のあとからだったよね。三郎も丁度お使い行ってた日。」
ひぃふぅと日数を指で数えながら勘右衛門が首を傾げるのに頷いて、兵助は再びため息を吐く。
「絶対あのこと怒ってるんだ…。」
「なんだよ。女装した三郎を押し倒したりでもしたの?」
「違う。そんなことじゃ怒らない。」
「あっそ…。」
御馳走様、とひらひら手を振る勘右衛門を見もせずに、兵助は今はいない恋人に思いを馳せ、立ちあがった。
「三郎、いつまで怒ってるの?」
「……………。」
雷蔵の呆れが混じった言葉に三郎は寝転がって読んでいた本からちらりと顔を上げる。
声の通りに呆れた表情は三郎と同じ顔だが、しかし決して真似できない優しい笑顔に変わって三郎の頭を撫でる。
「…拗ねてるの。」
「っちがう!」
「兵助落ち込んでたよ。謝ることも出来なくて、どうしたらいいか分からないみたい。」
「…あの馬鹿。」
「うん。そうだね。」
雷蔵はあっさりと三郎の言葉を肯定すると、「でも。」と続けた。
「三郎もお馬鹿でしょう?」
「…らいぞぉ。」
「もっと甘えちゃえばいいのに。甘やかすの大好きなんだから。」
誰が、とはもう言わない。
三郎も言わずとも分かる。
「…甘えちゃ、駄目なんだ。甘えたら、期待してしまう。期待して、私が駄目になる。」
兵助はすぐに三郎に手を差し出す。
三郎の方が実力が上であっても、どれだけ三郎が余裕であっても、兵助は何も躊躇わずにいつも三郎に身を挺して助ける。
「兵助が馬鹿なのがいけないんだ……。」
「あんまり馬鹿馬鹿言うなよ。落ち込むだろ。」
「!!」
唐突に聞こえた声にガバリと体を起こす。
「ああ兵助。もう来たの。」
「二人して馬鹿馬鹿言いやがって。わかってるけど。」
「自覚があるのはいいことだと思うよ。」
「なっ、なっ…。」
兵助を見て動けずに居る三郎に、雷蔵はにこりと微笑むと腰を上げた。そのまま部屋から出て、そこは兵助から目を逸らす三郎とじっと三郎を見つめる兵助の二人だけが残る。
「謝らないよ。」
「…………………。」
兵助は、唐突にそう切り出した。
「俺は三郎を甘やかしたいし助けたい。傷一つなく、何の痛みも感じないように。」
たとえ自分がそれでどれだけ傷ついたとしても。万に一つの可能性でも三郎が傷つく道を残したくは無い。
言葉にしなくても伝わるその声に、三郎は唇を噛む。
しかし兵助はそれも伸ばした指でそっと解かせてしまった。
「三郎を、傷つけたくない。」
まっすぐな目が、三郎を見つめる。
束の間、二人の間に沈黙が落ち。
そしてそれは三郎の目がつり上がったと同時に終息を告げた。
「このっ馬鹿――!!」
バキィッ!!
怒鳴り声と同時に頭上に走った衝撃。兵助は痛みに涙を浮かべながら、立ちあがって怒りに息を荒げる三郎を見上げた。
「さ、さぶろう…?」
「この馬鹿!!」
「そ、それはもう分かった…。」
「分かってない!!!お前はぜったい分かってない!!!」
叫ぶと同時、ボロリと零れる涙に兵助は慌てて手を伸ばすが、それは三郎の手によって叩き落とされる。
「っわたしが!何故泣いてるのかわかるか!?」
「え。」
「お前が馬鹿だからだ!!!」
「や。あのさぶろ…。」
「馬鹿―――!!!」
「はい……。」
ぽろぽろ大粒の涙を流す三郎に手を伸ばしたくても、それは悉く叩き落とされてしまい、兵助は途方にくれながらただ三郎を見つめた。
ひっく、と嗚咽を漏らしながら三郎はドンッと兵助の胸を叩く。
「わ、わたしは、私はお人形じゃないんだ!!」
「三郎?」
「守られて、たとえばお前が傷ついて、私が平気だと思うのか!!!」
濡れた目で睨みつけられ、不謹慎ながら兵助は一瞬見惚れてしまった。
しかしすぐに我に帰ると、撥ね退けようとする手を掻い潜ってその体を抱きしめる。
抱きしめた体は、一度身を捩って逃げようとするものの、すぐに抵抗を止めてその胸へ顔を埋めた。
「三郎…。」
「私だって、お前が傷つくのが、嫌なんだ…。」
「うん………。」
「甘えるだけじゃダメなんだ……。私だって、お前を守りたいんだ…。」
「うん。」
「なのに一方的に守る守る言いやがって………。」
「うん。」
「この馬鹿……。」
「うん。馬鹿なんだ。…三郎はプライドが高いから、俺が助けて怒ってるのかと思った。」
「それだって怒ってる。あれくらい、私は一人でどうとでも出来た。」
「うん。そうだな。」
「…私だって、お前が万に一つも傷つくところなんて見たくない。」
それが不可能だなんて知ってる。
だから願う。
それから、
「努力しろ。自分から傷つくなんて、許さないからな。」
「わかった。」
「馬鹿野郎。」
「…それはもうよくないか?」
さすがに馬鹿馬鹿言われて兵助が情けない声を出すのに、三郎は体を離した。
見上げた先で声の通りの情けない顔をしている兵助に噴き出す。
くすくす笑う三郎の光る頬を見て、兵助の手がそれを拭った。
「…愛してる。」
「…知ってる。」
小さく口づけをして。
そして互いを抱きしめる。
そしてまたきっと互いを守り合う。
そしてきっとまた喧嘩する。わかっているけれど。
止めることなど出来ない。
愚か者が愚か者に恋をしたから。
あとがき
一万打フリリク「忍務でピンチの三郎に駆けつける男前兵助 」でした。
なんっか…、違うような…?男前な兵助の方向性が求められているのと違うような…?
これはただの馬鹿っぷるだ!!!
ハニワ様、すみません返品可なので!!いつでもおっしゃってください!!
ハニワ様のみお持ち帰り可となります。