ノックアウト




どこに惚れた。と。
俺は目の前で幸せそうに飯を頬張る年上の男を見ながら思う。
今は緩んでいるこの顔ではない、と思う。むしろ見ていると美形すぎて腹が立つ。
背が俺より低いのもいいのかもしれない。抱きしめやすくてとてもいいと思う。
そこで、俺は抱きしめたときにふわりと目の前に揺れる、黒い髪を見た。
猫っ毛らしくふわふわと揺れる髪は、男にしては長いほうだ。大体五分刈りか坊主にしてしまう島民の男たちを見ている身としては随分新鮮である。
そして、そこからはいつも墨の匂いがするのだ。
いや。髪だけじゃない。まるで全てを墨で形成しているかのように、この男には墨の匂いが染みついている。
生まれた時から書道一筋だというから、それも当然なのだろう。それはきっと俺が潮の匂いがするのと同じだ。それが、この先生の生きてきた道なのだから。
箸を持つ手の先、指も見ればうっすらと黒く染まっている。
綺麗な形をしている手だが、爪の間に入った墨は中々落ちないらしく、その上努力家である先生がこうして毎日筆を持っていればそれが落ちることもない。自然とそれは見慣れたものになる。
運動なんかまったくしたことがないような細い部分は、なにも指だけではない。
今は甚平と中に着たシャツに隠されているが、この男はほとんど運動しないせいでとても細い。きっとなるの爺さんにも負けるほどに筋肉と言うものが無い。
体なんて俺の半分しか薄さがないんじゃないだろうか。
華奢と表現したくなるような体は、しかし意外と抱き心地は悪くないのだが。
抱きしめた時の感触を思い出して、体に上りかけた熱を頭を振って散らす。
「ヒロ?どうかしたのか?」
いきなり頭を振った俺を不審がって、先生がきょとんと見上げる。
実年齢を疑ってしまうほどその表情は幼い。
「なんでもねー。」
「そうか?」
首を傾げながら食事を再開した先生を、俺はまた観察しだした。
座っている足の先が、体の向こうに見える。
書道なんて常に正座をしながらするものだろうに。先生の足はまっすぐで綺麗だ。成人男性のくせに体毛も薄い。
それを言うと頭を押さえるのが哀れなので二度と言うことはないが。自分もあの親を見ると人ごととは言えないし。
普段黒い甚平を着ているせいだろうか、その肌が妙に白く見えて艶めかしい。
まだその全ての肌を見たことはないが、手足でさえあれだけ白いのだ。きっと体や他の部分も…。
そこまで考えて俺はまた頭を振った。
いかんいかん。俺は健康な高校生だとはいえむっつりになった覚えはないぞ!
「ヒロ…。」
「え……っ!?」
「具合でも悪いんじゃないのか?少し休んでいくか?」
近!近い!!!
先生がテーブルに手をついて、俺の顔の目の前まで体を寄せている。
その距離に思わず退き「だ、大丈夫だって!」とその体を押し戻す。
だが先生は納得いかなさそうに唇を尖らせて俺を睨む。
…お願いだからそういう可愛い顔はやめてくれ。あんたほんとに23かよ。
「お前は俺の心配をするのに、俺はお前の心配をしちゃいけないのか?」
心配。
そうだ。俺はいつもこの先生に心配かけられっぱなしで…。本当に手がかかる子供のように。
一応年上のこの先生からも、俺が心配なのか。
「ほんとに、大丈夫なんだよ。」
安心させるように笑えば、先生も嬉しそうに笑った。
…うわ。
俺はゴンッ、とテーブルに頭を打ち付ける。
「ヒロ!?」と先生が慌てる声がするが、今は顔を上げられない。
くそ、反則だあんなの。
嬉しそうな、幸せそうな、そんな子供みたいな純粋な笑顔浮かべるなんて。
「そこかぁ…。」
もうだめだ。ノックアウトだ。
どこに惚れたか、なんて考える意味も無いほど。
俺はこの先生にやられてるらしい。

あとがき
勢いで書き上げた第二弾。今度はヒロくん自覚済み。
先生はとことん鈍いと楽しいね!!


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