それは空気のように

今日も、食べ物が喉を通らない。
三郎はため息を吐いて、目の前の食事を見つめた。
おばちゃんのご飯はおいしい。お腹も空いてる。
でも、なぜか食べられない。
水やお茶はかろうじて喉を通るが、固形物となるとだめだ。体が食べることを拒否しているようにえずいてしまう。
「……はぁ。」
三郎は再びため息を吐いた。
これで、おそらく七日目。
この七日間というものの、三郎は食事と言えるものを全くしていない。
体は限界に近付き時折目眩を起こすし、力の入らない体は何度倒れそうになったか知れない。
それを、友人たちにばれるようなヘマはしないが。
だがそれもそろそろ限界だ。
鏡で見る自分の顔は化粧でごまかせない程にやせ細って、まるで雷蔵が悪いモノにとりつかれてしまったようだ。縁起でもない。
このままではいけないと、なんとか食べようとするもののどうしても食が進まない。
いったい自分の身体はどうしたというのだろう。こんなこと、いままで一度も無かったのに。
またため息を吐いて、三郎は今日の食事を諦めることにした。
ほとんど手の付けていないそれを会話したことも無い生徒に譲り、三郎は席を立った。


目の前が、ぼんやりする。
中庭に面した縁側に座り、三郎はぼんやりと虚空を見つめていた。
栄養の足りなくなった頭は深く考えることをせず、ただどろりとした思考が頭を巡っていた。
(もうそろそろ…倒れそう、かな。)
(いやだなぁ。雷蔵も、ハチも兵助も、心配するんだろうな…。)
(…怒られるんだろうなぁ。)
(駄目になったのかな、私のからだ…。)
(もう、つかい物に、ならなくなってしまったのだろうか。)
(もうちょっとは保つとおもったんだけどな…。)
(らいぞう…。)
(そばに、いてくれないかな…。)
(らいぞう…。)
(さむいよ…。)
(らいぞう…。)
(わらってる、かおがみたいんだけど、なぁ。)
(らいぞう…。)
(あ…。)
(ああ…あたまが、かすんで…。)
暗く意識が塗りつぶされる中、三郎は雷蔵の泣き顔を見た気がした。


目が覚めると、見慣れた天井が目に入った。
「…………?」
「起きた?」
なぜ、自分が昼間からここで寝ているのかも思い出せず、三郎はひどくぼんやりした頭でただ声のする方に顔を向けた。
見慣れた顔。見慣れた髪。見慣れた身体。見慣れた服。
そして、見慣れた目。
どうやら、相当怒っているようだ。
三郎は常の頭の回転などどこかに忘れてしまったかのようにゆっくりと思考し、それからようやく「…らいぞう?」と呟いた。
その声は細く、力の入っていないことが丸わかりの音である。
細い声に雷蔵はますます目を吊り上げた。
「…三郎。どういうつもり?」
「…………?」
「お使いから帰ってすぐ、僕の目の前で真っ青な顔して廊下で倒れたんだよ。」
その言葉に三郎が目を見開くが、同時に納得する。
そうか。
「その時の僕の気持ちが君にわかるか?抱えてみたらすごく軽くなってるし、新野先生に診ていただいたら栄養失調だって?なにを考えてるんだ君は。いったいどれだけ食べていない?」
霞む頭で食事をしていない日数を数え、何も考えずにただ「…七日。」と答える。
今度はぎゅっと眉間に皺を寄せて雷蔵がますます三郎に詰め寄った。
「じゃあ、僕がお使いに行ってる間、なんにも食べなかったの!?」
ああ、うん。そうだ。
雷蔵が、いなかったんだ。
うん。
こくりと頷いて、雷蔵を見上げる。
雷蔵は今度は泣きそうな顔になってしまった。
「雷蔵。」
泣かないで。
慰めたいのに。手を伸ばしたいのに。身体が動かない。
「雷蔵。」
泣かないで。
動かない身体に焦りながら、ただひたすら思いを込めて名前を呼ぶ。
なんどか名前を呼んで、ようやく雷蔵がきっと三郎を睨みつけた。
「このっ馬鹿!!なんでそんなことしたんだ!!」
なんで?
なんでって、
「わからない…。」
「え?」
「食べようと、しても。食べられなかった。無理に食べると吐いてしまって…。」
七日間。
雷蔵が居なかった七日間。
「でも。多分。もう食べられる。」
雷蔵が帰ってきたから。
最後の言葉は口には出さず微笑めば、怒ったような泣きそうな、そんな複雑な顔で三郎を見下ろした。
「…駄目だよ。三郎。それじゃあ、駄目なんだ。」
「…雷蔵?」
「三郎。僕が居ないと駄目になる人間じゃ、僕たちは一緒に居られない。分かるだろう?僕らは双忍だよ。どちらかが欠けたら駄目になる。でもどちらかが居なくなったら駄目になってしまってはいけないんだ。」
「…雷蔵。」
余計なことを考えない頭は、雷蔵の言葉をまっすぐ三郎へ届ける。
「三郎。僕が居ないと駄目だなんて言わないで。僕と居ては駄目にならないで。お願いだから。」
僕は、まだ三郎の傍に居たいから。
「ねぇ三郎。強くなろう。身体も、心も。僕たちが、ずっと一緒に居るために。」
知らず、三郎は涙を流していた。
そっとそれを拭う雷蔵の指の暖かさを感じて、ようやく自分が泣いていることを知る。
「…うっ、ひっ、う。」
「…三郎。」
嗚咽を堪えられず、三郎は幼子のように涙を零した。泣きながら、嗚咽混じりの声で「ごめんなさい。」と「ありがとう。」、「だいすき」とただそればかりを繰り返した。
聞き取りづらいだろうその言葉に雷蔵が、三郎を抱きしめ背中をあやすように叩きながら「うん。」「僕も大好きだよ。」と同じように返す。
抱きしめる腕は暖かく、抱きしめた身体は冷たく、二人は涙を流しながらお互いに誓いを立てた。



あとがき
最初は、またうちの猫ネタだったのに玉砕。
三郎は雷蔵が居ないとすぐ駄目になりそうなイメージ。なにかしら問題を起こしてそう。

忍たまTOP