空白の時間

「お使い?明日まで?」
食堂で、雷蔵は三郎の言葉を繰り返した。
じっと見つめる三郎の顔は、もう暗いなんてものじゃない。まるでこの世の終わりのように目に涙まで溜めていた。
「そうなんだ…。あの爺、『ちょっと使いを頼みたいんじゃが、お前は足が速かったの?』とか言って仕事押し付けやがって…。下級生でも出来る使いなら私である必要はないだろうっ。」
「まぁお前の足が速いのはほんとじゃないか。」
対する雷蔵はのほほんと茶を啜って、コトンと机に湯のみを置く。
「学園長先生の言うことならしょうがない。さっさと済ませてきなよ。」
「雷蔵っ!!」
三郎は信じられないものを見るような目で雷蔵に訴えるが、毎度のことなので雷蔵には軽くあしらわれてしまう。そして、いつの間にか承諾させられているのだ。
「うう……。なるべく早く帰ってくるから……。」
「うん。待ってるよ。」
にっこり笑って雷蔵は三郎の頭を撫でた。


大きく手を振って校門を出る三郎を見送って、雷蔵は「さて。」と校舎へ戻った。
まずは図書室。
見慣れた扉を開くと、敬愛する委員長が今日の当番をしていた。
雷蔵は軽く会釈し、中の目的の棚へ迷わず進む。
じっと見上げる棚には目的の内容が書かれた書物が数種類あり、そこで雷蔵は動きを止めてしまった。
「………………………。」
しばらく何か考え、考え、考え………ふと微笑む。
三郎よりは少し骨の太いその手が無造作に目の前の書物を五冊程纏めて抜き取った。
それを今度はカウンターに居る委員長の元に持っていけば、怪訝そうな顔で見上げられる。その表情に雷蔵は常のように微笑んで、
「苦手分野なので、もう少し詳しく勉強しようかと思って。」
と答えた。
長次はそれに頷き、テキパキと貸出手続きを行う。言わずとも伝わる手順を踏み、雷蔵は本を抱えて図書室を後にした。
それからは食事の時間までじっと本を読み過ごすことにする。
普段は三郎が構って構ってとじゃれついてくるから、こうしてじっと本が読めるのは貴重なのだ。
雷蔵は委員会の為だけではなく、本が好きだ。
知識を増やし、想像を膨らませ、活字に胸躍らせる。この瞬間がたまらなく好きだった。きっと三郎が居なければ雷蔵も長次と同じく無口な本好きの人間になっていたかも知れない。それほどに、三郎と過ごす時間の次くらいに雷蔵はこの時間が好きだ。
今だって、本から得る知識とその想像に口元に笑みが浮かぶ。
穏やかなその空間を壊すように粗雑に、戸がガラリと開けられる。
「らーいぞー。飯行くぞー。」
「あ。もうそんな時間か。」
パタンと本を閉じると、その表紙の文字が竹谷の目に入る。あからさまに眉を閉める姿に思わず笑いが零れた。
「なんだいハチ。情けない顔してるよ。」
「……雷蔵はよくああいうのが読めるな。」
「そう?面白いのに。」
楽しそうに笑う雷蔵にますます竹谷が情けない顔をする。本を見るのも辛いというように目を逸らし、二人並んで食堂へ足を進めた。
食堂は少し遅めに着いたのもあってか酷くにぎわっていた。
「い組が先に席取っとくっつってたんだけどな〜……あ。いた。」
「あ!ハチ、雷蔵!おーそーい!!」
「席取っといたから早くご飯貰って来い。」
空腹のせいか(二人ともまだ目の前の食事に手を付けていなかった)二人の機嫌の悪い。
竹谷と雷蔵は急いでおばちゃんの処へ行き食事を受け取った。
「遅い。」
「ごめんって。ほら。俺の冷ややっこやるから。」
「あ!兵助いいなー。」
「じゃあ勘には僕の油揚げあげる。」
「わ!ほんと!?雷蔵ありがとう!」
「…ハチもありがと。」
「いいって!」
明るく笑う竹谷はやはりいい男だ。雷蔵は友人たちの顔にふと微笑んで、「いただきます。」と箸を取る。
「そういえば三郎の奴お使いだって?」
「うん。たまたま捕まっちゃったって愚痴ってたよ。」
「ああ…。それで機嫌が悪かったのか。」
「帰ってくれば機嫌は戻るだろ。」
「うん。そりゃそうだ。」
はっはっはっと笑いながら交わされる言葉に、雷蔵は苦笑いする。
まったく、友人とは有り難いものだ。
手早く食事を終えた四人は混雑する食堂を出て各々部屋に向かう。
「雷蔵、俺は一端戻ってすぐ風呂行くけどお前どうする?」
「うーん…。さっき読んでた本を読んでしまってから入るよ。できれば今日中に読み終わりたいんだ。」
「ふぅん…。ほどほどにしとけよ。」
先ほどの本を思い浮かべてまた眉間にしわが寄っている。いつも明るい彼のこんな表情はある意味貴重だ。
雷蔵は頷き、
「そうだね。ほどほどに、ね。」
と微笑む。
それにまた竹谷は苦笑し、手を振りながら背を向け己の部屋に戻った。
雷蔵もそれを見送って自室の戸を無造作に開く。先ほどとまったく変わらない部屋を迷うことなく進み、灯りを灯す。
橙色の薄ぼんやりした明りを手に持ち本を置いたままの文机に向かう。
その表紙をそっとなぞり、雷蔵はまた文字を追い始めた。


気がつけば空が白んでいた。
活字の追い過ぎで頭が少しぼんやりする。
『ほどほどにな。』
「うーん……。」
友人の言葉をすっかり忘れた自分に反省する。だが。
ちらり、と雷蔵は読み終えた本に視線を落とした。
収穫はあったのだ。こうして多少無理をするほどの。それに雷蔵の体は一日二日眠らなかったからと言って音を上げるようには出来ていない。
雷蔵は立ち上がりずっと同じ姿勢だった体をほぐすように軽い運動を始める。
時折関節がミシ、だのゴキ、だの言うが動かしていくうちにそれも無くなる。
「ん。よし。」
すっかりいつもの調子を取り戻した自身の体を確認し、雷蔵は本を片手に部屋を出た。
通常授業のある日ならもうみんな起きだしているころだが、今日は休日だ。少し寝坊している輩も少なくない。
いつもより静かな廊下を歩きながら雷蔵は朝の空気を吸い込む。
少しヒヤリとした空気は雷蔵の意識をはっきりさせていく。その感覚に微笑んで目的の戸を開けた。
昨日と同じく図書室の主がそこに鎮座している。
「おはようございます。」
「…………。」
長次は何も答えないまま頷き、それに応えた。その対応に慣れている雷蔵は気にした様子もなく手に持った本をカウンターに差し出す。
「……………もう読んだのか。」
「ええ。」
「………………寝ることも大切だぞ。」
「すみません。つい読みふけってしまって。気が付いたら朝だったんです。」
同じ経験のある長次はそれ以上何も言わずじっと雷蔵を見つめ、返却処理のために手を動かした。
「……たしかに。」
「はい。それでは失礼します。」
いつものように穏やかに微笑み一礼して去る雷蔵を、長次の目がじっと追っていた。


「三郎が帰ってくるのは多分夕方くらいかな…?」
そのころには三郎を迎えに正門まで行きたい。雷蔵は頭の中で予定を組み立てながら先ほどの廊下を戻っていた。
部屋までの道を辿る途中、ふと足を止める。
「………………。」
別段何も変わらない廊下だ。今雷蔵が居る場所とぶつかるように道が伸びている。
その奥を、雷蔵の榛色の目がじっと見つめた。
「不破か?何してる?」
何があるわけでもない廊下をじっと見つめる雷蔵の肩を、誰かが叩く。
ふと意識を戻して振り向くと、木材を抱えた用具委員長がそこにいた。
「ああ食満先輩。」
「そっちには別になんもねぇだろ。どうした?」
「いえ…。この廊下、少し暗いんですね。」
食満から目を離し、再び視線を廊下に戻す。食満は気にした様子もなくまぁなぁ。と軽い調子で答えた。
「まあこの学園が迷路みたいなもんだからよ。何個かはこういうところがあってもしょうがねぇさ。」
「灯りは付けないのですか?」
「ん?そこまで暗くはねぇだろ。これぐらいなら一年ボーズどもも怖がらねぇよ。」
「…そうですね。」
頷いて、雷蔵は食満に会釈するとまた足を進めた。
今度はまっすぐ部屋に戻り身支度を整える。そして数分もしないうちにまた部屋を後にし、そのまま外へ向かう。
五年間培った足は大した時間もかからず裏山へ辿りついた。
雷蔵は足を素早く動かし目的地へ向かい走る。本気の七割ほどの速さで着いたそこは雷蔵の予想通り赤い実がたわわになっていた。
「よかった。これだけあれば十分だね。」
安心したように息を吐き、素早く木に登る。深紅と言っていいほど赤く熟れた身を数個取り地上に戻った。
頭巾を取ってその中に赤い実を包む。その量に雷蔵は笑みを浮かべた。
行きよりは速度を落とし、手の中の物を守るようにまた走る。
今は昼前だ。三郎が帰ってくるまでに準備をしなければ。


はたして夕暮れ時。
雷蔵は三郎を迎えるために正門の前で待っていた。
「雷蔵―――!!」
「三郎!お帰り。」
「雷蔵!雷蔵雷蔵!!ただいま!!」
勢いよくしがみ付く三郎を笑顔で迎える。
ひとしきり再開を喜んだあと連れ添って二人は部屋に戻った。
「はー、疲れた。」
「お疲れ様。三郎、良いものあげる。」
「良いもの?」
「うん。はい。」
雷蔵の笑顔と共に差し出された湯のみを、三郎はなんの疑いもなく受け取る。
じっと湯のみの中を覗くと、なにやら赤黒い液体が入っている。香りは果物のようだ。
「…?」
「柘榴を絞ったんだ。少し甘くしたから飲みやすいと思うよ。さっき取ってきたばかりだからまだ新鮮だし。」
「柘榴か。ありがとう雷蔵!」
笑顔で飲み干す三郎に、雷蔵が幸せそうに微笑む。
その陰で。


「ぎやぁあああああ!!」
たぬきを圧殺すればこんな悲鳴が聞こえるかもしれない。そんな悲鳴が学園の片隅で上げられていた。
「学園長!?」
「何事です!?」
「うう……、これは、いったい…。」
「!!学園長!」
教師の鏡、土井が目の色を変えて学園長に駆け寄る。
「動いてはいけません!!傷は!?どこです!?」
「土井先生!!学園長を早く保健室へ!!」
「はい!」
「は?いやちょっと待ちなさああああああ!?」
どたばたと激しい足音と共に学園長は叫び声を上げながら抱えられて行った。
その頃。
長次と竹谷は、まったく別々の場所に居ながらほぼ同時にため息を吐いていた。
長次は目の前にある図書カードを見て。竹谷は記憶を掘り返して。


『戦慄!誰にも分からない罠の仕掛け方!』
『古今東西の仕掛け』
『人の裏を突いた罠』
『正しい人の罠の嵌め方』


「まったく…。ほどほどにっつったろうが…。」
雷蔵の部屋で見つけた書物の束を思い出して竹谷は再び嘆息する。
自分は罠とかそういう類は得意ではない。それなら真正面から突っかかるほうが楽だ。三郎ならいざ知らず、雷蔵もそうであったはずなのに。
…だから本を借りたのか。
それを一晩で読破し実戦するとは頭が下がる。
竹谷はそのきっと今頃機嫌が直っているであろう雷蔵の、武勇伝と言い訳を聞くのを楽しみに、夕焼けの中を歩いていった。


「………は?」
「ですから。」
保健室の主、新野教諭が呆れた顔で呆けた顔の二人に再度同じことを繰り返す。
「怪我は在りません。」
「だからそう言ったじゃろうが。」
「え…でも新野先生。これは…血では…?」
「違います。舐めてごらんなさい。」
「え。………では失礼して。」
「どうです?」
「…………………甘い。」
「ただの血のりです。柘榴を使ったんでしょう。着物の染みは取れないかもしれませんが、体に異常はまったくありません。毒もないです。」
「だからそういっとろーに。勘違いしおって。」
「学園長は黙っててください。まったく、心配しましたよ。」
「ああ。しかし学園長。なぜ血のりなど?」
「知らん。どこからか飛んで来たんじゃ。手裏剣で弾こうとして気がつけばこの有様じゃよ。まったく暗くて罠の存在に気がつかなかったわい。今度からあの廊下は昼でも灯りを付けるとしよう。」
「…………………。」
「…………………。」
「な、なんじゃ二人とも。顔が怖いぞ。」
「つまり、今回はただの柘榴の血のりだったから良かったものの。」
「もし毒であれば学園長が危うかったわけですな。」
「山田先生。」
「土井先生。」
「こら二人とも、そう厳しい顔するでない。」
「学園長。しばらく護衛をつけます。常に誰かが傍にいるようにしましょう。」
「なぬーーー!?」
「当然、しばらくは外出も禁止ですからね。」
「そ、そんなぁぁぁぁ!!」


さてそんな悲鳴が響いていた数時間後。
食堂にはいつものメンバーがそろっていた。
「お。雷蔵機嫌治ったか。」
「何言ってるんだよ。もとから悪くはないだろう?」
「そうかもね。でも笑顔が三割増しだよ!!」
「ちがいない!」
かかかと笑う竹谷を、三郎がきょとんと見上げている。その顔を雷蔵に向けて首を傾げた。
「雷蔵、機嫌悪かったのか?」
「そうでもないよ。そこの三人が大げさなんだ。」
「どっこが大げさだよ。おっそろしい本熟読しやがって。」
「え?なになに?」
「なんだよハチ。」
い組の二人が興味深々に竹谷に群がるのも構わず三郎は雷蔵の顔をじっと見つめる。
「三郎?」
「なぁ、雷蔵。」
「うん?」
「私が急にお使いに行って、機嫌が悪かったのか?」
「ほんと言うと…少しね。」
苦笑いする雷蔵と対象に、その言葉で三郎は嬉しそうな顔を浮かべる。
雷蔵!!と抱きつこうとした瞬間、爆笑していた三人が体を戻した。
「あー笑った。」
「なるほどねぇ、納得納得。ねぇ鉢屋知ってる?」
「ん?」
「学園長、しばらく護衛付きで外にも出られないって!」
「ふぅん…。ざまー見ろ。」
「うわ三郎良い笑顔。」
「雷蔵もそう思うよな!!」
「そうだね。」
「雷蔵もいい笑顔だな。」
「まぁこの二人だから。」
「そーだねー。」
「平和なこった。」
先ほど聞こえた悲鳴など頭から追い出し竹谷が笑う。それにつられてみんな笑った。
雷蔵も、今度は張り詰めた笑みで無く心から。
ざまぁ見ろと笑っていた。

あとがき
三郎が居ない時は割と黒さだだ漏れな雷蔵。でも三郎の前だと爽やかオーラ全開。
そんな雷蔵に大層萌えます。

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