黒の温もり
日差しさえも冷え切った冬が終わる。
温もりを思い出したような暖かい陽の光が降り注ぐ中、二匹の猫が縁側で寛いでいた。
いや。正確には一人と一匹だが。
どこからやってきたのか、まだ少し小さい猫が三郎の膝で丸まっている。それを目を細めて撫でる手は優しく、慈しんでいるのが遠目でも分かった。
見るからに和やかな風景だというのに、何か心がざわつくのは。
猫に嫉妬しているためか。
それとも、その猫が黒猫だからか。
黒は、嫌いだ。
「兵助。顔怖い。」
「…元からだ。」
じっと見つめる俺を、ニヤリといつものように笑いながら三郎が手招きした。
「何?機嫌悪りぃの?」
「そんなことはない。」
「ふぅん。」
ニヤニヤと口を歪めながら三郎の手は黒猫をあやすのをやめない。
俺は三郎の膝の上に寛ぐ猫を見下ろすが、猫はそんな鋭い視線など気にする様子もなくうっとりと目を閉じている。
「可愛いよな。」
「………そうだな。」
でも黒猫だ。
そう言いたくなるのを寸でのところで飲み込んだ。
不吉だなんだと、そんなのなんの根拠も無いのに。そんなあやふやなものを口に出したくはない。
逃げるように視線を落とした先。優しく動く三郎の手が、その黒猫の上でいつもより白く見える。
その手を掴んで引き寄せたいと思って手を伸ばした。
「似てるだろ?」
「っ何?」
触れる直前、三郎の言葉に手が止まる。
驚いて見つめた、ニヤニヤと笑う顔はどこか子供のような無邪気さを含めていた。
「何が?」
「この猫。兵助に。」
「俺に?」
「うん。綺麗な黒。好きだな。私は。」
目が細まり、先ほどよりも愛おしそうな手つきで三郎が猫を撫でる。
猫が、グルルと喉を鳴らした。
黒。黒は嫌いだ。
見ていて陰鬱になる。不吉な予感を覚える。不安になる。
「…………………そうかよ。」
「うん。そうなんだ。」
くそ。顔が熱い。
グルルと音がして見下ろせば、猫が憎らしい顔で俺を見上げていた。
笑ってろこの幸せ者が。
その言葉が猫に向けたものか、それとも自分に向けたものかは分からない。多分両方だ。
手を伸ばして、その小さな額を撫でてやると、柔らかい感触が手に伝わる。猫も、再びうっとりと目を閉じた。
「兵助が猫なら、私は鴉かなぁ。」
「うん?鴉?」
手の下の温かい手触りに和んでいる俺から目を離し、三郎は空を見上げてポツリとそう呟いた。手を止めて三郎を覗きこめば、三郎の目は遠く、俺を見てはいなかった。
「なぁ、兵助。知ってるか?欲張りな鴉の話を。」
「…知らない。」
「…昔昔のお話です。」
遠い目のまま、三郎は俺と目を合わせようともせずそう口を切った。
「ある王様が、この世で一番美しい鳥を決めようと触れを出しました。鳥たちは競って身繕いをし、自分が一番美しく見える姿で王様に拝謁しようとしました。それは、鴉も例外ではありませんでした。でも、鴉は真っ黒な自分の色しかありませんでした。」
「鴉は悲しくなりました。これではとても美しいとは言えない。しかし、鴉は見ました。鳥たちが身繕いをした後に散らばった色とりどりの羽を。」
「鴉は良い事を思いついたと、色々な鳥の色々な美しい羽を次々に拾い集めました。そして、出来あがったのは世にも美しい鳥でした。」
「鴉は喜んで王様の元に行きました。そこでは、美しい鳥たちが次々に自分の羽を自慢しています。美しい羽に彩られた鴉は堂々とそこに飛び降りました。」
「誰だ?あの鳥は?皆一様に驚きました。あんな美しい鳥は見たことがない。」
「王様が驚き、喜び、手を叩きます。美しい鳥よ!お前がこの世で一番美しい鳥か!?」
「さようでございます。鴉が王様に礼を取ったその時。」
「ひらりと、一枚の羽が鴉から抜け落ちました。それを見たある鳥が叫びます。あれは僕の羽だ!」
「ああ!良く見ればあの羽は俺の物ではないか!」
「私の羽を返して!」
「次々に自分の羽を見つけた鳥たちが怒って鴉から羽を取り戻します。残ったのは、真っ黒な羽の鴉。」
「お前は鴉じゃないか。真っ黒でちっとも美しくない。その上、他の鳥の羽を飾って自分を偽るなど卑怯者!今すぐに出て行け!」
「出て行け!」
「出て行け卑怯者!」
「そうして自分の欲でみんなを騙そうとした鴉は追い出され、それ以後、他の鳥と仲良くすることはできませんでした。」
「おしまい。」
語り終えた三郎が、また目を細めて猫を撫でる。
「馬鹿な鴉の話さ。他の鳥の真似をしたって、気味悪がられて嫌われるだけなのにな。」
その目は猫を見下ろしながら、ここを見てはいなかった。
ただ、口だけが独り言のように言葉を紡ぐ。
「…三郎。」
「勘違いするなよ。これは、別に私の話じゃない。」
きっぱりと言う三郎の目に力はない。嘘つき、と言う言葉は音にならず、俺は先ほどの三郎と同じように空を見上げた。
「…知ってるか三郎。」
「何を。」
「鴉は、太陽の化身なんだ。」
「…は?」
「灯りを持つもの。導くもの。そういう鳥。」
太陽が眩しい。俺は遠いそれから目を逸らして、隣の男に目を移した。
「俺は、鴉好きだよ。…ああ。三郎に似てるからかな。」
「………どこがだよ。」
「欲張りなところ。頭がいいところも。仲間思いの優しいところも。…似てるよ。確かにね。」
驚いた顔で俺を見る三郎が愛しくて手を伸ばすが、今度は三郎がぷいと顔を逸らしてしまった。
「…わたしは…………べつに、そんなんじゃ…………。」
ぼそぼそと聞こえる声に思わず笑いが吹き出た。振り向いてじろりと俺を睨む目は険呑だが、そう耳と首が真っ赤では迫力など微塵もない。
肩まで震わせて笑いを堪えようとする俺を三郎が呆れた目で見下ろした。
横を向けば猫がうるさそうに俺を見つめている。
可愛いじゃないか。
黒は嫌いだ。嫌いだった。三郎の言葉で好きになってもいいと思った。
三郎が嫌いなものも、俺の言葉で反転してしまえばいい。
手を伸ばせば、猫は今度は逃げてしまった。
だが俺は、邪魔者の居なくなった三郎の手を今度は遠慮なく引き寄せて耳元に囁く。
「三郎、好き。」
「………ばーか。」
知ってるよ。
目の前が黒くなったが、すぐに触れた唇は互いに笑みが刻まれていた。
あとがき
兵助は猫に似てるという基本に則ってみた。
三郎が語ったお話は、たしか小さいときどっかで聞いた話です。タイトルとか覚えてません。絵本だった気もする。
兵助の言う鴉はヤタガラスのことです(漢字が出なかった…っ)。
お互いが大好きな二人の話でした。