怖いモノ
暖かい陽気の日のことである。
三郎が暇を持て余し、竹谷の部屋に遊びに行こうと廊下を歩いていたところ、目的の部屋から騒がしい声と派手に動く音が耳に入った。
「あー!!ハチそっち行ったぞ!」
「こなくそ!!待っちやがれぇ!!!」
「…また何か逃げたか?」
どすんばたんと閉じた戸の中から聞こえる騒ぎに、三郎は首を傾げながらも躊躇いなく目の前の戸を開く。
入った途端、埃の舞う部屋で竹谷と兵助が同時に三郎を見て固まった。
しかしそれも一瞬で、二人はやはり同時に何かを探すように部屋を見渡す。そして兵助が、はっと三郎の足元に注視した。
「三郎!?足元!!」
「足元?」
その言葉に下を向く。
見れば、誰もが嫌悪する黒い小さな虫が三郎の足元から外へ逃げ出そうと走っている。
しかし三郎はきゃあともわあとも悲鳴を上げず、ただそれが廊下から外へ去って行くのをじっと見つめ、
「ハチ。ペットが逃げたぞ。」
と真顔で竹谷に向き直った。竹谷もすかさず「飼ってねぇよ!!」と反論して開けたままの戸をスパン!と勢いよく閉める。
いまだ埃の舞う室内に顔をしかめながら頭を掻く仕草は苛立たし気だ。
「仕留めそこなったなハチ。」
「外に逃げたからいいさ。」
苦笑する兵助に肩を竦めることで答えながら、二人はようやく落ち着いた様子で床に座り、三郎もそれに倣い二人の隣に腰掛けた。
「で、なんだったんだ?」
「ハチがまた変なのを飼ってたんだよ。」
「だから飼ってねぇって!同居だってお断りしてます!」
「なんだ。あれも一応虫だから最後まで面倒みるのかと思ったぜ。」
「あれに関しちゃお断りだ。」
苦々しい顔は先ほどの虫を思い出しているのだろう。心底嫌そうなその顔に笑いを零す三郎を、兵助が意外そうな顔で見つめていた。
「…?なんだよ。」
「いや。三郎ってあれ大丈夫なんだな。」
「あれって…。ただの虫だろう。」
「それでもあれ見りゃ男でも悲鳴の一つを上げるもんだぜ。斜堂先生を見てみろよ。たちまち恐慌状態だぜ。」
「あの先生は別な気もするけどな…。」
三郎は妙に青白い顔をした1年の担当教師を思い浮かべ苦笑する。目の前の二人も同様に「はは…。」と苦笑し顔を見合わせた。
しかしそこでふと、兵助が呟いた。
「三郎は怖いものってないのか?」
それに三郎もきょとんとして首を傾げる。
「こわいもの?」
「蛇とか。」
「いや?」
「こいつジュンコのこと平気で首に巻いてるぞ。」
「幽霊とか。」
「信じてないからなぁ。いたら怖いかもしれんが。」
「神様とか。」
「あれって怖がるもんなのか?」
「雷とか。」
「ガキんときは怖かったけど。今は平気。」
「壁のシミが怖いとか。」
「子供か。」
「じゃあ何が怖いんだよ!!」
上げていくものを次々否定され、ついには声を荒げた兵助を竹谷がまぁまぁと宥める。対して三郎はというと、なにやらうんうん唸っていた。どうやら心当たりを考えているようなので、二人はじっとそれを見つめながら待つことにする。
やがて、呻く声がぴたりと止まる。
俯いた顔は表情が読めない。だが、纏う雰囲気は先ほどとはまるで別人のようだ。
「三郎…?」
竹谷がそっと呼ぶと、三郎はゆっくりと顔を上げて二人の顔を見つめた。
その顔は蒼白に染まり、見ていて憐れみを誘うほど幼い表情をしている。その顔を見て二人は慌てて三郎の肩を叩き頭を撫で、必死に慰めようと努めだした。
「三郎。そんなに怖いものだったのか?」
兵助の問いに、小さく頷く姿も子供のようで、二人の胸は締め付けられるようだった。普段あんなに明るく自信満々に生きている鉢屋三郎とはまるで違う。本当に、ただ怖いものに怯える子供のようだ。
「…あった。怖いもの、あったんだ。どうしよう、ハチ、兵助。それに出会ったら、私、恐ろしくて死んでしまうかも知れない。」
その言葉に二人がさらに目を見開く。
まさかそれほどとは。
「…三郎。それとは何だ?」
「そうだ。それが分かれば、俺たちがお前を守ってやれるかも知れない。」
あの鉢屋三郎がここまで怯えるとは。よほど恐ろしいものかもしれない。
二人は覚悟と共に、三郎の口が開くのを待った。
「…らいぞうに、」
「…は?」
「雷蔵に、『おまえなんかもういらない』って言われるのが、怖い。」
「「………………………。」」
呆れてはいけない。
笑ってもいけない。
三郎は真剣なのだ。
しかし三郎は言葉にするのも恐ろしいといったように頭を振る。
「もし私が雷蔵から必要とされなくなったら、私の存在を雷蔵から消されたら、私はきっと死んでしまう!どうしよう、ハチ、兵助?私はどうしたらいいんだろう?」
縋りつく三郎の顔は本当に必死だ。笑ってはいけない。
「三郎。落ち着け。」
「そうだ。落ち着け。」
声を震わせながら二人は青ざめた顔の三郎の肩を叩く。
「それは、無い。絶対に!無い。」
「あり得ないことに怯えることはないぞ。三郎。」
「雷蔵がお前のこと忘れるなんてあるもんか。豆腐を賭けたっていい。」
「あいつならたとえ死んだって三郎のことを忘れるもんかよ。」
「「だから絶対大丈夫。」」
だが三郎はいまだに不安そうに、断言する二人の顔を見つめている。
それを察した兵助が笑って三郎から手をどけた。
「それなら、雷蔵に聞きに行ってみろよ。」
「ああ!それが一番早いな。そうしろ。」
そう言いながら竹谷が三郎を無理やり立たせてその背を押す。
「ちょ!?ハチ!?兵助!!」
「いいからほら!行ってこい!!」
部屋を押し出され、スパン!とすぐに戸が閉められる。
三郎はしばらく茫然とその戸を見つめたあと、ゆっくりと雷蔵の元へ向かった。
「…行ったか。」
「ああ。」
「しっかしあそこでまた雷蔵が出るとは思わなかったぜ。」
「三郎らしいっちゃらしいけどな。」
部屋に残った二人はまた苦笑いを浮かべる。
本当に枯れ尾花も良いところだ。あんなに深く深く三郎を溺愛している雷蔵が、三郎を嫌うはずがないのは傍から見ていれば分かるものなのに。
本人に伝わっていないのは、雷蔵の不幸なのかも知れない。
「まあ、そしたら鉢屋三郎様に弱点は無いってことか。」
「だな。一生出ない弱点は弱点じゃないからな。」
そして先ほど大騒ぎをしていた部屋にて、今は明るい笑い声が響き渡った。
やがて、食堂に四人がそろった時には三郎に笑顔が戻っていたのは言うまでも無い。
あとがき
あそびはGを含め虫が嫌いです。怖いです。爬虫類は平気。トカゲ持てるよ!!
雷蔵は三郎を溺愛してるけど、その行動の7割は報われてないとなんか楽しい←
忍たまTOP