小箱の秘密
兵助の部屋の棚。その上から二番目の、普段目の届かないようなところにそれはある。
立っていたとしても視線より上の位置にあるその棚には、授業で使う書物や道具とは違うものが入っていて。
兵助の私物置き場がそこだ。
三郎はじっと床に座りその棚を見上げる。
だれでも忍術や学園に関係なく大切な物の置き場というものは持っているものだ。
三郎はそこに義父から貰った手紙や後輩たちから貰った綺麗な石や折り紙などを入れているし、雷蔵は母からもらったという櫛を入れていた。竹谷も似たようなものである。
じっと、三郎は動かずその棚を見上げる。
整頓されたその棚に、一抱え程の大きさの木箱があった。
大切にしているのだと、見ただけで分かる。
掃除をしにくい場所であるにも関わらず、そこに埃が溜まって様子は見えない。
何度も取り出しているのだろう。手に取りやすいように少し手前に箱が出ている。
その横には竹で編んだ篭があり、その中は見せてもらったことがある。家を出る時に貰ったという小柄ややはり実家からの手紙が入っていた。
だが、小箱の中身は見せてもらったことがない。
「……………………。」
見せてくれ、と言えば果たして見せてくれるのだろうか。
ちらりと部屋の主を視線で探すも、今彼は先生に呼ばれてここにはいない。
しかしすぐに戻ってくるはずである。
「…………………。」
三郎は迷った仕草を見せ、そしてそっと立ちあがった。
いつもは素早いその動きも、今は躊躇いのためか随分ゆっくりしたものになる。
今から自分がしようとしていることは、褒められたことじゃないことを知っているから。
こくり、と知らずに小さく喉が鳴った。
手を伸ばした先にある小箱に入っているものを見ても何事もないようにしなければいけない。
兵助の前で、何も知らないふりをしなければいけない。
そこまで考えて、伸ばした腕がぴたりと止まる。
(もし、中に入ってるものが……。)
三郎の知らない人の物かも知れない。
チクリとその瞬間胸が痛むが、伸ばす腕は再び動き出した。
それでも、と手を伸ばすのは。間違いようの無い感情からで。
つ、と指が箱に触れた。
「三郎?」
「うわあぁああああ!!!」
突然現れた部屋の主の声に、三郎の体が驚きに大きく震える。
「へ、へーすけ!?」
「何して…………。」
兵助の視線が三郎の手の先へと伸びる。
慌てて三郎が手をひっこめても、視線はもうそこへ辿りついていた。
ぱしぱしと大きな目が音を立てて瞬きするのに居たたまれない気持ちになる。
「………………………………。」
「あ………の、兵助?」
黙ったまま動かない兵助におそるおそる三郎が声を掛ける。
瞬間。
兵助の顔が思い切り赤く染まった。
あまりに急激なその変化に「へ、へいすけ?」と若干上ずった声で三郎が手を伸ばすと「みた!?」とその手を強く握られる。
「え?」
「あああああの!!別にやましい気持があるとかいっつもつけまわしてるとかそういうんじゃなくて!!いや悪いと思ってたんだ!でもどうせ要らないならって思ったらつい!!!」
「……………は?」
三郎の顔を見ながら懸命になにか言い訳しているが、当然三郎に覚えは無い。
そのため目を白黒させている三郎に、動転した兵助はようやく気がついたらしい。
顔を赤くしたまま「あ………。」と声を零した。
「………俺、墓穴掘った?」
「…………多分。」
三郎の返答にはぁぁぁぁと息を吐いて兵助が崩れ落ちる。
「……………ごめん。」
いやこちらこそ、と言いたくなるような兵助の様子に三郎が戸惑いながら「怒ってないのか?」と声を掛けた。
兵助がここまで動転するものを見ようとしたのに、兵助は怒った様子を全く見せない。
それどころか兵助こそが怖々とした様子で三郎を見上げてきた。
「…三郎こそ、怒ってないか?」
「見てないものを怒れない。」
その言葉にまた兵助はため息を吐き、ゆっくりと立ちあがった。
そしてそのまま三郎の横の棚に手を伸ばし、小箱を手に取る。
片手で持てるそれを三郎に差し出し、兵助は苦笑した。
「……………見ても怒らないでくれるか?」
三郎はその差し出された小箱と兵助の顔を見比べ、そのままそっとそれを受け取る。
兵助が見守る中、そっとその箱を開ける。
しかし現れたものに、三郎は首を傾げた。
「これ………?」
「三郎は、覚えてないか。」
兵助はそっと箱の中に手を入れ、それをすくい取る。
中ほどでちぎれている髪紐が一本だけその箱に入っていた。
元は朱色だったのだろうが、今は色あせてほとんど白くなっている。
「好きな子の、こんなものを大切にするなんて、女々しいと思うだろ。」
目尻を下げて情けない顔で兵助が笑うが、三郎は答えられない。
箱の中身が何なのか本当に分からないからだ。よほど、別人のものなのかと思った。
しかし兵助は懐かしそうにその紐を見て微笑んでいる。
「覚えてなくてもしょうがない。二年のときかな。学年内での対抗戦があっただろ。」
組別に行われた対抗戦で、三郎と兵助が組まれたのは偶然ではないはずだ。
結果は三郎の勝利だったが、兵助も善戦した。
戦っている最中に三郎の髷を結っている紐を落としたのだった。
対抗戦後も三郎は切られたそれにまったく興味を示さずそのまま部屋へと帰った。
そして残された髪紐が。
「ここにあるってわけだ。」
「そう………言われても。」
この学園ではそんな試合など嫌になるほどあるし、髪紐も一つしか持っていない訳ではない。
「…三郎が好きだったから。」
「え。」
「こうなるずっと前から、三郎のことが好きだったから。三郎のものだと思うと捨てられなかった。」
そしてまた大切そうにそれを仕舞う。
箱を持ったままの三郎は呆然と兵助の顔を見つめていた。
兵助はそれに笑って、「呆れた?」と首を傾げた。
それに慌てて首を振る三郎に心底安心したようにその肩から力が抜けたのが分かった。
それを見て、三郎はようやく今のことが全て自分のことなのだと気がついたのである。
目の前の兵助と同じくらい顔を赤くして、手の中の箱へ視線を落とした。
その中のものは覚えが無いが、自分のものだった。
そしてその箱はとてもとても大切にされているのがよくわかって。
「私の…だったのか。」
「うん?」
「なんでもない!!返す!!!」
三郎は小箱を兵助の胸に押しやり足音も荒く戸へ向かう。
「三郎、帰るのか?」
「帰る!!」
「………やっぱり怒ったのか?」
本心からそう思っているのだろう。兵助の顔がたいそう情けなくなっている。
その顔を三郎は睨みつけて、「この馬鹿。」と罵声を浴びさせた。
「そんなものを大切にする暇があるんだったら………。」
と、そこで言葉が切られる。
「………………。」
「三郎?」
「もういい!!」
そしてバタバタと足音を立てて三郎が去った戸を兵助がぼんやりと見つめる。
去り際に見た三郎の顔は、随分と赤かった。
『そんなものを大切にする暇があるんだったら………。』
「あるんだったら……?」
小さく呟き、考え、そして兵助がその後を追う。
過去の三郎より今の三郎を抱きしめることが先だと、遅まきながら気がついたから。
大切に大切にしてきた小箱はいま、兵助の床に転がされていた。
あとがき
大遅刻久々鉢の日!!!その三。
今度は乙女兵助を目指しました。目指したんです。
二人とも乙女にするつもりはなかったんです………。