紙切れ一枚の差で
僕の知る鉢屋三郎は。
いつもふざけていて、にやにや笑い、人を馬鹿にするような悪戯を仕掛けては喜んでいる子供のような男で。
だからときどき忘れてしまう。
彼は、「天才」と呼ばれているのだと。
今日は実技の授業の日だった。内容は密書奪還の模擬戦闘。
場所は裏山から裏々山一帯。我らが学級委員長、鉢屋三郎が持つ密書をろ組クラスの全員で奪うというものだ。
1対大勢なんて三郎が不利だと思われるかもしれないが、こと森での逃走となると全く違う。むしろ、彼に協力者は邪魔になる。彼の逃走術は一人でいてこそ冴えわたるのだから。
集合場所の裏山の草地で、三郎は先生と僕らの前で密書を見せつける。
「いいか野郎共。私からこれを奪って学園の先生のところへ行けば実習終了。武器は使用可。殺しは駄目。単純明快なルールだ。せいぜい協力し合って奪ってみろよ?簡単にはやらねぇけどな。」
喧嘩腰な三郎の言葉にクラスの全員がいきり立つ。これで彼は怒車の術を使っているわけではないのだから呆れるというか頭が下がるというか…。
ひとしきりクラスメイトを煽ってから、三郎は懐に見せつけるように密書をしまい、先生を仰いだ。
意味を汲み取った先生が開始の合図のためにすっと手を上げる。
「頼むから死人は出すなよ…。始め!!」
瞬間飛びかかる同級生たちを目に、三郎の口元が笑うのが見えた。
(まずい…!)
僕は嫌な予感にその場を飛び退った。そしてすぐその勘があたったことを理解する。
バフンッと音をさせて、彼が煙幕を叩きつけるのが見えた。しかも漂うこの匂いは…。
「ぎゃあああ!痛ってぇぇぇえ!!」
「煙幕になんてもん混ぜてんだ鉢屋ぁぁぁ!!」
やはり。トウガラシの粉末を混ぜた散涙煙幕だ。先手必勝と三郎を取り押さえにかかった生徒はみんな悶絶している。
「ははははは!あと一刻だぞ!!頑張って私を探してみたまえ!!」
すでに姿の見えない三郎が高笑いをしながら去り、草地には三郎以外の生徒が残されるばかりだ。ようやく煙が晴れたころ、トウガラシの痛みに涙を浮かべたクラスメイトが怒りに燃えて気合を入れていた。
「絶対捕まえてやる!!!」
「おお!!」
「待ってろよ鉢屋!!絶対吠え面かかえせやる!!」
そして半時が過ぎたころ。
草地には失格となった同級生たちがひしめいていた。
「あーあ。みんなやられちまってるでやんの。」
「ハチ。」
「見事に三郎の策に引っかかってるよなー。」
「分かっていたなら教えてあげればいいのに。」
「や。これ個人戦だしな。自滅する分には別に知らん振りだろ。」
「まぁ、ね。」
そう。三郎はそこを突いたのだ。
彼らは三郎が時折ふらりと姿を見せるたび、功を焦り飛びかかる。そして撃退される。を繰り返していた。
そもそも、三郎に限って『うっかり姿を見せる』なんてことは絶対にあり得ない。隠れているのなら余計にだ。そしてその三郎が姿を見せた以上、そこには罠があってしかるべきと認識するべきだ。
「みんな三郎がいやらしい性格だって知ってるのにね。」
「…雷蔵。結構ひどいこと言ってるな。泣くぞ。」
「誰が?」
「あいつらと三郎。両方。」
苦笑するハチに首を傾げて、僕はその場を去った。
先ほどの様子を見ると、もう三郎を追っている人間は僕とハチぐらいしかいないに違いない。三郎もそれを分かってる。そしてお遊び好きの三郎のことだ。最後まで僕らを撃退する準備をしているに違いない。
と、なれば向かう先は僕らが全員思いつくところ…。
「よ。遅かったな。ハチ、雷蔵。」
裏山の頂上。集合場所とは違う開けた草地で三郎は待っていた。周囲には身を隠す処も、罠を仕掛けた様子も無い。
「…なんだよ三郎。試合放棄か?」
ハチが眉をしかめながら問う。違うことを知っていながらする問いだ。僕も大体答えの想像はついていた。
案の定、三郎はいつものように笑いながら言ったのだ。
「いや、あまりにも手ごたえが無くってさ、ここでハチたちを待ってようと思って。」
「そうか…。で?こうして来た訳だが、密書をくれるのか?」
「まさか。…ほしけりゃ力づくで取りに来いよ。」
「言いやがったな!!」
ハチはよっぽど腹が立ったらしく、先ほどの同級生たちのように三郎に突撃していった。
しかし今度は三郎も煙幕など使わずに迎え撃つ体制をとる。
ぶぉんと竹谷の足が恐ろしいほどの蹴りを放つ。しかし、三郎はそれを半歩下がっただけで避けて見せる。
そして右拳の突きに体を捻り、膝での蹴りあげは左足の移動、上段からの拳は手でいなし、そしてまた半歩引く。
まるで舞いをしているかのような流麗な動き。
僕は知らず知らずの内に見とれていた。
完璧な動作というのはこんなにも美しいものなのかと。
そして自分との圧倒的な差に嫉妬よりも感嘆を覚える。
「んー。そろそろ良いかな?」
「何が!!ってう、わ!」
その流れるような動きで、三郎は一回り違う体格のハチの体を投げ飛ばしてしまった。
「あーすっきりした!」
本当に晴れやかな顔で笑う三郎の足元で、息が上がっている竹谷が手足をばたつかせて悔しがっている。
「ちっくしょー!!負けた!!あーもう!!むかつくなぁ!!」
「ははははは!!」
三郎は本当に楽しそうに笑って、やっと僕へと向き直った。
「さて、後は雷蔵だけだね。」
「うん。僕も、負けるつもりはないよ。」
そう。たとえ彼と僕の実力が違っていても、そこに勝機が無いわけではない。僕は戦闘の構えをとって彼に対峙する。
しかし、彼はそんな僕に笑って手を差し出した。
その手に密書を持って。
…さすがの僕も愕然とした。竹谷も下で目を見開いている。
茫然とした顔で三郎の顔を見上げると、微笑む三郎と眼が合った。
「だって雷蔵。私が授業だからとは言え君と対立なんて出来る訳がないだろう?」
それはまるで空気を吸わなければ死んでしまうということを説明するように。彼はたしなめるように笑う。
しかし僕は笑えない。
「でもこれではお前が失格になってしまう!!実戦だったら裏切り行為で始末されるんだぞ!!」
「そんなの、私が雷蔵の敵にならなければ良いだけの話じゃないか。」
「はあ?」
「私は私の何を犠牲にしても雷蔵の敵にだけはならない。必要なら命を捧げることもためらわないが…。」
そこで、一度言葉を切って、三郎はニヤリと人の悪い笑顔を浮かべる。
「現実に私が、そんなヘマをすると思うかい?」
自信たっぷりのその言葉に、僕は思わず絶句する。そして心底呆れて天を仰いだ。
ああまったく!!天才と馬鹿は紙一重だ!!
あとがき
楽しかった…!!
ろ組の試合なので久々知は出てきませんでしたが、今度久々知vs三郎も書きたいなぁ。