自転車



薄暗い部屋。濃い緑のカーテンからは朝の太陽の光がこぼれている。そんな穏やかな朝。
竹谷の安眠を枕元の携帯が破った。
「うぁい…?」
「やあっと起きたかハチ!!もう始業の10分前だぞ!休む気か?」
電話の向こう、楽しそうな声が大声でわめいている。その音量に顔をしかめて枕元の時計をしぶしぶ確認し、一気に目が覚めた。
「だぁぁ!!三郎!!あれほど起こせ言っただろうが!」
「お前、私が起こさなかったとでも思うのか?」
「…思わない。」
意外と律儀な三郎が約束を破ることはまずない。十中八九、悪いのはそれでも起きなかった自分だ。
携帯を肩で押さえるように支えながら素早く寝巻を脱ぐ。毎日着ている制服に素早く着替え、いつものスニーカーに足をつっかけて飛び出すように玄関を出た。
「今日1限は!?」
「土井さんの科学。」
すぐ取り出せる場所にある自転車(ママチャリ)にまたがり、竹谷は不敵に笑った。
「すぐ行く!!お前は何とか先生引きとめといてくれ!!」
「りょーかい。いそげよー。」
「言われんでも!!」
電話を切ると同時にペダルに乗せた足に力をいれた。本日快晴。登校時間の過ぎた道はずいぶん走りやすそうだ。


三郎は、ツーツーという無機音を耳にしたあと苦笑しながら携帯を畳んだ。
それを見つめる雷蔵もやはり苦笑していた。
「ハチ起きた?なんだって?」
「すぐ行くから、先生引きとめとけって。」
「なるほど。」
同じ顔の二人が一方はにやにやし、もう一方はにこにこしながら見つめあっている。
「で、どうするの?」
「そうだなー。相手は土井さんだからな。単純な方法の方が効くだろう。」
「へえ?」
「まあ見てろって。」
そう言うと同時に入ってきた土井に、三郎は笑わないよう注意しながら近づいていった。
「土井先生。」
「うん?どうした鉢屋?もう授業を始めるぞ。」
「ずいぶんいらっしゃるの早いですが、もう庄左エ門のもとへは行かれたんですか?」
「…は?」
「いえ。先ほどから困った顔して土井先生を探している庄左エ門を見ていたものですから。見つけたら探していたことを伝えてくれと。ずいぶんと困った様子でしたよ。少し泣きそうだったので、私に手伝えることがあるか聞いたのですが、どうしても土井先生でないと駄目だと言われたもので…。」
「しょ、庄左エ門が?」
自分の担当するクラスの委員長がそんな困った顔をして探していたとなると…。なにか他の教師には言えないような事をクラスのだれかがやらかしたか…しかし自分だけを探しているというのが気になる…。あんな真面目な子がこんな授業の始まるぎりぎりになってから探すというのも気になる…。
教師の鑑といえる土井に選択肢は無かった。
「土井先生?」
「鉢屋、すまんが授業には遅れる!代わりに出席を取っておいてくれるか?私が戻るまで自習にしてくれ!」
「お安いご用です。」
「すまない!すぐ戻るから!」
「いってらっしゃーい。」
バタバタバタと慌ただしい足音が遠ざかっていくのに、いつの間にか近くに来ていた雷蔵がパチパチと拍手する。
「お見事。あの様子だと最低あと10分は稼げるね。」
「いやぁなに。」
「でもあれじゃあ、すぐにばれちゃうんじゃないの?三郎あとで怒られない?」
「なに。ぬかりはない。」
そして三郎は携帯電話を取り出し、いくつか操作をして再び電話をかけた。
「あ、もしもし庄左エ門か?私だよ。鉢屋だ。今そっちに土井先生が行ったから、適当に話を合わせておいてくれ。君が泣きそうな顔で先生を探してたと言ってある。…ん?いやいや庄ちゃん。私は友情のために自らを犠牲にしたに過ぎないよ。その犠牲を君が少し和らげてくれると助かる。…うん。さすが庄左エ門。話が早い。礼はまた今度するよ。おっとそっちに土井先生が着いたみたいだな。じゃあまた委員会で。じゃあな。」
パタンと携帯を畳み、ニヤリといつもの悪戯が成功した顔をみせる。
雷蔵はその手腕に再び惜しみない拍手を送る。
「ぶらぼー。」
「ちょろい仕事だぜ。」
その時、教室の外からバタバタバタと慌ただしい足音が響いた。
通常ならばすでに授業が始まっている時間だ。こんな時間に来るのは、先ほど出て行った土井が戻ってきたか…
「来たな。」
「来たね。」
音が止み、ガラリと教室の引き戸を開くと、竹谷八左ヱ門が肩で息をしながら立っている。
竹谷は教室を見渡し、授業が始まっていないことを確認すると喜色満面で三郎に突進してきた。
「さぶろー!!愛してるぜ!」
「抱きつくな暑苦しい。感謝はあとで現物でよこせ。」
「了解了解。助かった!ありがとな。」
「ハチ。おはよう。思ったより早かったね。」
「はよ。雷蔵。ふっふっふっ。俺の脱級号を嘗めちゃあだめだぜ。本気出せばバイクも追い抜くからな脱級号は!」
「相変わらずだっせぇ名前のママチャリだな。」
「こら三郎。」
「なにおう!加藤サイクルのおっさんからもらった名車を馬鹿にすんなよ!」
「やっぱあそこか。そんな変な名前を付けてるのは。ギア変則も出来んママチャリごときが大層な名前つけやがって。」
「兵助のマウンテンバイクはなんだっけ?闇突号だっけ?」
「そーそーそんな名前。あれはバイトの兄ちゃんが付けた名前なんだろ?あれのがまだましだよな。」
「マウンテンバイクなんぞに俺の脱級号が負けるか!!」
「うわ。すごい自信。ママチャリなのに。」
「面白い…。なら競ってもらおう。どちらがより優れているのかを…!」
「三郎もノリノリだし。」
「受けて立つ!!」
「…兵助の意思は?」

―閑話休題―
ノリノリで大騒ぎしているところにうっかり土井が帰ってきて結局3人は怒られましたとさ。


そして放課後。学校の駐輪場で隣のクラスの優等生は妙にテンションの高い2人組に捉まっていた。
「んん?ハチと自転車競走?…そりゃかまわんけど。」
「いよっし!!聞いたなハチ!もう後には引けないぞ!」
「望むところだぁ!!兵助!お前は友達だが俺は涙を飲んで全力を出す!!お前も手加減なんかするんじゃねーぞ!!」
「…なぁ雷蔵。なんで今日こいつらこんなにテンション高いんだ?」
「なんかスイッチ入っちゃったみたいで…。ごめんね兵助。付き合ってあげて?」
「うおおお!兵助!お前もテンションを上げろー!」
「そーだそーだ!お前のスイッチはどこだー!」
ものすごい勢いで食いついてくる二人に兵助は一歩(精神的には5歩分くらい)引いた。
「…ちょっと厳しいんだが。」
「「なぁにー!!」」
「おいハチ!!お前のライヴァルがこんなローテンションでいいと思うか!?」
「思わん!」
「だよな!よし来た!兵助!」
「なに。」
「これでお前が勝ったら俺が山ほど豆腐料理作ってやる!もちろん材料費はハチ持ちだ!!」
「!!…豆腐………山ほど………。」
「え、ちょ、三郎さん?俺聞いてないよそれ。」
「ばっかお前が勝てばいい話だろ☆」
「そ、そうだよな!」
「冷ややっこ…麻婆豆腐…豆腐の味噌汁…豆腐と牛肉の煮込み…湯豆腐…豆腐鍋…」
「え。豆腐鍋ってなに?」
「あ。雷蔵はハチの後ろな!俺は兵助の後ろに乗るから。」
「僕も参加するの!?」
「俺ら二人とも体重同じなんだから重しに丁度いいだろ?あとは公平な審判が必要だからな。」
「…竹谷。すまんが手加減出来ん。俺を恨むなよ。」
「おっ。兵助もテンション上がってきたみたいだな!望むところだ!俺も本気を出すぞ!」
「よっしゃぁ!大分ボルテージも上がってきたところで位置につけー!」
「「おう!」」
校門の前に自転車にまたがった二人が並ぶ。一方は黒が基調のマウンテンバイク。籠の無いタイプで乗っている二人は学生鞄をリュックのように背負っている。もう一方は銀色の一般用自転車(通称ママチャリ)。使い勝手の良い籠には中身の入っていないのが丸わかりの鞄と適度に中身の詰め込まれた鞄が押し込められている。
二台とも後に人を乗せている。これで条件は同じ。
「おっし!コースはいつもの帰り道!駅の前の橋を渡りきったところがゴールだ!お互いハンデはなし!正々堂々戦え!」
「吠え面かくなよハチ。」
「お前こそ、筋肉痛に泣いても知らないぞ。」
夕日に三郎の影が映し出される。その影を利用し三郎は大きく手を上へ伸ばし――
「go!」
一気に振り下ろす。とたんに体がグンと後ろへ引っ張られる感覚。三郎はあわてて兵助の肩へ手を置きしがみつく。
「はっ…はははは!いっけー兵助!!」
「おお行くさ!!掴まってろよ三郎!」
ぐんぐんスピードを上げる闇突号に、竹谷は朝以上に脱級号のペダルに力を込める。
「やっぱり速いなぁ兵助。」
「雷蔵!気が抜けるから!もう少し緊迫感を出してくれ!」
「あ。もうポストの処についてる。」
「ぬおおおお!!」
「すごいハチ!もうすぐ追いつくよ!」
「やべぇ追いつかれる!兵助!ギアチェンジだ!」
「坂道だ!すぐにまた離してやる!」
ガチリガチリとギアを変えると、スピード重視のギアから坂道の軽いギアへと変わる。
先ほどから比べれば羽のように軽いペダルはしかし、スピードは出なかった。
「おりゃあああ!」
「ちっ追い抜かれたぞ兵助!」
「なんだと!!あいつ後に人を乗せたまま坂道を全力だなんて…っ。どういう体だ!」
「すごいすごい!兵助追い抜いた!」
「んでもうすぐ…っ下り坂だ!!一気に離すぞ雷蔵!掴まってろ!!」
「うん!」
「やべぇ!!離されるぞ兵助!ちんたら登ってる場合じゃなくなった!」
「了解っと!!俺らも下るぞ!三郎!落ちるなよ!」
「当たり前!」
登った道より長い下り坂。銀と黒の二台はブレーキを一切掛けず疾走する。
「あははははは!!はえー!すっげぇはえぇ!」
「ママチャリー!そろそろブレーキ掛けないと危ないぞー!」
「脱級号なめんな!って言ってるだろうが!まだまだぁ!」
「ねぇ!ちょっと!さすがに危ないって!」
「らーいぞー!楽しーな!!風が気持ちいいな!」
「そ、そうだけど…。うわぁ!!」
「追いついた!!」
「会いたかったよ雷蔵―!でもまったなー!」
「ちっくしょー!また抜かれた!!」
「やっぱマウンテンバイクは速いなぁ」
「だから雷蔵!気が抜けるって!!」
「大丈夫だよハチ!もう坂は無いからきっと頑張れば勝てるよ!」
「ありがとよ雷蔵!おっしゃまだまだ行くぜー!!」
「ハチのやつ諦め悪いな!!兵助!ガンガン引き離せ!!」
「了解!!」
「ゴールまであと100メートル!!」
「負けるかーー!!」
「ハチー!もう少しで追いつくよ!頑張れ!」
「あと50メートル!!あっやべぇ兵助!追いつかれるぞ!」
「ほんと諦め悪いな!三郎!ギア替えるぞ!」
「おう!あと10メートル!」
「おりゃあああ!」
「すごいすごい!!もう並んだよ!」
ガチリガチリかしゃこ
「あ?」
「あ!!」
突然闇突号の車体が傾く。ゴールの1メートル手前で兵助がタタラを踏んだ。
当然その隙をついて脱級号が華麗にゴールを決める。やっとブレーキをかけた自転車から降りた竹谷と雷蔵がハイタッチして勝利を祝った。
「いえーい!!ゴォーール!!」
「やったぁハチ!!!」
「兵助ぇ!!!何やってんだお前ぇ!!」
「あー…。チェーンが外れた…。」
「は?あー…。」
一方兵助、三郎の闇突号は、度重なるギアチェンジによりチェーンが外れていた。不自然にぶら下がった銀色のチェーンに哀愁が漂っている。
「あぁ。ときどきあるよなマウンテンバイクは。ペダルが空回りしてるときにギアチェンジしたりするとそうなるだろ。」
竹谷がにやにやしながら闇突号を覗きこんだ。そしてチェーンに軽く指を引っ掛けると、あっさりともとの金具に戻してしまう。
「ん。これでよし。」
「…随分手際がいいな。」
「んだって、俺も昔持ってたからなこんなん。弟にやっちまったけど。」
「ええ!?そうなの!?」
雷蔵が驚きの声を上げる。竹谷は照れくさそうな顔で苦笑いを返した。
「まあママチャリのが便利でさ。結局弟と交換ってことになったんだ。」
「そうだったんだ…。」
「だから言っただろ?絶対脱級号の方がいいって!なんせママチャリのが頑丈!使いやすい!乗りやすい!だからな!」
兵助は立ち上がり、自然な仕草で竹谷へ手を差し出した。
「俺の闇突号が負けるとはな…見事だったぜハチ。」
「なに。兵助のスピードも脅威だったぜ。俺が勝てたのは偶然に過ぎないからな…。」
竹谷も、ごく自然な仕草でその手を取る。
「ハチ…。」
「兵助…。」
二人は固く握手し、互いの健闘を称えた…。
「って二人で美しい友情演出してるとこ悪いんだが。」
「三郎!だめだよ邪魔しちゃあ!」
「だって雷蔵。もうそろそろスーパーに行かないと食材が売り切れてしまうんだ。」
「は?」
「食材?」
「豆腐料理。作ってやるっていったろ?」
「さ、三郎…俺負けたのに?」
「誰がお前に作ってやると言った。この天然ボケが。」
「は?」
「勝ってしまったもんはしょうがない。愛情たーっぷりに作ってやるよ。ハ・チ。」
「ええええええ!!!」
「さ、三郎…俺は豆腐よりもっと他のもんのほうが…。」
「と、豆腐!!!俺の豆腐――!!」
「材料費は兵助持ちな。」
「ええええええ!!!」
「さぶろー!!!聞いてくれー!!」
「さあ!ご飯だご飯。雷蔵はなにか食べたいものあるか?」
「え?ええと…あれか…ああでも…それとも…。」
「あはは。迷い癖が出ちゃったか。かわいいなぁ雷蔵は。」
「「さーぶーろー!!!」」


おわり。



あとがき
楽しかった…!!!
普通に中学生している5年が書きたかったのです。

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