邪魔者への定型句
がやがやと騒がしい街並みを、三郎は喫茶店のテラスでカフェラテを飲みながら見つめていた。
派手な頭や服。自分と同年代の人間たちがここまでひしめき合うこの場所に爆弾でも落ちたら世の中どうなるのだろうか。
実はたいした損害は無いかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えてふと腕時計に視線を移す。
待ち合わせの時間まであと五分だ。
さて、今日は何分待たされることやら。
まだコップの中に半分以上カフェラテが残っているのを確認して、三郎が暇つぶしにと携帯を開くと同時。目の前に影が落ちた。
「…まぁ合格。」
「ホントッ!?」
開いた携帯をパタン、と音をさせて閉じ視線を上げると、極彩色の中に目立つ単色。
白と黒のみで形成されている姿はもう見慣れたものだ。
その顔が息を切らしながら嬉しそうに笑っている。
「勘が待ち合わせ時間より早いなんて珍しいじゃない。」
「でしょ!?
「でも六十点。」
「ええ!?」
三郎の前の席に座りながら勘右衛門の嬉しそうな顔が一転して情けない顔になるのを、三郎は笑いを堪えながら顔を無理矢理顰めさせて人さし指を立てる。
「男が女の子を待たせるものじゃないでしょ。まず私より早く来なきゃ。」
「う…。」
「それに、こっちに着く時間くらい連絡くれればいいのに。今日も待つと思ってこんなにおっきいの頼んじゃった。」
「…手伝う。」
立てた指を、そのままラージサイズのカフェラテに向ける。
全部飲み干したら確実に胃が凭れそうな量に勘右衛門が顔を引きつらせて神妙に頷いた。
「それから、」
「はい………。」
三郎はじっくりと上から下まで勘右衛門の姿を確認する。
黒の皮靴に黒に近いグレーのズボン。飾り気のないシャツに藍色のネクタイ。それに、きょとんと見開かれた目には黒縁の眼鏡。
決して若者らしくはない。むしろ後三十年着ても違和感の無い格好だ。
「………またスーツだし。」
「だって…急いでたからこの方が早く支度すむし………。いつものカッコは三郎怒るじゃんか………。」
呆れたような三郎の視線に、勘右衛門がますます体を縮ませる。
いつもの格好、というのはただのTシャツにジーンズ姿のことだろう。
それも気を使ったものではなく、ただその辺あったのを適当に。ということが丸わかりなもので。
三郎は深くため息を吐いて首を振った。たしかにあれに比べれば今日の姿はマシだ。
「理系の男ってこれだから……。」
「あ。それは偏見だよ三郎。俺以外はちゃんと女の子にモテるカッコしてるんだから。」
「だったら勘も見習えばいいのに。」
「俺は三郎がいるし。」
にへ、と情けない顔のままで笑う勘右衛門に、三郎は憮然とした表情のままずい、と自分の前に置かれたコップを差し出した。
「……手伝って。」
「はぁい。」
ストローに口を付けながら、勘右衛門は顔を逸らす三郎の顔が耳まで真っ赤になっているのを見てまた笑うのだった。
半分こしたカフェラテで喉を潤し、二人は喧騒の中に入る。
店を出た瞬間、手は自然に繋がれて。三郎は違和感のないその温もりにそっと目を細めた。
「ん?」
「なんでも無い!ほらCD見に行くんでしょ!」
勘右衛門は首を傾げながらも手を引く三郎に大人しくついて行く。
最初は三郎が先導していた歩調も、しだいに二人が並ぶ速度に変わっていった。
お気に入りのCDショップは少し遠いところにあるので、色んな店を冷やかしながらのんびり歩く。
やがて付いたショップでも二人は会話しながら店内を回っていた。
「勘てばまだ大学生のくせに。なんでそんなにスーツとか持ってるの?」
「教授のお供で学会とかによく連れて行かれるんだよ。そのときにいつもの格好はさすがに不味いでしょ。」
「学会?勘って何学部だっけ?」
「物理学部創造物質研究室。」
「………………意味分かんないんだけど。」
「うん。いいと思うよ。」
一応説明を求めたつもりだが笑顔でかわされてしまった。
それが何となく面白くなくて、三郎は不意に手を放した。
「三郎?」
「……汗掻いたからお化粧直してくる。」
「そう?」
「うん。待ってて。」
そう言って店の奥へ小走りに去る三郎を笑顔で見送って、完全に姿が見えなくなると同時。表情を変えた。
「…人の恋路に割り込むやつは馬に蹴られて死んでしまえっていうよね。」
芯など無いような笑顔から一転して不機嫌な表情になった勘右衛門が呟く。
その視線の先に人はいない。一見独り言のように聞こえるが、すぐ近くから声が返った。
「物理の権威の秘蔵っ子が何を言ってる?」
「デート中なんだけど俺。」
「だからこうして彼女が離れるのを待った。」
「そりゃあんたたちの都合だろうに。」
「例のデータはどこだ?」
これ以上余計なおしゃべりをする必要はないとばかりに相手の男が話を打ち切る。
同時に勘右衛門の前に見るからに厳つい男たちが数名現れた。
「俺は一介の学生だよ?教授の技術データなんて知る訳ないじゃん。」
「その教授が唯一信頼を置く人間だろう。君は。」
「そんなこと無いよ。用心深いじいちゃんだからさ。俺の知らない方法で保管してると思うよ?」
「…それも、君なら探ることが出来るんじゃないか?」
「しつこいなぁ。知らないってば。」
「………………今、化粧室の前に私の友人が向かっていると言ってもかな?」
瞬間。
ただの不機嫌な表情が殺気を帯びたものに変わる。
目の前の男たちはそんな勘右衛門の様子をニヤニヤと見つめていた。
「なるほどね……。」
「なに。女性の化粧直しは長い。君がデータをくれてもまだ間に合うだろう。」
「……こんな公衆の面前で?」
勘右衛門のその言葉に、男たちが顔を見合わせる。
「俺だってばれたらただじゃ済まないんだから、その辺は考慮してよね。」
「なるほど…それもそうだ。場所を変えよう。」
その言葉に、勘右衛門はようやく振り返り声の主を確認した。
想像ではサングラスを掛け喪服のような黒いスーツを着た見るからに怪しい男だと思ったのだが、そこに居たのはただの会社員のようだ。
勘右衛門と親し気に話していたら、見た人はきっと新入社員とその先輩だと思ったことだろう。
「初めまして。尾浜くん。」
「挨拶はいいから早く移動してくれない?彼女が戻ってくる。」
親しみを込めた男の笑顔をあっさりと跳ね返して勘右衛門が顎で男に動くよう伝える。
男はそれに苦笑しながら勘右衛門に背を向けて歩きだした。
店の奥に向かったと思うと、男は非常階段のドアを開きあっさりとそこに体を滑り込ませた。
勘右衛門の背後に立っていた男たちが勘右衛門も出るように背中を押した。
狭いそこは動き辛く、先に進んでいた男も勘右衛門の場所から数段階段を上りそこで勘右衛門を見下ろしている。
バタン、と全員が外にでて戸が閉められた。
その瞬間、男が右手を差し出し笑う。
「さあ。データを貰おう。」
完結に用件だけ伝える男を、勘右衛門が睨む。
その手はスーツのポケットに入れられ、何かを持つように握って出てきた。
拳を握るように勘右衛門はその手を男の手のひらに乗せる。
男の目が歓喜に震えその手を注視したのを見てとって。勘右衛門は握られ男の手に乗せた何も持っていない手でもって、その男の腕を思い切り引いた。
「うぉ!!あ!!!」
男の体が傾いで勘右衛門にのしかかってくる前に、勘右衛門は腕を引いた遠心力を使い男を体を入れ替える。
階段の上に勘右衛門、下に勘右衛門を脅した男たちが勘右衛門を睨みつけていた。
「だからさぁ。知らないって言ったよね俺?」
「このっガキ!!」
「人の彼女人質に取っといてそういうこと言う?」
思い切り馬鹿にした笑みで男たちを見下ろす。
見下された厳つい男二人が投げられた男を背後に追いやって勘右衛門へ肉迫した。
狭いそこで、男が唸りを上げて拳を振るう。
それを勘右衛門は危なげなく避け、不用意に近づいた男の腹を思い切り蹴り飛ばす。
勘右衛門の皮靴は男の鳩尾を正確に突き、「ぐぇっ!!」と呻いた男の体が吹っ飛び階段の柵に当たって止まる。
ガッシャンと派手な音をして動かなくなった男を見やって、勘右衛門は感じた気配に首を逸らした。
今まで顔のあった位置に銀色の棒が突き出される。
間一髪でそれを避けるも、勘右衛門のかける眼鏡に掠り視界にヒビが入る。
それに顔を顰め、己の眼鏡を割った原因に目を移した。
伸びた男に代わり、いつの間に出したのか警棒を構えたもう一人がそれ見て笑みを浮かべている。
歪んだ視界でそれを確認した勘右衛門は、フレームの歪んだそれを指でつまんで外した。
「……気にいってたんだぞこれ。」
顔を顰めてヒビの入った眼鏡を見つめ、ため息を吐いた。
男はじっと勘右衛門を見つめ、警戒を露わに身構える。
「…………しょうがない、か。」
「!!」
不意に勘右衛門の手が動き、黒縁のそれが男に向かって投げられる。
反射的に男が警棒でそれを跳ねのけ、カシャンと軽い音を立てて眼鏡が砕ける音がする。
飛び散った硝子に気をとられる男に、勘右衛門は素早く近づき身を屈めた。
ぐっと体が構えに入り、思い切り突きあげられた掌底が男の顎を捕える。
ガツンッと男の後頭部がすぐ横の壁にぶつかりずるずると身を沈めた。
鍛えられた男二人をあっという間に伸した勘右衛門は、階段の端で身を縮めている会社員風の男にゆっくりと近づいて手を伸ばす。
「ひっ、」
「データが欲しいんならさぁ、俺と彼女以外の所に行ってくれる?俺を撒きこまないでよね。」
わかった?と浮かべた笑みは三郎に向けたものとは全く別種のもので。
安心しきった草食系の笑顔ではなく、それは敵を圧倒する肉食のものだ。
「ねぇ分かった?って聞いてるんだけど?」
「っ!!!」
こくこくと頷く男にまた笑みを一つ落として、勘右衛門は悠々と非常口の扉を開けた。
「あ!!!勘いた!待っててって言ったのに!!」
「あ〜ごめん。煙草吸いに行ってた。」
「…煙草も駄目って言った。」
「あ………。」
しまったと勘右衛門の顔が固まるのを、三郎はため息を吐いて首を振る。
「……勘が思い通りになるなんて思ってないけどさ。」
「そ、そんなことないって!!俺三郎の言うことならなんでも聞くから!!」
「ふぅん。」
三郎は綺麗にグロスの塗られた唇を尖らせて、情けない顔で肩を抱く勘右衛門を見つめる。
その顔に、先ほどまであった眼鏡が消えている。
お互いの顔しか見えないくらいに近づいているのに。あの独特の匂いもしない。
「…わかってるのかなぁ。」
「え?なにが?」
「煙草吸いに行くだけで眼鏡が無くなるなんて、随分うっかりね?」
ひくり、と勘右衛門の顔が引きつる。
それに今度こそ三郎は声を出して笑って、勘右衛門の腕へ腕を絡ませた。
「さ、三郎…?あの………。」
「私お腹空いた。この間言ってたケーキ屋さん行きたい。紅茶も。」
なんでも言うこと聞くんでしょ?と綺麗に笑う彼女にがっくりと項垂れながら「…………かしこまりました。」と大人しく腕を引かれる。
誰が見ても仲のいい恋人同士の二人の邪魔をすれば、馬に蹴られるか豆腐の角に頭をぶつけて怪我をすると相場が決まっているのだ。
「常識なのにねぇ。」
「なに?」
「なんでもなーい。」
にこにこと腕を組む二人を邪魔する者はそれを痛感するのだった。
あとがき
ついったーにて酪さんより「いつもはメガネでへっぴりごしなヘタレ男だけど本当は喧嘩に強い勘ちゃん」という素敵設定を頂いたので!!
眼鏡にスーツは私の趣味です!!!大好物ですじゅるり。
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