いのちのおと
三郎は、いつも左腕を下に敷いて寝ている。
見るといつもそうなので、癖なのだろうかと思っていた。
それは想いが通じてからも同じで、一つのベッドの中にいるというのに、三郎はいつも自分の左腕を下に敷いて、決して俺には寄りかからない。
本当に癖、なのだろうか。
「どう思う?」
「さあ。」
まだ賑わっている教室の中で真面目に次の時間の予習なぞ行っている兵助の正面に座って尋ねても、帰ってくる答えはそんな投げやりなものだった。
俺は逆向きに座った椅子をガタガタと動かして「へーちゃんつめたいーー。」と訴える。
流石の兵助もそれには煩そうな視線をよこしたので、「で。どう思う?」と再び問えば、今度はため息が帰って来た。
「…別に、避けられてるわけじゃないんだろう。好きにさせたらいいじゃないか。」
「そりゃもちろん。俺にくっつかないのは三郎の自由だけどさ。」
ぎぃぎぃ、と椅子を揺らす俺の言葉の続きを兵助が視線で問うた。
「俺はくっついてたい訳。」
「………………………じゃあやっぱり三郎に確認すれば?黙って推測するだけじゃあ埒が明かないだろ。」
「そっかなー。」
首を傾げる俺を追い払うように手を振り、俺もこれ以上兵助が相手してくれないことを見取ってその場を離れた。
それに、もう次の授業が始まる。
それにしたって、いったいどういうことなんだろう。
窓際の俺の席は春の日がよくあたり、とても心地よい。
前で教師が説明している公式はもうとうに自分で解いてしまったもので、聞かなくても支障はない。
それをいいことに俺はぼんやりと校庭で走り回る三郎を見ていた。
あいつは動きが綺麗だからすぐわかる。
三郎さえ分かってしまえば、体格のいい八左ヱ門と細身の三郎と似た背格好の雷蔵もすぐに分かる。
あの三人はいつも一緒にいるから。
そう考えた拍子に、短距離を走り終わった三郎を竹谷と雷蔵が肩を叩いて迎えているのが見えた。
なかなかいいタイムだったのだろう。三郎もご機嫌にそれを受けているのが見える。
竹谷が、三郎の肩に手を回してなにか囁いている。
三郎がくすぐったそうに肩を竦めるのを捕まえてまだ何事かを話し、そしてついには三郎に胸を押されて離されていた。
笑う八左ヱ門の頭を雷蔵がベシ、と平手で叩いている。
それに三郎が笑って、今度はハードルの並べられたトラックへと向かった。
「おい!」
二人を声高く呼ぶ、その音だけが聞こえる。
雷蔵達だけではない人の注目を集めて、三郎が走る。
ああ、やっぱり綺麗なフォームだ。
正確に障害物を越え、やはりタイムは上々だったらしい。
また三郎を迎えた二人にもみくちゃにされていた。
「いーなぁー。」
仲の良い三人組を眺め、思わず声が出る。
「そうかそんなに尾浜も走りたいか。じゃあ後で体育の厚木先生に伝えておいてやろう。」
上から降ってきた低い声に、あっちゃあ、という顔を作って見上げる。
「厚木先生は教育熱心でいらっしゃるからなぁ。授業内でトラック十周くらいさせてくれるかもしれんぞ?」
「いやぁ俺長距離はちょっと…。」
えへ、と笑って誤魔化す作戦に出たが当然そんなのが効く相手でもない。
怖い顔で見下ろされて、ぱこん、と頭に軽い衝撃。
「ほれ。前に出て問いを解け。」
「はぁい。」
ぴっ、と高い笛の音が外から聞こえたが、もうそちらを見ることはできなさそうだ。
キーンコーン、と笛などよりも大きな音が校舎中に響き渡る。
俺は買っておいたコンビニ袋を手に持ち、隣の教室へ足早に向かった。
ガタガタと各々が席を移動させているなか、見間違えないその背中を見つける。
「はちやーーーー!!!」
「ぐっ!」
その背中に思い切り飛びついて、飛びつかれた三郎はガタっと机に手を付いて体を支えた。
「おい勘。何のつもりだ。」
「もう授業中ずっと鉢屋に触れたくて触れたくて辛かったから鉢屋充電中。」
「うぜえ。離れろ。」
「もうちょっと〜〜。」
首にかじりついたままぐりぐりと項に顔を擦り付ければ呆れたため息とともに何も言われなくなる。
甘やかされていることに対する優越感にほくそ笑むと、脇腹に鋭い衝撃が襲う。
「ぐふっ。」
「いつまでくっついてんのこの変態。」
「それは…俺のことかな?」
「他に誰が?」
恋人そっくりな顔で黒く微笑む雷蔵に痛む腹を押さえて無理やり笑い返す。そしてもう一言二言嫌味を言ってやろうと思ったのだが、いままで抱きついていた恋人が「雷蔵!おかえり!」と嬉しそうに彼に飛びついたのでそれを止めた。
絶対的に、三郎の中で雷蔵より自分の地位は低い。いや、その他の奴らよりは高いだろうけど。
がやがやと他のメンバーも集まりだし、もう三郎は俺を甘やかしてはくれない。
恥ずかしがり屋だから、仲間の前じゃ無理だ。
ちらりと見た横顔はやっぱり雷蔵のものより綺麗で。それが恋人の欲目だとしても俺は幸せな気持ちになるのだ。
まふ、と手の中のパンに食いつきながらそう思う。
放課後になれば今日は委員会がある。
まだ小さな中等部の一年生も一緒だ。お気に入りの子たちが来るとあって、俺も三郎もご機嫌で委員会室へ向かっていた。
「庄ちゃんたちもう来てるかな?」
「向こうの方が授業終わるの早いしそうじゃない?」
「じゃあ急がなきゃ。」
普段は皮肉な笑みしか浮かべない三郎が本当に嬉しそうに笑う。
いつより強く刻みだした心臓をなだめながら、急ぎ足になる三郎の後を追った。
「庄左ヱ門、彦四朗。お待たせ。」
「鉢屋先輩!」
「尾浜先輩!」
自分たちより幾分か小さな体が笑みを浮かべて振り返った。
「時間ぴったりですね。さすがです。」
庄左ヱ門が感心したように言うのに二人が備え付けの時計を見ると、デジタル時計がはっきり「15:30」と表示している
「あら。ほんとだ。よかったねちょっと早歩きで来て。」
「そうだな。さて。今日も元気に仕事するぞー!」
教師から預かってきた仕事をどさりと机に置き、気合いを入れるように拳を振り上げる。それに庄左ヱ門たちもおー!と倣っているのがかわいくて微笑んでいると、彦四朗が「ほら尾浜先輩も!」と俺に顔を向けたので、一緒に「おー!」と拳を振り上げた。
もうすぐ始まる文化祭の注文しなければならない備品数の確認や使用する教室そのほかのスケジュール組み、そして次の説明会のための資料作り。
この時期はやることが山ほどある。
みんな黙々と手を動かして仕事を終わらせる。もともと優秀な人間が揃っている組織だ。通常より大分早いペースで終わった。
目の前から仕事が無くなったことに顔を上げると、三郎もほぼ同時に仕事が終わったようで同じく顔を上げて目が合った。
「終わり?」
「ああ。そっちは?」
「終わったよ〜。」
「僕たちも終わりました!!」
上級生二人がまったりした空間を作ろうとしたところで庄左ヱ門たちもバッと顔を上げて終わりを告げた。
「ん。お疲れ様。」
「頑張ったね二人とも!」
俺が両手で二人の頭をわしわしと撫でまわすと二人がくすぐったそうな笑い声を上げる。
そうしてじゃれているうちに内容のチェックが終わったらしく、三郎が「よし。オッケー。」と書類を纏め上げた。
「じゃ、帰るか。」
「鉢屋。今日も俺んち来るでしょ?」
下級生二人が手を振って自分たちの校舎へ帰るのを見送って、俺は三郎にそう切りだした。
「…………どうしようかな。」
「え!?」
まさか断られるとは思わなくて思わず素っ頓狂な声を上げて聞き返してしまった。
随分間抜けな顔をしていたのだろう俺の顔を見て、鉢屋がぷっと吹き出す。
「すっごい、そんな、必死な顔しなくても。」
ツボに入ったらしいそのまま体を震わせて崩れ落ちる細い体を、少し照れくさく思いながら見下ろし、ふと思いついてその顔を笑みに変えた。
「あーあ。鉢屋にあのとっておきのオリーブオイル使った料理作ろうと思ったのになぁ。」
ぱっと三郎が顔を上げる。
聞き返すようなその表情にニヤリと笑って、「俺の手造りのピクルスもあるのに。それにデザート用にフルーツもたくさん買っておいたんだったなぁ。早く食べないと捨てるしかないなぁ。」
「…食い物で釣るとか。」
「ん?釣れない?」
にこりと笑って座り込んだままの三郎へ屈みこむ。
が、額を狙った唇には、べしっと手のひらが強く当てられた。
「いてぇ。」
「ふん。」
強気に口の端を上げて、三郎が下駄箱へ向かう。慌ててそれを追って、細い肩を掴んだ。
「で?来るの?来ないの?」
「…来てほしいのか?」
さっきの意趣返しのつもりなんだろうか。ニヤリと悪戯っぽく笑って、三郎が上目使いに問う。
逆らえる訳など無い。
「来てほしい。」
「じゃあ行ってやる。」
デザートは期待してるぞ。果物いっぱいな。
心なしか弾んだ声でさっさと背を向ける三郎の顔が真っ赤になっているのは、決して夕陽のせいではないことはわかっている。
愛おしさにその背を抱きしめて、俺は再び手痛いお仕置きを貰ったのだった。
オムライスにピクルスを添えて、オリーブオイルはイタリアンドレッシングに。
果物は小さいタルトに使った。
その全てを完食し、今はだらだらとベッドの上で二人で好きなことをしている。
俺は携帯ゲームをして、三郎は俺の本棚から適当にとった本を読んでいた。
ころん、と横になった三郎は、やはり左側を下にしていて。壁を向いてしまっている。
俺はちらりちらりとそちらに気を取られるが、三郎は本の世界に集中していて気付いている様子は無い。
すこし、むかっとして。
そろりとその背後に近付き、どすっと勢いよくその体の上に落ちてやった。
「っぐ!!勘右衛門!!なんだよ!!」
「鉢屋。なんでそっち向いてんの。俺はこっちだよ。」
拗ねたような俺の言葉に三郎が目をぱしぱしと瞬かせる。
子供のようだと自分でも思う。俺の下の体からくすくすと笑い声が零れ出した。
「なに、拗ねてんの?」
「だって鉢屋、いっつもそっち向いてるだろ。なんで?」
「なんでって…別に大した理由はないけど。」
「ほんとに?」
ああもうこれでは本当に愚図る子供だ。
仕方が無い、とでもいうように笑う三郎に居たたまれない気持ちになってくるが、知りたいことは確かだ。
微笑を浮かべた三郎がごろりと仰向けに体勢を変え、俺の顔へと腕を伸ばす。
キスをせがまれているのかと思ったが、「聞こえる?」の言葉に耳を澄ます。
チッチッチッ、とそれは秒針の刻まれる音。
「時計の音?
ああそういえば、この腕時計は俺がこの間の誕生日にあげたものだ。
三郎は照れたように頷いて、また自分の耳の横に左腕を添えて時計の音に耳を澄ませた。
「好きなんだ。この音。落ち着くんだよ。」
いま、三郎の耳にはチッチッチッと止まることのない秒針の音が刻まれているのだろう。
三郎が俺の方を向かない理由は分かっても、胸のもやもやがとれない。
「三郎。」
我ながら、尖った声だと思う。
しかしもう今更飾ることのできない子供のような感情のままに、俺は三郎の腕を取った。
そのまま自分の顔の横まで引き寄せれば、やはりチッチッチッと針の音。
俺はそのまま三郎の細い体を自分の体の中に抱え込む。
「かん…?」
「時計より、こっちのがいいだろ。」
ぎゅう、と三郎の頭を胸に抱える。
もぞりと三郎が動いて、耳を俺の胸にあてたのがわかった。
「ちょっと早い。」
「……それはしょうがない。」
恋人が腕の中にいるのだから、ふわりと香る髪や細い体にどきどきすることぐらい許してほしい。
くすくすとまた三郎が楽しそうに笑う。
「きもちいいな、これ。」
「そ、そう?」
「うん……。」
動揺する俺とは反対に、三郎はだんだんうとうととしてきたのか語尾がとろりと蕩けている。
相変わらず鼓動は早いはずだが、三郎は嬉しそうに一つ笑った。
「よく、ねれそうだ。」
そして意識を落とした三郎に、俺は感動を覚えたのだが。その数分後、三郎を起こしてはいけない生殺し状態になっている自分を自覚するのだった。
あとがき
迷走しながら書きました(笑)
時計の音はアソビも好きです。寝れないときはこの音聞こえるとゆっくり寝れる。
だが勘ちゃん。君が反対側で寝れば済む話では?っていう突っ込みはしちゃいけません(笑)