花食み
(あ。)
学園の端。
火薬庫のすぐ近くに兵助の姿を見つけた。
黒髪に縁取られた顔はじっと花を見つめ動かない。常にするように声を掛けようと三郎が口を開いた瞬間。三郎の口から音が消えた。
いつも見惚れるその美しい形をした手が、ついと赤い花を摘み取る。花は喜ぶようにすぐに枝から外れ、花の形を保ったままその手へ移された。
その花の根本を摘んだ指が、そっと口へと寄せられ、そして、やはり美しい形をした薄い桜色の唇が、それを食んだ。
黒い瞳は今は閉じられ、口に花を食む姿はまるでこの世のものではないようで。
三郎はそれを見つめたまま、動けずにいた。
声を、掛けていいのだろうか。
その前に、あれは本当に兵助なのだろうか?
そんな妄想が頭を巡ってしまう。あの豆腐馬鹿の天然小僧が。本当に同一人物であるのだろうか。
躊躇は迷いになり、ただ見つめるのみであった三郎に、今度は兵助が気付き顔を向ける。
「よう三郎。」
そう笑う顔はいつもの兵助だ。
その顔になぜだかほっとしてから、三郎は緊張していた自分にいまさら気が付いた。
それを認めるのがなんだか悔しくて、わざとぶっきらぼうに「…お前なにしてんの?」と尋ねる。
「え。あ。見てた?」
「見てた。花、咥えてたろ。」
「ああ。腹減ったからさぁ。」
「………は?」
くるくると花を指先で回しながら、照れたように笑う兵助に三郎が怪訝な顔で聞き返す。
「いやさっきまで委員会で。仕事終わったのはいいんだけど腹減って頭ぼーっとしちゃってさ。そしたら運良く躑躅が咲いてたから、ちょっと拝借したんだ。」
「拝借?」
「あれ?三郎やったこと無いか?こうして…。」
そしてまた美しい手が、今度はさっきよりも無造作に花を摘む。その根本をぱくりと咥え、ちゅ、と音をさせた。
「ん。甘い。」
「は?」
「こうやって、蜜を吸うんだよ。子供のころはこの季節、これがおやつ代わりだったんだぜ。」
花を咥えながら器用に話す兵助は、まるで子供のように笑っている。その仕草のどこを見ても先ほどのような美しさは欠片も見えない。
(なんだんだこいつ…。)
思わず呆れた視線を送る三郎に、なにを勘違いしたのか慌てた様子で兵助が弁解を始めた。
「や!別にいつもこういうことしてるわけじゃなくて!!さっきまでほんと腹減って倒れそうで、ああでも部屋まで持たせることだってもちろん出来るけどでもだって美味そうな花があるし!ちょっと懐かしいのもあるし!!あ!そうだ!」
あ、と言った途端に口からぽろりと花が零れる。三郎は思わずそれを見送ってしまったが、すぐにその視線を遮られた。
目の前の、赤い花によって。
「…ん?」
「三郎も!やってみろよ!ほら。」
くるりと根本を向けられ花が口元へ運ばれる。
「…………………。」
戸惑いの視線を兵助へと送るが、兵助は笑みを浮かべながら「ほら。」と言うばかりだ。
仕方なく、三郎は先ほど兵助がしていたように、花の根本へと口を付ける。そのまま、ちう、と音を立てて吸うと馨しい甘い味が口内に広がった。
「…甘い。」
美味ではあったが、蜜の味は三郎には甘すぎた。ぽつり、呟きながら三郎が口を離して兵助を見上げる。
「…兵助?」
どういう訳か、兵助が赤い顔をしたまま動かない。
先ほどまであんなにわたわたと手を動かしていたのに、と三郎が首を傾げるのをただ凝視している。
「おい。どうした。」
「…あ!え、えと!じゃ、じゃあ俺、土井先生に委員会の報告行かなきゃいけないから!!またな三郎!!」
「あ、ああ。」
赤い顔のまま捲し立てる兵助に、三郎は戸惑いながらも頷いた。
腹が減っているとは思えない素早さで去っていく兵助を茫然と見送る。
「なんなんだあいつ…。」
とても美しいものに見えたり。
かと思えばいつもの友人の顔になり。
子供のように無邪気にしていたかと思えば意味の分からないところで顔を赤くする。
兵助の奇行に首を傾げながら、三郎は元の道に戻っていった。
一方。
(や、やばいっ。やばかったっ!!)
兵助は学園内をひた走っていた。
なんだかもう走らずにはいられないのだ。どうにもこうにも頭が沸騰して叫びたい気分なのだ。
(三郎がかわいいなんてっ!!)
少し目を伏せ、赤い舌を覗かせ赤い花を食む姿に、なぜか胸が騒いで。しばらく見惚れてしまった。
三郎は気付いていたのだろうか、花を咥えた瞬間、その唇が兵助の指に触れたことを。
その柔らかい感触が今でも指から消えない。
消えないでくれ、と願うのは、自分の頭がおかしいからだろうか。
(三郎三郎三郎三郎っ!)
もう兵助の頭の中は三郎のことで溢れていて、今自分が何処を走っているのかも分からなくなりそうだ。
首を傾げる姿に抱きしめたくなる衝動を必死に殺して、慌てて走り去ってしまった。
(だってしょうがない!三郎がかわいいのがいけないんだ!)
せめて赤い顔が治まるまでは、と走りまわる兵助の姿は夜まで続き。
治まっても三郎と合う度に赤くなる顔に悩まされるのはもう少し後の話。
「三郎聞いた?」
「んー?」
「なんか兵助が学園中を走り回ってるんだって。」
「ふーん。」
「どうしたんだろうね?」
「んー。」
「三郎?」
「んー。」
「…顔赤いけど、どうしたの?」
「…んー。なんでもないよ。」
(兵助のこと思い出してたなんて、言えない。)
そして、そんな二人の赤い顔が治まるのは、されにもう少し後のこと。
あとがき
よく食べてました。躑躅の蜜。
特においしいってわけでもないんですがね。なんか懐かしい。
しかし冬に書く話でもないですね(笑)季節感って言葉ご存知ですかあそびさん。
花を咥える兵助って最高に美人だと思う。誰か描いてくれないものか。