大事な仕事




久々知兵助は今読書中だ。
文机に向かって、図書室からようやく借りられた本を開き、その文字を視線でなぞる。
だが、その意識は集中からは程遠かった。
「………なにしてるのかな鉢屋三郎くん?」
「大事なお仕事ですよ久々知兵助くん。」
目元をヒクリと引きつらせながら兵助が問うと、いかにも人を食ったような返答。
鉢屋三郎はいかにも楽し気に鬘の手入れをしている。
その、鬘を兵助の頭に乗せて。
「………俺はもっと明確な答えが聞きたいんだがね鉢屋三郎くん。」
「鬘の手入れだよ見りゃ分かるだろ久々知兵助くん。」
嫌がらせのフルネーム呼びをそのまま返されることにも苛立つ。
今日の忍術学園はとても静かで。
一年生はオリエンテーリングで兵庫第三協栄丸さんの海に行っているし。六年生も委員会かお使いで不在。雷蔵と竹谷も今は使いに出ていない。
だから兵助は読書をしようとしたのだが、三郎にとってはそんなことは頭の隅にも思い浮かばないらしい。
からかう対象を兵助へ移すだけだ。
兵助はそこまで思い至って特大のため息を吐きだす。
「お前…退屈だからって俺のところまで悪戯しに来るなよ。」
その言葉に、三郎はぴたりと手を止めた。そして不機嫌そうな声で「…何言ってる。」と呟いた。
「言っただろ。大事な仕事だって。悪戯しに来たんじゃない。」
その口調に兵助はおや、と目を見開いた。
「…仕事。」
「そう。」
「………俺の頭は鬘の台じゃないんだが。」
「知ってるよ。優秀ない組の久々知へーすけくんだもんな。」
「…そういう言い方は止めろ。」
「豪華な台使わせてもらってこっちは満足してるんだ。ちょっとくらい場所貸せ。」
浮かれたような三郎の言葉は理不尽だ。もちろん兵助には頭を振って三郎の手を振り払う権利はある。
ある、が。
「…すぐ終わらせろよ。」
「りょーかいっ。」
どうしたって三郎に勝てる訳がないのだ。
(かわいいなちくしょう!!)
内心で兵助が身悶えているのにも気づかず、三郎はその頭上でご機嫌に手を動かす。
「あ。兵助ごめん。ちょっとこっちも場所貸して。」
「え!?あっおい!!」
ふわり、と三郎の体が背後から寄せられ兵助が動揺する。とん、と振れた温かい体に目を瞑ると、手を動かされる感覚。
「ん?」
なんとなしに目を開けると、そこには紛うこと無き自分の顔。
「鏡…?」
「そう。前から見た感じも確認したいからそこ置いといてくれ。」
置いといてくれ、と言われても。…はっきり言って邪魔だ。本を読むために少し持ち上げる体勢でいなくてはいけなくなる。
だが、やはり兵助は何も言わないまま本を少し傾けた。
甘い、とは思う。だが甘えられたら甘やかさずにはいられないのだ。この、鉢屋三郎という人物は。
そんなことを考えている間も三郎は手際よく手を動かしている。
どうやら痛んだところを切ったり、癖が取れた髪には鏝を当てたりしているらしい。
鏡越しに見るその表情は真剣で、兵助は思わずじっと見つめてしまった。
熱心に見つめるあまり、鏡の中の三郎と目が合った。
しかしそれも気のせいで、三郎の綺麗な長い指は鬘の前髪の部分をちょいちょいと弄っている。
兵助がなんとなくつまらない気分になって今度こそ本へ視線を落としたその時。
とんでもない違和感が頭を襲う。
「うぁ!?あ、ちょ、三郎!!」
「ん?」
「なんだよこれ!!!」
「ああ。ハチの鬘。」
言われてみればこの銀は竹谷のものだ。理解はしたが。
とんでもなくチクチクする。竹谷は髪が長いから背中までその髪が刺さってとても痒い。
「さ、三郎!!早く取ってくれ!チクチクする!!」
「んー。ちょっと待って。」
「へ!?」
「ほらほら。忍びとは耐え忍ぶもの。だろー。忍耐だ。頑張れ。」
「おっまえ人ごとだと思って!!」
「私がハチの変装何回したか知ってるか?」
「……………。」
その言葉には何も言えない。
「はっ、早くしろよ!」
「はいはい。」
楽し気に笑う三郎はぜったいわざとだ。兵助は拳をぐっと握って頭皮と背中の痒みに耐える。
「三郎もだけどっ、ハチも!こんなもん付けててよく平気な顔出来るな。」
「私のは忍耐。でもハチのは本物だからな。あれ、これに比べると毛先はもっと柔らかいんだよ。障ると気持ちいいぞ。犬とか狼の毛みたいで。」
とたん、竹谷の髪に触れる三郎が脳裏によぎる。
知らず、握った拳にさらに力が入った。何かに耐えるように。
その直後チクチクしていた感覚から解放され、兵助はほっと息を吐いた。
だがすぐに三郎は次の鬘を乗せてくる。
次は、なんだかモコモコした感触だった。
「…これ誰の?」
「勘右衛門のー。」
相変わらず三郎の声はご機嫌だ。それは大変喜ばしい。
しかし兵助の機嫌は格段に下がっていっていた。
「…暑い。」
「忍耐。」
兵助の呟かれた苦情を三郎も一言でバッサリと切り捨てる。兵助は遠い目をして窓の外を見やった。
今日はとても暑いのだ。それこそ春だと言うのに夏が来たかのように。
「…昨日とかなら良かったのに。」
昨日はまだ涼しかった。あれくらいの気温なら今の状況も耐えられたかもしれない。
「昨日は昨日。今日は今日。」
だが、先ほどと同じようにバッサリと切り捨てられてしまった。
…なんだか心の汗が流れそうだ。


「ん。よし。お終い。」
「やっとか……。」
千の顔を持つ男という名の通り、鬘だけでも相当な種類があった。
動くと怒るのでずっと同じ姿勢を維持していた兵助はそれに首を回し凝りをほぐす。
鏡を見ると、三郎は手早く道具と鬘を仕舞っている。なんとはなしにそれを見ていると、突然三郎が「あ!」と大声を上げた。
「どうした?」
「もう一個。大事な仕事忘れてた。」
その言葉に兵助は今度は素直にため息を吐く。それではまたあの姿勢にならなくてはいけないらしい。
しかしやはり否を言うわけもなく黙って三郎に背を向け、三郎の手が兵助の頭へ伸びるのを見つめる。
しかし指は鬘ではなく、兵助の髪結い紐をしゅるりとあっけなく解いていった。
結構な量のある髪はバサリと派手な音を立てて背中に流れる。
「…三郎?」
「…大事なお仕事。」
そう小さな声で、三郎は呟く。
俺は訳の分からないままに振り向こうとするが、「動くな!!」と打って変わった声で怒られてしまった。
「大事な仕事って、なんだよ。」
「ん?ふふふふ、内緒だ。」
とても嬉しそうなのは分かるのだが、振り向くことの出来ない兵助は三郎の表情を見ることが出来ない。
なにやら背中でごそごそと動いていたが、「ん。お終い。」という三郎の言葉と共にようやく振りかえることが出来た。
「三郎?何してたんだ?」
「…内緒だよ。」
含み笑いが妙に不安だ。何か悪戯をされた訳はないといいんだが。
と、そこまで考えて兵助は思いなおす。先ほど「仕事」を「悪戯」と言われて不機嫌にしていたのだ。三郎にとっては大事なことなのかもしれない。
なので、兵助は「そうか。」とだけ言って頷いた。
それに三郎は、目をぱちぱちを瞬かせ、それからふわりと微笑む。
それは、常であれば彼の相棒だけが見ることの出来る笑顔で。それを真正面から見てしまった兵助は思わず動けなくなってしまった。
三郎は照れているのかすぐに俯きその表情を兵助から隠してまた背後に回る。
「髪…結ってやるよ。」
「あ、ああ。ありがとう。」
なんだか照れくさい空気の中、三郎が手早く髪を結いあげた。
それが済むと今度は道具箱を手にもってさっさと立ちあがってしまう。
「じゃあな!今日はありがとう。」
「ん…良ければまた来いよ。」
思い返してみれは今日は三郎がずっとご機嫌で傍に居たのだ。悪い気はしなかったのでそう言うと、三郎も笑って「気が向いたらな。」と答えた。
部屋を立ち去る三郎の首が、妙に赤く見えたのは灯りの加減だったのだろうか。


三郎は灯りの灯された廊下を足早に歩いていた。
道具箱は、手の感触が消えないように腕に抱えている。
…たくさんの鬘を被せてみた。
でもどれもしっくりこなくて。夜のような真っ黒な美しい髪が現れる度に心が震えた。
つやつやと光るそれの感触を楽しみたくて、最後に「仕事」なんてとって付けた理由まで付けて。
しかし、あの時間は確かに至福だった。
滑らかで、艶やかで、芯のしっかりしている、持ち主そのままの髪。よほどひと房切り落として持ち帰りたいと思ってしまった。
兵助は優しいからそれも了承したかもしれないけど。
そんなもったいない事はしないで三郎はただ感触だけを楽しんだ。
随分時間が経ってしまって絶対何か言われると思ったのに、兵助はなにも言わなかった。それどころか「また来い」と言ってくれた。
かぁぁぁと赤くなる顔を俯かせて三郎は部屋に足を進める。
それまではニヤける顔を抑えなくてはいけないのだから。


あとがき
兵助大好きな三郎。えーと第何弾だ?
両片思い風味。この二人の両片思いはほのぼのしてるのがいいですね。
無自覚に三郎を甘やかす兵助に大変ときめきを覚えます^p^

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