あなたがいてぼくがいてきみがいてわたしがいて
好きなものは、
温かい部屋。好きな人のいる空間。影が濃くなるほどの太陽。春の香る風。
嫌いなものは、
暗くて凍える部屋。誰もいない、清潔な空間。影の見えない程の闇。血の匂いの自分。
好きなものも、嫌いなものもまだたくさんある。
好きなものだけ、自分の周りに溢れればいいのにと思うのに。中々そう上手くは行かない。
君は、「それが人生ってもんだよ。」なんて、得意気に言っていたけど。
私もそれに笑ってそうだね。と頷いたけど。
ねぇ雷蔵。
私の世界は、やはり暗いままだよ。
もそ、と布団が衣擦れの音を立てて私の体から落ちる。
静かに起床するのは、幼少のときからの癖だ。
気配無く、そして意識も鮮明にし、私は目を覚ます。
嫌だった。それが昔から、堪らなく。
まどろむ時間は幸せに直結している。たとえば彼の膝の上で、日向ぼっこをするような。
仲間に囲まれる中で、安心して眠れるような。
だが、朝のこの時間は一人で。
隣には、誰もいない。
ため息と共に完全に布団から体を剥がし、寝巻から装束へと着替える。
雷蔵は、今はお使いで出ているだけだ。ほんの少しの間である。
最後に愛おし気に撫でて貰った感触はまだ覚えている。そっと、私の輪郭をなぞるように指の腹で撫ぜられた。
それを思い出すと、少し胸が温かくなる。
それに勇気を貰って顔を上げると、鏡にはいつもの「雷蔵」の顔。
駄目だ。
突然に襲った胸の痛みに慌てて顔を変えた。
駄目だ、駄目だ。今、この顔を見ては。
会いに行きたくなる。抱きしめたいと駄々をこねて、離さないとしがみ付きたくなる。
私ならそれが出来る。出来てしまう。どんな子供じみた理由でも、行動でも。私は実行に移せてしまう。
「駄目だ。」
雷蔵に迷惑がかかる。
雷蔵を、困らせてしまう。
雷蔵に、嫌われて――…。
最後に至った想像に背筋が冷える。慌てて首を振り、子供じみた妄想を振り払った。
永久に会えない訳でもない。それなのに、私の思いは強すぎる。
我慢が、できなくなる。
首を振る時に閉じた目を、再びゆっくりと開く。
暗いままの視界に、絶望的な気持ちになりそうだ。
元来、私の視界は暗いのだ。
幼いころから見て来た世界は暗い色ばかりで、それを暗色だと知らずに生きて来た。
此処に来なければ、雷蔵に出会わなければ、今でも知らずにいたと思う。
空が美しい。
水が美味しい。
太陽が眩しい。
花の匂いを纏った風の馨しさ。
明るい夜の、月の美しさ。
誰かと話す楽しさ。話して、笑うことの清々しさ。
そんなこと知らなかったんだ。君が教えてくれるまで。
私一人では、美しく、明るいものを見つけることが出来ない。
だから、私一人では、世界はこんなに暗い。
嫌だ、嫌いなんだ、この色は。
勝手に動きそうになる体を、両手で抱きしめて必死に止める。
私の望みはこの世界からの逃亡であり、明るい世界への渇望。
それはすなわち、雷蔵のこと。
彼に会いたいと思う自分を愛おしいと思う、情けないとも思う、憐れみも蔑みも覚える。
でもこの暗い世界に救いはなくて。
「らいぞう……。」
ぽたり、と涙が零れた。
彼に会いたい、とても。
キリリと冷えた空気が肺に沁みわたる。
はぁ、とため息のように吐いた息が白かった。
町人の姿に変えた今、凍てつく空気は雷蔵の体温を奪っていく。
それに何かを思うことは無い。
冬の空気が冷たいことも、夏が暑いことも、春に花が咲くことも、雷蔵にはなにも影響しない。
煩わしさも愛おしさも何も生まれない。
ただ、それらは雷蔵の周囲を流れるだけだ。
そこで、雷蔵は一人の人間を想った。
太陽が眩しいと言えば嬉しそうに同意し、風が香るとはしゃいで飛んでくる。月が綺麗だと叩き起こし、温かい空気に膝の上でまどろむ。
自分を取り囲む、当たり前のつまらない世界にはしゃぐ彼が不思議だった。
もっと不思議なのは、彼が喜ぶものに喜ぶ自分。
春も夏も秋も冬も。過ぎ去るそれらに心を動かされることなどない。
それは今でも変わらないのに、彼が居るだけで、それが面白いくらいに変わった。
驚くくらい彼は雷蔵の世界に敏感で、その一つ一つに嬉しそうな顔をする。
「すごいなっ!綺麗だなっ!」
そんな言葉を雷蔵に投げかける。
その言葉が雷蔵の中に入って、ようやく、雷蔵はそれらが美しいものなのだと理解した。
美しいという言葉を知っている。
彼の感動するそれらが美しいと呼ぶものなのだということも。
だが、実感として伴うことは無く。「これを人は美しいというものなのだろう。」と理解するだけ。
それが、彼が美しいと呼ぶそれらに涙が出そうになるなんて、思ってもみなかった。
「次の満月までに…帰れるかな。」
一人の世界は味気ない。何も雷蔵の心を動かさない。
彼が居て、初めて雷蔵は世界を美しいと思えるのだ。
醜悪だと思っていた涙でさえ、彼の物なら芸術品のように美しい。
ああ、今頃泣いているかも知れない。
どうしよう、少し気配を消してそれを眺めていようか。
だがどうしたって、泣いている彼を放ってなどおけなくて、大して堪えることなど出来ずに抱きしめてしまうのだけれど。
それを考えると、ますます彼が恋しくて。
そんな自分に苦笑した。
三郎は今頃、飛んで来たくなっている自分を必死に自制しているに違いない。
ざっ、と少し早くなった足が土埃を立たせる。
つまらない世界に長居するつもりはない。早く、あの子に会わなければ。
「三郎。」
今、彼にとても会いたい。
はやく、はやく一緒にいよう。
そうでなきゃ、世界はこんなに味気ない。
あとがき
シリアス書こうとして失敗した感満載。
結局甘いよね。うん。いつも通りです。